第2章 Case 1

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熊谷ユキの場合 ⑥  「……曜日は?」  倉部が尋ねる。 「曜日は同じ、月曜日です。新聞の紙面もほぼ同じ並びなんです。……レイアウトまで一緒だとなんだか気持ち悪いですね。ただこれ、ここです。……賃貸アパート大手の会社の施工不良に関わる記事ですが、内容はほぼ同じで会社名が違います」 「並行世界の不思議だよねー?」  鬼海がドリンクのグラスの縁を指で弾きながら言った。涼やかな音が響く。 「どうしてなのかなぁ? いったいどういう仕掛けになっているのか? 自分、考えても分からないんですけど……って、たいして考えてるわけでもないかナ。まぁ、ともかく世間に知られている大きな事件や事故は、大抵の場合どこの並行世界でも変わらないみたいなんだ。ね? ユキさん」  ユキは、自分の食べ終えた皿と鬼海の皿を片付けやすいように片側に寄せると、鬼海の言葉に頷いた。 「……そうなの。わたしが居た世界から、この世界に来て驚いたのは、多くの人の間で、共通認識が出来るような事件や事故はどちらも変わらずに存在しているということ」  ユキは見るともなくに、店内に目を遣る。  ユキたちの居る席から、ふたつ間を開けたボックス席で仲良く向かい合う老夫婦。  真ん中にあるテーブル掛けの席の七人は、年齢が似たり寄ったりの男性が三人女性が四人。プリントアウトしたと思われる紙を前に何やら厳しい顔で頷き合っている。  入り口に一番近いボックス席は、五人の女性たち。時折大きな笑い声が店内に響き渡る。時間を気にする素振りや、首から下げているセキュリティカードらしきものには、お揃いの可愛らしいマーク(園章? 園のキャラクター?)がついていることを見ると、幼稚園が終わるのをランチしながら待っているママ達のようだ。  本を読みながら、ひとりでお茶をしている女性。  温かい飲みものを両手で包むようにして持つ、疲れたような顔をしたスーツの男性。  会計のため伝票を掴み立ち上がる女性と、その娘と孫のささやかなやりとり。  店内を歩き回り、お皿を運び、片付けるを繰り返す店員。    ごく普通の日常。  来ては帰る。  ありふれた光景。    ユキは視線を戻すと言った。 「わたしが知るだけでも、昭和のあの有名な飛行機事故。911同時多発テロ。東日本大震災。この三つの事件は、日付けも場所も何から何まで一緒なの」  そう、気味が悪いくらいに。  ユキがそのことに気づいたのは、こちらの世界に来て直ぐだった。  いつどこで、ばったり本物のわたしと顔を合わせて偽者と指を差されるのか、そのことにまだ怯えていた頃。 「彼との電話を切って、わたしの住んでいたアパートが無いなら、わたしは何処に住んでいるのかなあって思ったのが最初。わたしを認識する家族はいたわ。つまりこの世界に『わたし』は存在する。それなら勤め先は? 友達は? そもそも『わたし』は何処にいるの?」  住んでいたアパートの鍵をなくして、帰れなくなっちゃった。  そう言いながら、あの日実家に戻った。夜も遅い時間に『わたし』と鉢合わせないように祈りながら。  いちばん心配してくれたのは、もう二度と会うことの出来ないと思っていた、亡くなったはずの祖父だ。  『鍵が悪い人にでも拾われたら、大変だ』と言うので、ユキはくすりと笑った。  おじいちゃん、心配しなくても大丈夫よ。この世界にはたくさんの扉と鍵穴があるのよ? 拾った鍵で開く扉をぴたりと当てるのは難しいんじゃないの? 「ユキさんのおじいさん、ユキさんが可愛くて仕方ないんですね」  鬼海の言葉に、ユキはにっこり笑う。 「まさか、別人だなんて思ってもいなかったでしょうね。すぐにでもばれるんじゃないかってドキドキしていたから、挙動不審だったかも。それとも気づいていたのかな? 偽者なんです、なんて言えないよね」  帰ると言って飛び出したと思ったらまたすぐ戻って来て、帰ったと思ったら、挙げ句に鍵を落としたなんて言って夜にまた帰って来たのね。と、怒る母親に大丈夫、今日は泊まるからと謝った。  それから、探したいものがあると言って、残されていた自分の部屋に入って『わたし』の探索開始。  部屋はわたしが家を出てから、たいしたものは置いてないの。使っていない机とベッドと本棚がそのままになっている。机はほぼ空っぽ。だから懐かしい卒業アルバムを探して、本棚を引っ掻き回した。  自分の生年月日は当たり前だけど、驚くことに通っていた幼稚園から大学まで全て同じだった。それに勤先までも同じ。  それなのに『わたし』には、わたしの知らない友達がいて、机から見つけた日記に書いてあることを読むと、わたしの覚えている思い出とは少し違う。  ……気味が悪い。  そうとしか感じられなかった。 「それでご家族を試したんですね?」  龍之介が、ユキに尋ねる。 「あの……試す、というのは言葉が悪かったです。……すみません。えーっと、確かめてみたんですね? 