花岡 未来 ― 1 ―

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 先の電話の相手、国吉(くによし)がやってくるのにはものの五分とかからなかった。ほんのりと頬を紅潮させ、僅かばかりに息が上がっているところをみると、傍らに牽いているロードバイクを相当にとばしてきたのかもしれない。 「未来さん、お待たせです」 「お待たせって、全然待ってないよ」チラと視線を時計に落とし、上げる。「まだ五分も経ってないんじゃない?」 「そうですか? まあ結構とばしましたからね」  国吉は白い歯を見せて笑うと、ロードバイクのハンドルをぽんぽんと叩く。その仕草に私は半ば呆れながらも笑顔を返し、両手を上着のポケットに突っこんだまま立ち上がる。と、同時に手首に通したままのレジ袋がクシャクシャと音をたてる。 「朝から元気だよね、君は」と私。 「はい、まだ若いっすから」と国吉。  若干の皮肉を込めた私の言葉も、溢れ出す若さにはまるで通用しない。そして、そのことが可笑しくて、私は笑う。 「じゃあ、行こうか」  促す私に国吉も頷き、二人連れだって歩き出す。 「それで、どこ行くかってもう決めてるの?」  問いかけた私に、国吉は首を振る。 「いえ、特には。未来さん、なにか食べたいものってあります?」 「食べたいものっていうか、そもそもこの時間だと開いてるお店自体少ないし、だいぶ選択肢限られるよね?」  隣の国吉を見上げながらに聞き返す。国吉は特別に背が高いわけではないのだが、対する私が小さい――百五十センチ台前半しかない――ので、二人で並ぶとどうしたってそうなってしまう。そんな国吉はスマホで時刻を確認しては「そうっすねぇ」と呟いていて、私は私で時刻を確認してみると、七時半を少し過ぎたところだった。 「そしたら未来さん、駅裏の喫茶店ってわかります? ほら、北口出て少し行ったところにある。あそこだったら、多分今の時間でももう開いてるはずですよ」 「北口っていうと、あー……もしかして古着屋の隣の? 確かキーコーヒーの看板出てるとこだよね。入ったことないけど、あそこってそんなに早くから開いてるんだ?」 「ええ、モーニングやってるみたいで。まあ俺も自分で行ったわけじゃなくて、友達に教えてもらったんですけど」 「へえ。ま、いいんじゃない? もっとも、私たちの場合はモーニングじゃなくてディナーなんだけどね、感覚的には」 私の言葉に、国吉も「ですね」と笑って見せる。この辺りはやはり、同じような生活リズムで動いているからこそ通じるところだ。 「じゃあ他に候補もないし、そこにしようか。それに、私としてはとりあえずおいしいコーヒーが飲めれば文句ないし」 「なら決まりですね」  我が意を得たりと国吉は笑い、それから二人、来た道を駅方面へと引き返していく。 「ねえこれ、結局駅方面に戻るんだったら、やっぱりさっき私が行った方がよかったんじゃない?」 「いやいや未来さん、それは言っちゃダメなやつですよ」  そんなくだらない会話をしながら、私たちは歩いていく。それは、先の女子高生や会社員のような足取りではなく、のんびり、テクテクと。目覚めだした朝の駅前の忙しなさをにあっては、少々浮いているかもしれない。  今も朝日は高度を上げながら町を照らしていて、それでもしかし、その緩やかな放物線を描く軌跡が最高点に達するころ、きっと私は夢の中だ。  こうして歩く今も、心のどこかではさっさと家に帰って、メイク落としもそこそこに寝てしまいたい気持ちもある。ネルドリップの上質なコーヒーは十分に魅力的だが、それと同じくらい、我が家のぬくぬくとした布団もまた魅力的だからだ。  車道側を歩く国吉が、「でね、未来さん」と新たな話題を振ってくる。だから私も、「うん、何?」と顔を向ける。その返事をするさなか、自然と上向いた視線の先に、澄んだ青空が広がっている。冬へと近づくその空は淡く、柔らかくて、どうしてか私に透き通った水の中を思わせる。
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