第2章 Case 1

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Case 1ーcase closed 前編  遅れること少し、ええーっ。と言う奇声をあげた鬼海は、慌てて口元を両手で押さえたかと思うと、すぐにその両手を距離感の間違えた拍手でもするかのように動かし始めた。 「それってもしかして……無理矢理ですか? それ誘拐でしょ? いやぁ、ナイです。ない。犯罪になっちゃいますよー」  鬼海の両手をバタバタと目の前で振ってみせたそれは、どうやら片手では足りないほどの否定、ということらしい。 「お前、馬鹿なの? って龍之介の目が言ってるぞ」 「……言ってませんよ」  じとっとした視線を龍之介に送った鬼海は、口を尖らせる。 「どーせ自分は、短絡的ですよーだ」 「ユキ、幾つか用意してもらいたいものがある。病院にいる人達に怪しまれることなく、別の記憶を焼き付けるために必要なもの」  ユキは鞄から手帳を取り出すと、倉部がいくつかの品物をあげていくのを、その手帳に書き留めていく。  次々と書き進めるうちに、ひとつの単語に鬼海が反応した。 「やややっ。チーフ、服って言いましたね? これから指定する服って。もしやのナース服ですか? ユキさんが着たりするんですか? ドキドキするねっ龍之介くん」  満面の笑みで、龍之介に話を振るがユキに軽く睨まれて空惚ける。 「短絡的な鬼海にあえて聞こう。この服はナース服ではない。何故か?」  倉部が人差し指を鬼海に突きつけた。 「……えーっと? なんだろうね、龍之介くん。あ、そうか。ユキさんは『並行世界』には入れないんですもんね。残念だなぁ……っとと。失言でした。でも看護師の服じゃなければ……ドクターの着るやつ白衣とか術着? とかなんでしょう? あれっ?」   「だからお前は短絡的だと言われるんだよ。良くドラマだの映画だので、病院に潜入するのにドクターになったり看護師に化けたりするが、ありゃ嘘だ。誰かにすぐバレる。よっぽどデカい病院でならばバレにくいかもしれないが、あくまでもバレにくいってだけだ。同じ場所で働いている奴かどうかくらいは分かる。かえって、こんな奴いたかな、と注目されてしまう。逆効果になりかねない」 「ふむふむ。龍之介くん、分かったかな?」 「言われてみれば……そうですよね」 「それに今回も、ユキはバックアップ。『並行世界』に行くのは俺たち三人。箱崎ひなが確実に居る場所を探るのは、俺と龍之介だ。ひなを説得するのは、いちばん歳が近い龍之介だろうな。出来ればユキに任せたいところだが……」  そこで暫く黙ったまま、ユキの顔を眺める。その倉部の表情からは何を考えているのか、読み取ることは出来なかった。  今頃になって、先ほどとは違う店員が、食器を下げに来た。    お済みでしたら、お下げしますね?  他に御用がございましたら、またお呼び下さい。  テーブルに座る全員を見渡すと、にっこりと感じの良い会釈をする。  気づけば昼の時間帯。騒めきは、前よりも大きくなり客が増えてきていた。 「……鬼海の言う、作戦もあながち間違いではないんだろうな」 「えっと? 何ですか? ユキさんのナース服ですか?」 「馬鹿なの? って龍之介が言ってるぞ」 「……倉部さん。今は言ってません」 「……!」  ユキが、まあまあと鬼海を慰める。  「午前中は、静かにしましょう作戦だよ」 「なぁんだ。チーフ、聞いていたんじゃないですかーぁって。……そうですか? 実は適当だったんですよね」    気づけば入店した時とは、すっかり客が入れ替わっているようだった。  店内をくるくると廻るように働く店員は、午前中と比べると明らかに、覇気があるように思える。 「なにしろ今日は平日だ。とくに朝から意味のない愛想を振られ、大きな声で大した内容もないことを言われるのは嫌だと思う客もいるんだろう。多分、何か言われたんだろうな。極端な話をすればまぁ、文句を言うくらいなら静かにしたい人は来なけりゃ良いって思わなくもないが、それはそれ。店員も少ないんだ、マニュアル通りにすることはないさ。朝は静かなくらいで充分だろうよ」 「うーん確かに。昼のおばさま方のパワーには、あれくらいの愛想笑いがないと太刀打ちできませんよねー!」  それにしても……やっぱり甘いもの食べたかったなぁ。と鬼海はメニューを覗き込み、ぶつぶつと独り言を呟やく。 「それじゃあ、これからのことを説明する。用意が出来次第、もう一度あの『並行世界』に行って箱崎ひなを連れて帰る……」  ユキが倉部に言われて用意したものを持ち、箱崎ひなの消えた『入り口』まで戻ると、倉部一人がその場に立っているのが見えた。  鬼海も龍之介の姿も、まだない。  ひとりで立っている倉部は、まるで迷子の子どものように当て所ない様子がある。  