第2章 Case 1

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Case 1ーcase closed 中編  『……まずは面会時間内に、各病室を覗きながら歩いて探す』  龍之介と倉部は、病院の正面玄関の自動ドアを潜る。  扉が開いた瞬間、むわっと病院独特の臭いが鼻についた。消毒の臭いの奥にある、生と死の匂い。  『面会希望者は、受付しないとマズいんじゃないんですか?』  『記録は残せない。だから、そのために着替えるんだ』  さっそうと前を歩く倉部の背後を、龍之介が続く。首から下げたネームホルダーの赤い紐を手繰り、きちんと胸ポケットに名札が入っているのを確かめる。  『それからネームホルダーは首から下げとけよ』  『何も書いてないですよ?』  透明なケースを掲げてみせる。  『当たり前だ。それもイカサマのひとつだからな。人は見たいと思うものしか見ていない。そして見たものを自分の解釈に当て嵌めて結論を出す』  少し早歩きになる龍之介に、倉部が諫めるような視線を送る。  会計待ちの場所にあるソファに座った年配の男性が、姿勢を整えるためか首を巡らした瞬間、ちらりと龍之介の顔を見た。その視線は何気ない仕草で、そのまま龍之介の赤い紐の下がる首から胸元に流れたかと思うと、とくに思うこともない表情で姿勢を立て直し前を向いた。  思わず虚勢をはって、不自然に肩を怒らせていたことに気づいた龍之介は、ほっと息を吐き肩の力を抜いた。  『紐を赤にするんですか? 目立ちますよ』  『いいんだよ。目立って。首から下げた名札は面会者の名札かもしれない。あるいは、病院の施設を点検するための通行証かも。作業服にある会社名が入った、ただの名札かセキュリティーカードかも。それを見た人が、どんな解釈にでも出来るのが望ましい。それに人は色の方に先に目がいく。顔をじろじろ見られるより良い。だから首から下げる紐は目立つ色なんだ。首から何か下げてるって分かるように』  診察時間の終了した診察室前の廊下は、がらんとしていた。それでもまだ何人かは、診察を終えていないとみえ、手持ち無沙汰な顔の人の視線を、龍之介は痛いほど感じる。  『さらにこの姿は、診察時間外の病院に紛れ込むには都合が良いんだ』  『……?』  『作業服を着た仕事は、危険を伴う。診療時間終わり間際の、駆け込みの患者かもしれない。と、思わせることも出来るからウロウロしていても怪しくない。その上、ただのメンテナンス作業をしている人だと思わせることも出来る』  『解釈の仕方は、人それぞれ、ですね? でも話しかけられたらどうするんですか?』   「あの、すみません」  突然呼び止められた龍之介は、強張った顔を倉部に向けて、助けを求める。 「どうしました?」  倉部は龍之介に話しかけてきた老婦人に、優しく問いかける。 「あのねぇ。あなた達、お仕事? 診察待ちなの? 私、ちょっと席を外していた者なんだけれど、この番号。これ。ここ、これ見て、ね? 呼びかけてた看護婦さんいなかったかしら? 困っちゃうのよねぇ、耳が遠くて」  まだ話続けようとする老婦人に、倉部はきっぱりと診療受付の方を指差しで言った。 「あそこで、呼んでますよ」  まあぁ。と老婦人が、指差す受付に視線を泳がす。その後も何か言いたそうに龍之介を見ていたが、倉部はさっさと歩き出してしまった。  慌てて倉部の後を追う。  『話しかけられたら、普通に話せば良いんだ。それより、誰かの記憶に残るようなことをしなけりゃ良い。挙動不審にならなければ、良いんだよ。親切にしすぎるのも、酷いのも駄目。ま、お前のように覚えが良い奴がいたら、その時は運が悪かっただけだな』  『……はい、まぁ。……そうですね』    病室へ行くエレベーターに乗り込む。  後から同じように、面会に行くと思われる人たちが入って来たが、皆顔を背けるように乗り込んで来る。  何かの暗黙のルールのようだ。  お互いに詮索するつもりはないですよ、ということらしかった。龍之介にも倉部にも注意を払う者は誰も居ない。  『それからは虱潰しに探していく。不用意にナースステーションには近寄るな。優しく声を掛けられてホイホイ喋られては困る。記憶に残るのはまずいんだ。  それと、分かっているとは思うが、病室の名札に名前の出ている筈がないからな。まあ、まず小児病棟ではないと思う』  『……どうしてですか?』  『子供の元に家族が見舞いに来るだろ? 個室を充てがわれているとは思うが、まさかの大部屋に居て、それを箱崎ひなが見たらどう思う? おそらくその辺も考えられている。……多分な。それに小児病棟の個室は、少ない。少ないし、空いていれば空けて置きたいだろう。  そう考えていくと、一般病棟の個室だろうな。それもナースステーションに近い個室。その辺が妥当だ。それでも、もしもを考慮して全部の病棟を周る』  『手分けして周るんですか?』  『それでは、この服の意味がない。見舞い客なのか、メンテナンスなのか曖昧なのが、お揃いの服を着た二人連れの良いところだからな』  エレベーターの案内図によると、病室は五階からはじまる。  