第1章 始まりの、はじまり

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 指定された駅ビル内のコーヒーショップは混み合う昼過ぎの時間帯にも関わらず、平日のためか今日に限っては比較的空いている。  龍之介が飲み物と携帯電話スマホを手に、座席に腰を落ち着けメッセージを確認すると、しばらく前に倉部が新宿を出てこちらへ向かっていると告げていた。  あと一時間もしないうちに、倉部と実際に顔を合わせることになるのだ、と思うと彼の行動の早さに驚き、自分がしたことに恐怖を覚える。    大型書店に着いて、龍之介がまず初めにしたことは、コミュニティサイトに書き込みをすることだった。  家族や友達には言えない、事柄や気持ちを、龍之介は時折り吐き出さずにはいられなくなる。そんな時、顔も知らない誰かに自分のことを話すのは、ある種の毒抜きのようなものだった。  虚実入り乱れたこの世界では、好意的なコメントも、説教や悪意に満ちた中傷も、龍之介にとっては、すべてがフィクションでしかなかった。実際、龍之介の話もまるでフィクションのようだと、文字におこされた自分の言葉を覚めた目で眺めている。  それでも、この行為をやめないのは、自分に起きた物事を客観的に見つめることができるからだった。  あの後、倉部に言われたように警察庁に問い合わせた龍之介は、電話口に呼び出した柴崎という男から『come back home』の電話番号を教えてもらった。  電話番号を調べるのも、自らそこに電話するのも不思議な気持ちだった。まるで誰かに操られているかのように、物事は進み、家に架かってきたときに話した倉部という男が龍之介の電話に出て、待ち合わせの場所にこのコーヒーショップを指定したのだった。    僕がしたことは、開けてはいけない箱の蓋をこじ開けることだったのだろうか? ***    龍之介からの電話を受けた『come back home』の事務所では、ちょっとした興奮状態にあった。  龍之介と直接話をしたのは、倉部であったが、その倉部でさえやや舞い上がっているように見えた。 「本当に、電話架かってきましたね」  鬼海が上気した顔で、誰にともなく話し始める。 「自分にも、とうとう後輩が出来るってことですよね? あ、まだ分からないか。でも、来てくれたら良いなぁ」 「未成年だの、なんだのと渋っていたのは鬼海じゃなかったか?」 「言いましたねー。ミイラ取りがミイラになるとも、言いましたねー。だけど、やっぱり新しい人が来るって良いですよ。そりゃぁ、問題は山積みですけどね」  そのやりとりを黙って聞いていたユキは、鬼海の言葉を受けて、大きく頷く。 「確かに、新しい人が入ることで事務所の雰囲気も変わりますよね」 「それにしても、今日のきょうに会いに行くなんて、大丈夫なんですか? 自分だったら逃げたくなっちゃうような……」  倉部はそんな鬼海を見て、顔の片方だけで笑う。 「逃げられないように、今日会いに行くんだろうが」 「……こっ怖ッ。怖いですよ。倉部さん、顔、顔が悪人ヅラですよ」 「大丈夫。元からですよ、鬼海さん」  ユキが真顔で相槌をうつ。 「さて、行って来るかな」  倉部はユキの言葉に無視を決め込むと、椅子から立ち上がり、尻の下にあった皺だらけのスプリングコートを羽織る。 「その皺だらけのコート、着て行くんですか?」  鬼海は倉部の上から下までを眺めて、嫌そうに顔をしかめる。 「マズイか?」 「いやぁ、ないっすわ。正直、胡散臭うさんくさいオッさ……いや、中年男性ですよ」 「鬼海さんが、代わりに行ったらどうですか?」  ユキが小さく首を傾げながら言う。 「こいつはコイツで、怪しいだろう。それに、電話で話していた人間と違うのが来たら余計な不安を与えるだけだ」 「それもそうですよね」 「……ユキさん? あれ? 自分は怪しくはないですよね?」  ユキは表情を変えずに鬼海を一瞥すると言った。 「鬼海さんのすごいところは、自覚がないところです」 「……本気ですか?」 「冗談ですよ? ……あら? 鬼海さん?」  にっこり笑って首を傾げるユキを、鬼海は恨めしげに睨む。 「仲良しごっこは、そこら辺で終いにしとけよ」  倉部は携帯電話で電車の時刻を確認すると、スプリングコートのポケットに無造作に突っ込んだ。 「早ければ、二時間以内には落ち合えるな」  もしかしたら、運が向いて来たのかもしれない。それが何を引き寄せることになるのか分からないが。 ***  龍之介が、フラペチーノの最後のひと口を啜り終えた時、よれよれのスプリングコートを羽織った男が視界の端に入った。  40代中頃だろう。  