花岡 未来 ― 1 ―

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 一服を終えると時間はちょうど頃合いといったところで、私は襟元の赤いリボンをシュルシュルと結んでは立ち上がる。それから休憩室を後にすると、バックヤードのさらに奥にある事務所に向かう。なぜって、そこにタイムカードがあるからだ。  コンコン。ノックに続いて聞こえるのは「はーい」という間延びした声。ドアを開けると、制服姿のまま事務机に腰かけた細身の男性が出迎えてくれる。 「ああ花岡さん、おはようございます。今日もよろしくお願いしますね」 「おはようございます。で、佐々木君は今日は時間通り上がれそうなの?」  ビー、ガガ。タイムカードを飲み込んだレコーダーが雑な音をたてながら打刻を刻む。私がそれを棚に戻しながら水を向けると、佐々木君は手を止めて笑い、私はその表情に色よい返事を予想する。 「ええ、今日はフロアが落ち着いていたので。ジャストとまではいかないですけど、残業をつけなくていい程度には早く上がれそうです」 「そっか、ならよかった」  私が笑顔を向けると、佐々木君も同様に笑顔を深くする。そんな彼に片手を上げて事務所を出ていこうとすると、その背中に「それに」と声がかけられる。足を止めた私が再び彼に向き直ると、彼は目を細めたままに口を開く。 「今日は花岡さんがいますからね、安心して帰れます」  そんな彼への返事は、ため息一つ。 「こらこら、私はあくまでバイトだよ? 変に期待されても困るんだけど?」 「でも、実際社員の僕より仕事できるじゃないですか?」 「それは単に長くやっているからってだけだよ。それに、社員じゃないからクレーム対応とかは無理だし」 「そうですね。でも、花岡さんがいる日ってそもそもそのクレーム自体が少ないんですよ。なので、帰ってからものんびり眠れるんです」  ニコニコしながらそう言われ、なんだかむずむずしてくる。 「もう、褒めたってなにも出ないよ?」 「大丈夫です、もう十分いろいろもらっているんで。僕からすると、花岡さんはなんだかんだ頼れるお姉さんなんで」 「お姉さんて」再びのため息。「歳、一個しか違わないでしょ?」 「とはいえ、年上は年上です。一個上なら年子ですかね?」 「ああもう、ああ言えばこう言う。もう時間だし私は行くからね、はいお終い、それじゃお疲れ様ね」  何か言われるより先に、言うだけ言って事務所を後にする。なんというか、頼ってもらえること自体に悪い気はしないのだが、だからって真正面からてらいもなく褒められると、さすがに居心地が悪くなってしまう。なにせ、私は今までの人生、慣れるほどに褒められてきてはいないのだ。  とはいえ彼――佐々木君の立場を考えると、多少は誰かに頼りたくなるのも無理はないだろう。  店長を含め、店舗に三人在籍している社員の中で最も年下――唯一の二十代――であり、勤続年数も短い。二十四時間営業の店舗にあって、彼のシフトは主に十二時から二十二時、二時間の休憩時間も含めての八時間勤務だ。  基本的に社員の仕事内容は現場管理と事務仕事であり、ピークタイム以外はフロアに立つことは少ない。だが、夜のピークタイムというのはどうしてもスタッフが高校生を含めた学生中心になってしまうため、種々様々なトラブルが起こりがちだ。そのため彼は、特に高校生たちの入り時間である十七時以降はそのフォローのためにフロアに出ずっぱり、という日が多く、結果として手を付けられなかった事務仕事をこなすために残業していることが多い。それこそ、つい先日も店長に「先月の残業時間が多すぎる」とお𠮟りを食らっていたはずだ。  キッチン脇の壁に張り出されたシフト表で、今日の各担当を確認する。もっとも、来店が多い日中はともかく、今日のように平日の深夜となれば来店も少ないため、当然働くスタッフも少なくなる。ともなれば、担当は「フロアの仕事全て」であり、やるのは「手の空いている人物」である。  なので、ここで確認するのは「なんの仕事を担当するか」ではなく「誰と一緒に働くのか」である。  シフト表を上から順に眺めていき、花岡と書かれた欄から時間軸に沿って伸びた横線。それと同時間帯に重なるのは、と。  ちなみに深夜帯はフロア三人、キッチン二人の五人体制が基本となる。今日もそれに則した五人体制であり、そのキッチン担当の名前に私は目を細める。  と、ちょうどタイミングよくその人物が着替えを済ませて休憩室から出てくる。 「おはよう槙さん、今日もよろしくね」 「おう花ちゃん、まあのんびり行こうぜ」  軽く挨拶を交わすと、深夜帯キッチンスタッフにおける一番のベテランである槙さんが事務所へと消えていく。その背を見て私も一つ伸びをすると、休憩室から拝借してきた飴玉をポケットから取り出し、包装から取り出しては口に放り込んだ。  
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