五階が外科病棟。  六階に産科婦人科病棟。  七階は小児病棟と整形外科病棟で、八階には内科、消化器内科一般病棟となっていた。 「四階に手術室があるんですね」 「そうだな。術が必要なもの程、四階に近いんだ。上から下だ。八階から周るぞ」  同じエレベーターに乗り合わせた見舞いに来た人達も、龍之介と倉部の会話を聞くともなしに聞いていたが、会話の内容に特に興味を持つ者は誰もいないようだった。  作業服の二人が八階から周る。  そういう話をするなら、メンテナンスに来たのだろう。  倉部の読み通りの反応だった。  八階で降りた龍之介たちは、二人並んで箱崎ひなの居そうな病室を探す。  『見つけたら、どうするんですか?』  『一旦、病院を出て着替えて、次は龍之介と鬼海が行く。ただし、別行動でだ。二人が知り合いだとバレないようにな』  『どうして、そこまでするんですか?』  『どうして? 記憶にも、記録にも残らないようにする為だな。なぜなら『並行世界』に存在するかもしれない俺たちを、巻き込まない為だ』  『……居るんでしょうか?』  『さあな。分からないが、お前だって身に覚えのない罪で捕まるのは嫌だろう?』  「じゃあ。そうゆうことで、龍之介くん。お互い頑張ろうねー」  いつもの軽い調子で、鬼海はひらひらと手を振ると、いかにも骨折した足を庇っているように上手に松葉杖を使い歩き出す。 「……安定の軽さだな」  鬼海を見送った龍之介と倉部は、顔を見合わせて笑う。  箱崎ひなの病室は、倉部の予想通り個室だった。だが、幸いなことにナースステーションの近くではあるが、死角もある。 「さっき見たからどこに監視カメラがあるか、覚えているよな?」 「はい。頭に入ってます」 「いいか、龍之介。病室に入ったらまず、箱崎ひなに話しかけずに、黙ってこれを渡せ。ひなの両親から預かってきた、縫いぐるみだ」  倉部は、汚れてだいぶくたびれた縫いぐるみを、龍之介に手渡す。 「どこに持ってたんですか?」 「腹に挟んでた。体型を変えられるからな」  倉部の体温で温められたそれを受け取ると、不思議そうに眺める。 「うさぎ、ですか?」 「多分な」 「いつも一緒だったんでしょうね」 「……多分な」 「これを見れば……信じて貰えますか?」  龍之介は、待ちくたびれてしまった様子のうさぎの縫いぐるみを見つめる。 「お前の携帯電話に、動画が送ってある。箱崎ひなの両親のだ。安心してお前についていくように喋ってるやつだ。龍之介、お前なら大丈夫だよ」    『それでチーフ。自分は何をするんですか? 松葉杖と足のギプスで何をしたら良いのか全く分からないんですけど……』  『龍之介が、箱崎ひなの病室に入る時とそこから二人で出る時。つまり、そこを出入りするところを見られないようにしてもらいたい』  『えー? どうやったら良いんですか?』  『鬼海、お前の顔は申し訳ないくらい整ってる。だが残念なことに整いすぎて記憶に残りづらいんだ』  『……はぁ。まぁ、確かに覚えて貰うのは不得意な顔ですよ? 一度か二度しか会ったことのない人は、自分の顔を見ると……』  『アレっ? 鬼海くんて……? って言われるんだろ?』  『ええ、まあ。悔しいことに、続きがあるんですよね。……これがまた見事に、テンプレートかってほど同じなんです。カッコ良いと思ってたけど、そんな顔だった?』     えーっ違うの。違うよ?    相変わらずカッコ良いなぁって思うよ?    だけど……アレ?   『って、アレって何なんですか?』  『それ、だよ。カッコ良いのは覚えていてるが、それって曖昧なんだよ。お前の顔は特徴のない綺麗すぎる顔なんだ。何回かしか会ったことのないヤツが、しばらく会わないとカッコ良いという所だけを記憶してしまう。まぁ、人間ってのはそこに自身の理想を当て嵌めてお前を覚えているから、ひとことで言えばタイプだった筈なのに、どうして? って残念に思われるだけだ』  『……残念』  『そこがまぁ、お前の良いところだよな。だから、龍之介が上手く病室に入れなそうな時は、お前がナースステーションでなんとかしろ』  『男も結構いるんですよ?』  『そこは松葉杖を上手く使えよ』  鬼海は、龍之介がナースステーションを通り過ぎ角を曲がるのを見ていた。  面会時間ということもあり、出歩いている看護師の姿は今のところ見当たらない。ナースステーションにも、女性が三人と男性が一人の四人だけである。  皆何やら忙しそうにしていて、こちらに注意を払う者は居なかった。  鬼海は骨折している左足首を庇うように松葉杖をつき、その反対側の右肩に掛けた大きな黒い布鞄がずり落ちるのを防ごうと苦戦していた。苦戦するふりをしていた。  エレベーター近くの、面会スペースから楽しそうな笑い声が響いてくる。  ナースステーションは大丈夫だ。  近くを歩く看護師も居ない。  肩に手をやる。  鞄を引き寄せるような、ごく自然な様子で。  こちらを窺う龍之介に送る合図だった。  
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