思い出はどこまで共通しているのか? 世界はどの程度同じなのか、ご家族と自分のズレはどこにあるのか」  龍之介に向かって小さく首を振る。 「いいの。その通りなのよ。試したの」  ユキは二階の自室から出ると階段を降り、母親が入浴中であることを確かめてから、リビングと廊下向かいにある祖父の部屋を訪ねた。  祖父の部屋は和室なので、廊下から戸襖をそうっと開けた。  寝支度をしていた祖父は、わたしを見て少し驚き『アパートの合鍵なら、おまえのお母さんが持っているんじゃないのか? ほら、前に合鍵で勝手にアパートに入るなと喧嘩してたじゃないか』と言った。  スペアキーのこと? そうね、忘れてた。  お母さん、お風呂なの。  おじいちゃんがまだ寝ないなら、ここで少し話をしても良い?  祖父は嬉しそうに微笑んだ。 「……わたし、凄く後ろめたかった。龍之介くんの言うように試したの。わたしの知る祖父は、わたしが中学生だった時に亡くなってしまった。目の前に居るのは歳を取った八十になる祖父で、わたしはその間の十二年を何も知らない。それもあって、話しやすかった。試すなら祖父だと思ったの」  最低よね、とユキが小さく笑うと鬼海が言った。 「そうかなぁ? 孫に優しいおじいちゃんに、久しぶりにユキさんは甘えたかっただけなんだと自分は思いますけどねー?」  甘えられると分かっていて祖父を選んだのはユキだ。 「それで、分かったんだな?」 倉部が言う。 「確かめるなら震災の話からか?」 ユキは頷く。 「そうです。いきなり震災の話を始めるわたしを不思議に思うことなく、祖父は『あの時は、ユキが帰ってきていて良かったよ』と言いました。わたしの世界に、祖父はすでに存在していませんでした。けれど、あの時大学生だったこちらの世界の『わたし』も、休みで実家に帰省していたんです。わたし、と同じように」  ねぇ、おじいちゃん。  そういえば、あの時もわたしこの家に夜遅く帰ってきたんだよね?  あの大きな地震の前の日の夜。  あのときは怖かったね。  わたし、この家に帰っている時で本当に良かった。    『予定では十一日の昼過ぎに帰るって言ってたのに急に前の日の夜に帰るもんだから、おまえのお母さんも今日みたいに怒ってたな。連絡ぐらいしなさい。そうすれば、ご飯の用意ぐらいはしてあったのにってなぁ。予定通りにしていたら、どうなってたのか……あの時は、ユキが帰って来ていて本当に良かったよ』  祖父は懐かしそうに笑った。  三月十一日だったわよね? 「わたしの問いに呆れたような顔をしていたから、祖父と重大事件をいくつ挙げられるかの記憶競争をしましょうって言ったの。祖父はそういうことが大好きだったから」 「そしたら、同じだったんですね?」  ユキは龍之介に頷いてみせる。 「世界を……この場合は諸外国って意味ね? 世界を震撼させた事件や事故は、日付けも時間も、ぴったり。でも不思議なことに、後からわたしが調べたり、分かる範囲で調べて貰った限りでは、死者数や行方不明者数は凡そ同じでも、ぴったりとまではいかない。そして、それと同じくして、亡くなったり行方不明になった人がすべて重複する人物であるとは言えないってことまで分かったの。テロや震災などの被害者は多いから、それに関しては全部は調べきれない。けどね、なぜそう言えるのかというのは……」  ある程度有名な事件や事故になると、数に於いては同じだけれど、発表された加害者や被害者の名前は同じではなかった。  そうなると、並行世界において重要であるのはあくまでも筋書きだということだ。概ね同じであれば、細かいことは違たがえてもよい。   「例えば、付属小学校の無差別殺傷事件。 痛ましい事件だった。犯人の残虐性、子どもたちの悲惨な死傷者の数。その共通認識は機能しているのに、小学校の場所や犯人の氏名や被害者の子どもの氏名は違うの」  世界は細かいところまで気にしていない    ユキの感じた気味の悪さの正体だった。     それならば、わたしがこの世界に存在し続けるとしたら、この世界はそれを見逃すかしら? それとも増えてしまった『わたし』に気づくのかしら?  倉部が口元を歪めながら、皮肉たっぷり言い切る。 「並行世界の『決まり』は大雑把なものであるとはいえ、ユキという存在はひとりだという世界の筋書き通りにいけばつまり、二人居てはエラーとしてカウントされる。現在、本来の『ユキ』はこの世界にはいない。そして当たり前だが、何処の世界だろうと人ひとり減っただけでは何の支障もないから、もと居た世界ではユキが行方不明でも構わない。というわけで、ユキがこの世界に残ることを希望したために、この世界のユキは消えた」 「……チーフの言う通りです。わたしがここに存在し続けてしまったせいで、本来居るべき『わたし』は消えてしまったんです。……いえ、わたしが消してしまったんです」    
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