プロローグ

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プロローグ

 僕の話を、聞いてもらえるだろうか。    僕には二歳年上の兄がいた。  察しの良い人なら、もう分かっていると思うんだけど今はいない。  僕が五歳の時、忽然と消えてしまったんだ。嘘みたいな話だけれど消えた、としか言いようがない。    その日は、よく晴れた暑い日で、僕と兄は庭にビニールのプールを出してもらって水遊びをしていたんだ。  もちろん、母親もすぐそばで僕達が遊んでいるのを見守っていた。とにかく茹だるように暑い日だったから、母親は僕達に水分を取るように口うるさく言っていて、でもプールで遊んでいる僕達は喉なんて渇いてなかった。兄がジュースなら飲む、なんて言ったから僕もすぐ同じように騒ぎだしたんだ。  母親は、わりと厳しい方で、ジュースなんて普段なかなか飲ませてもらえない。大抵は麦茶か水。その時も、しぶしぶといった感じで、りんごジュースなら良いと言った。よほど水分を摂らせたかったんだね。やったーって二人で喜んで、母親は僕達をその場に残して台所にジュースを取りに行ったんだ。  その隙に、僕と兄はビニールプールの外から水の中にジャンプする遊びを始めた。ビニールプールの外は芝生で、プールの水が汚れて片付けるのが大変だからやらないでって、プール遊びのたびに母親に言われてたから、いつも隙を見ては飛び込んでたんだ。どっちがたくさん水しぶきをあげられるか、勝負したりして。  交代に飛び込んでいたから、何回目だったかはっきりとは分からない。  僕は二回飛び込んで、その次の兄の番だったから二回目か三回目だったと思う。いつだって兄は水しぶきを上げるのが上手くて、僕達はゲラゲラ笑ってた。兄が、かるく助走をつけてプールに飛び込んだ。  ――すとん、って感じだった。    水しぶきもほとんど無くて、ほんと、すとんって。  僕は何が起こったのか分からなかった。  もちろん、今でも分からない。兄が目の前で消えるなんて。  そこにジュースを持った母親が戻って来た。芝生の上に立っている僕を見て、すごい勢いで怒りはじめた。水が汚れるでしょ、とかなんとか。隠れている兄も早く出て来なさいって。  それから僕に、兄はどこに隠れているのか聞いた。僕は訳が分からなくて、ベソを掻いていたと思う。そしてプールの中を指差して、兄が飛び込んだままだって言った。母親は兄が溺れたのかと慌ててプールを覗き込みに来たんだけれど、何しろビニールプールだからひと目で兄がいないことが分かる。ふざけていないで、僕に本当のことを言いなさいって怒ったんだ。  ようやく僕の様子がいつもと違うことに気づいて、本当のことを言っている、って分かるまで随分と長い時間怒り続けて、最終的には、訳がわからない僕と母親の二人で泣きながら父親に電話した。    兄がいない、消えてしまった、ってね。  その後のことは、家に警察が来たり近所の人が来たり、親戚が来たりくらいしか覚えていない。  五歳の時のことにしては、ずいぶんと詳しく覚えていておかしいなんて言う人達もいるのは分かる。でもさ、こんなこと忘れられるわけない。それに両親にも、警察にも、親戚にも、この日のことを何度となく聞かれて何回も繰り返して話したんだ。忘れようにも忘れられない。  こんな事件、知らないってこともよく言われるけど、それは大きく報道されたことがないから。  家族も親戚もそれを望まなかった。  それに、大きくなってから知ったこと。  当初、警察は家族を疑っていたんだ。状況からしたら、容疑者は母親だろう。しばらく警察の人が来ていたのは覚えている。結局は僕の証言が重要視され、公開捜査もなし。    母親に、僕もふいに居なくなってしまうんじゃないかって、幼稚園も怖くて行かせられないと、やめさせられて家から出られなくなった。小学校は行くようになったけれど、母親の送り迎えつき。  普通の生活になったのは、僕が中学生になる頃。僕の年齢が兄を追い越して随分しばらく経ってからだった。  いや、普通のフリしていると言うのかな。  家族皆んなで普通の生活を心がけている、と言った方が良いかもしれない。  それでもやっぱり、この日の夢を見て飛び起きることもある。一人暮らしなんて、させてもらえない。僕の目の前に、ふいっと兄が帰ってくるかもって思うと、僕も家を出る決心がつかない。    ごめん。話が長くなってしまったけれど、ここからが本題。  似たような経験をした人を探して、こんな話をネットであちこちでしていたら、ある日突然電話が架かってきたんだ。その電話の人は、兄を見つける方法があるって言うんだけど、会っても大丈夫なんだろうか。
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