何か声をかけなくては、とユキが思わず焦ってしまうくらいに。 「倉部さん。……待ちましたか?」  ユキの声に驚いたのだろうか。  眩しい物を見るかのように目を細めた倉部は、ユキを認めて一瞬悲しそうな顔をした。  まるで人違いをしたかのように。 「……いや。待ってない。……ところで用意は出来たのか?」  はい、とユキは頷く。 「箱崎ひなちゃんのご両親の動画をお願いするついで、とは言っては何ですが、ひなちゃんの持ち物も預かってきました」 「ありがとう。ご苦労さま」  いえ、とユキは首を振る。 「……こちらこそ、すみません。わたしが行けたら行くのが、一番良いのは分かります。女性の方が、ひなちゃんに与える不安も脅威も少ないでしょうから……もし、も……」  倉部は片方の手をあげてユキの言葉を途中で遮った。 「違うよ。違う。俺はそんなに善人じゃない。お前のことを思って、じゃないんだ。ユキが『並行世界』に入ることで『入り口』が閉じてしまって帰れなくなったとしたら?   何しろお前は異物だと自分でも言っているくらいだ。だからこそ『入り口』が見えるという前提ならば、この『世界』から出た途端、異物が排除されたとして『入り口』が閉まるのもあり得る。  そんなことは杞憂だと思うか?  そうだな。大丈夫かもしれない。閉じないかもな。だか万が一でも、その可能性はないとは言えないだろ? 俺はそんなものに、賭けるつもりはないんだ」  善人じゃない、と倉部は言う。  ユキから見える倉部の顔は、いまにも泣きだしそうなのに。 「……分かりました。今回もこちらで待たせていただきます」    遠くから聞こえてくる足音に、倉部とユキが視線を巡らすと、二人に向かって駆け寄る鬼海と龍之介の姿が見えた。 「……あいつ。あの格好で走ったらマズいだろう……」  松葉杖を掲げ、こちらに向けて大きく振り回している。 「どうしたんですか? 自分の顔に何かついてます?」 「……いや、お前の顔が無駄に良いのが、何となく癪に触るだけだ」 「聞いた? 龍之介くん、聞いたよね? やっぱり顔の良い男は、ツラいなぁ」  倉部は鬼海を軽く無視したまま、龍之介の持っている大きな黒い布鞄に顎をしゃくる。 「指定した服は、中に入ってるんだな? 小道具もあるか? よし。向こうに着いたら着替えるから、忘れるなよ」  硬い表情で龍之介が頷くのを確認した後、倉部は鬼海を振り返ると、その両肩に手を乗せた。 「鬼海は、その無駄を充分に活かせる絶好の機会をやるから頑張れ」  ここは喜ぶべきなのか、怒るべきなのだろうかと、考えていることが手に取るように分かる顔で、鬼海は頷いた。   「さて、行こう。箱崎ひなの居るところは、やはり病院だった」 「……!」 「……ちッチーフ! あれだけ自分には単独行動を控えるように言っていたのに、また一人で行ったんですか!?」 「そんなに怒るな。……遠目に場所を確認しただけで、病院にはまだ入ってない」  さっ、行くぞ。と叱言を続ける鬼海の背中を押して、倉部たちは『並行世界』に消えた。  一足遅れて、龍之介が続く。  その背中を、ユキは胸の前で固く両手を握りしめたまま見送った。  ……『並行世界』  龍之介は二回目の訪れに、まだ戸惑いを隠せないでいた。  騙されているようだ。  下手な冗談を聞かされているように。  それでも龍之介が歩みを進める度に、この『世界』が龍之介のいるところとは違う『世界』なのだという現実を突きつけてくる。  龍之介が記憶した地図。  それと良く似た街並みの中にある突然現れる違い。  間違い探しの問題を解いているような気分だった。   「どうだ? 龍之介。この『並行世界』の感想は?」 「……双子。たとえるなら双子のようです」  龍之介はしばらく考えてから、聞いた。 「『並行世界』は、どこもここと同じようではないんですね?」 「……そうだ」  質問しようと、龍之介が口を開いた時、鬼海が言った。 「着きましたよ。ひなちゃんの居るはずの病院です」  着替えを終えた倉部と龍之介を心配そうに見る鬼海に、倉部が言った。 「良いな? さっき説明したように、箱崎ひなの病室が分かって俺たちが一旦戻って来るまで、お前は病院には近づくな。その格好で普通に歩くのを見られたら、おかしなことなる。無駄に顔が良くて松葉杖を突いてることに意味があるんだからな」 「……顔が良いのは認めてくれるんですね?」    着ている服はそのままに、上から重ねたグレーの作業服を珍しそうに見ている龍之介に倉部が声を掛けた。 「体型もある程度誤魔化せたな。胸を張れ、怪しまれないように、さりげなくするんだ。大丈夫。自然にしてれば、誰もお前に注目なんかしないさ。さて、行くぞ」  倉部は恐るおそる頷く龍之介を励ますように、背中を強く叩いた。
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