花岡 未来 ― 1 ―

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 私の部屋に帰ってきてから、早数時間。お天道様はすでに天頂を超え、もはや仕事は終わったといわんばかりに、あとはゆるゆると落ちていくのみだ。とはいえ、それはあくまでお天道様自身の話であって、大地に生きる我々人類からしたら今はお昼の真っ盛り。  そんな真っ盛りにあって私の部屋はカーテンを閉め切り、電気も点けずとあっては漏れ入る日差しでぼんやりと薄暗い。そして、私はといえば布団にくるまっては開き切らない目で何となく天井を見上げていて、隣は隣でゴソゴソと音を立てながら、国吉が慌ただしく脱ぎ散らかした服を身に着けている。 「未来さん、やばいっす。このままだとマジで遅刻っす」 片方の靴下が見当たらないのか、国吉はTシャツにボクサーパンツ姿でベッドの上をあさっている。私はその邪魔にならないよう足を曲げて縮こまりながら、布団から顔だけを出して国吉に言う。 「だから、二回目の前に私言ったじゃん。時間大丈夫なの? てさ。それでも大丈夫って言ったよね、君」 「そうですけど、そんなの仕方ないじゃないですか、盛り上がっちゃったんだし。それにほら、一回目は未来さんまだだったみたいだし」 「う」反射的に布団に隠れる。「確かにそうだけどさ」  確かにそうなのだが、だからって馬鹿正直に言う必要はないんじゃなかろうか? さらに言えば、その後の二回目で私はしっかりと達しており、もっと言うと、国吉がそのために頑張ったからこそ、先の二回目は一回目よりも時間がかかっていた。 「だからって、時間ないんだから無理することなかったでしょ?」 「それはそうなんですけど、男としては譲れないところなんですよ」  照れ隠しで言った言葉に、そう返されてしまっては何も言えなくなる。年下のくせに、とは思うものの、それを簡単に口に出せるほど私自身には大人成分が足りていない自覚もある。だから、国吉が靴下のサルベージに成功したところで、縮めた足を延ばせずにいるのだ。  着替えを終えた国吉が立ち上がり、リュックを背負っては私に顔を近づけてくる。 「それじゃ未来さん」 しかし、そんな国吉の顔を掌で制すると、ちょっぴり睨みを聞かせて言ってやる。 「時間ないんでしょ?」 大方はサヨナラのキスでもしようとしたのだろうが、最後の主導権くらいは私が持っていたい。なんといったってここは私の部屋だし、それに私は年上なのだ。  国吉はバツが悪そうに視線を逸らすと、ごまかすように一つ笑ってから名残惜しそうに離れていく。 「ですね。それじゃ未来さん、改めていってきます。またお店で」 「うん、いってらっしゃい。ちゃんと寝ないで講義受けてくるんだよ?」 「はは、なんだかその言い方、俺の母親みたいですよ?」 「そう? どうやら私の隠しきれない母性がちょっぴり溢れちゃったみたいだね」 「なんですか、それ? まあ未来さんに母性があるかはともかく、さっきたっぷり甘えさせてもらいましたけどね」  う……最後の最後にどうしてこう、不意打ち気味に恥ずかしいことを言ってくれるんだろう、君は。主導権を握ったつもりが、たったワンプレーで取り返されてしまった。 「いいからほら、学生はさっさと行った行った。時間ないんでしょ?」 「ああそうだった。うわ、このままだとマジでやばいかも」  時刻を確認した国吉が我に返ったように身を翻すと、バタバタと玄関へ駆けていく。 「じゃあ未来さん行ってきます。ああ、玄関の鍵ってどうします?」 「いいよ、開けっ放しで。私もこの後寝る前にシャワー浴びるから。ああ、あとそれから――」 「それから、なんです?」  国吉がスニーカーの紐を解かないままに踵を押し込みながら聞いてくる。その姿に、私は半開きだった口を閉じて小さく首を振る。 「ううん、何でもない。いってらっしゃい、気を付けてね」 「はい、行ってきます。じゃあ未来さんも、おやすみなさい」  うん、おやすみ。私がそれを言い終わる前に、国吉は部屋を出て行った。その閉まったドアを眺めながらに、ポリポリと頭をかく。つい今しがた、ふいに頭に浮かんでは口に仕掛けて、寸でのところで思いとどまった台詞。  のっそりと身を起こしてから、ベッド脇のテーブルの上に乗った空箱に手を伸ばす。それをバラしてはさらに折り畳んで小さくしていく。 「ゴムが無くなっちゃったから今度来るときに買ってきてね、なんて、別れ際に言う台詞じゃないよね」  当てつけのように折りたたまれたコンドームの空き箱を、最後の止めとばかりにぎゅっと握りつぶしては、部屋の隅のゴミ箱めがけて放り投げる。情けない放物線を描いたそれは見事ゴミ箱のふちに当たると、小気味よく跳ね上がっては部屋の床に転がり落ちた。  
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