誰かを探して視線を彷徨わせている。  背が高く、痩せ型だが筋肉質で、しっかりとした足取りは自分に自信があるように感じられる。  だがその顔つきは、迷子の子供を探しているように不安げだ。    この人が、倉部という男ではないだろうか?    スプリングコートを着ているあたり、この辺の人ではないと龍之介は当たりをつける。この辺りは春といえども朝晩は、まだまだ冬のように寒い。よほど服装にこだわりをもった、いわゆるオシャレな人でない限り、この辺りでスプリングコートに袖を通すなんてことはしない。  オフィスカジュアルと呼ばれる格好に、よれよれのスプリングコート?   それに今日は平日だ。  今このコーヒーショップに居る、同年代くらいの昼休憩をしている男性は、押し並べてスーツを着ているし、オフィスカジュアルな格好の人は出張で来ているようで、キャスター付きのスーツケースを足元に置いている。  そして何よりも違和感、を感じた。  うまく言葉にできない何か、ちぐはぐなもの。  倉部と思われる男の視線が、自分を捉えられるように龍之介は立ち上がった。  倉部は視界の端に、立ち上がる動作を捉えてそちらを見る。   久原龍之介だ。  間違いない。  倉部は大股で近寄ると、龍之介の目の前に立ち、自己紹介をした。 「はじめまして。龍之介くんだね? 倉部です」  龍之介は倉部を見上げると、少しほっとした様子で答えた。 「久原龍之介です。詳しい話が聞きたくて、電話しちゃいました」  倉部は頷くと、龍之介に尋ねる。 「昼は済んだ?」   龍之介が、はいと答えると倉部はそのまま座っているように身振りで促す。  龍之介が席に座ると、一旦その場から離れた倉部は、自分の食べ物と飲み物を手に戻って来た。 「悪いな。飲まず食わずだったから、食べながら話をさせてくれ」  コートを脱ぎながら、椅子に腰掛ける。  龍之介は向いに座った倉部が、食べるのを興味深そうに見ていた。  一見すると粗野な感じのする倉部であるが、食べ方に品があるのだ。粗野な素振りは、演技なのだろう。 「電車で一時間は近いんだか、遠いんだか」  倉部がコーヒーを飲みながら、そう言ったので龍之介は苦笑する。 「……微妙ですよね。僕の父親も都内に通勤しているクチですけど」  実際に面と向かい合い、倉部と話してみるとそのちぐはぐな感じ、が何となく分かったような気がした。  倉部は相手に合わせて自分を微妙に変えている。親しみやすいように。いや、なるべく警戒心を抱かせないために。粗野な振舞いは、それを気取らせないための擬態だ。 「……倉部さん。兄の話って、一体どんなことなんですか?」  単刀直入。  龍之介の若いゆえの無謀なその問いに、何から話すべきか迷う倉部は、紙ナプキンで口元を拭うとそれを丸めながら、再びコーヒーを口に含んだ。 「……うん。まずはこの写真を見て欲しい」  倉部はジャケットのポケットから、三枚の写真を取り出すと、そのうちの一枚を龍之介に手渡す。 「これは?」  その写真には、後から穴を開けたと思われる一枚の硬貨が写っていた。 「いわゆる一万円硬貨だよ。店で実際に使われるところだった。ま、偽物とされて通報された。当たり前だろうな。昭和六十五年という刻印があるだろう? 昭和六十五年というのはあり得ないんだ」 「記念硬貨とか、オモチャとかじゃないんですか?」  龍之介の答えを聞いた倉部は、面白いことを言う子だ、と思う。 「どうして?」 「うーん……。記念硬貨って結構ありますよね? でも偽物って分かるくらいだから昭和六十五年に完成予定だった何かの為に前もって作った硬貨の試作品とか、昭和六十五年がないからこそのオモチャとかかなって思ったんです」  倉部は、オモチャではないな、と言った。 「捜査機関が、この一万円硬貨を鑑定にかけてみたら鋳造技術も大蔵省造幣局と比べて遜色ないレベルだわ、高価な希少金属が使われるわで驚いたそうだ」 「記念硬貨でもないんですか?」 「一万円の記念硬貨なんて、見たことあるか? ちなみに、俺はない。この硬貨の裏に描かれてる橋、これの記念だとしても実際にはこんなもの存在していない。何処にもない場所なんだ」 「じゃあ何ですか? 誰が何のためにコレを作ったんだろう?」  龍之介は首を傾げる。 「巷ではこの写真の硬貨は、パラレルワールドが存在する証拠だと言われている」  倉部はそう言ったあと、今度はポケットから実際に一枚の硬貨を取り出した。  テーブルが、カチリと音をたてる。  それは昭和六十五年の刻印がある五百円玉だった。 「これも偽物ですか?」  龍之介が硬貨を手に取り、しげしげと眺めた。デザインも手触りも、普段使っている五百円玉と何の変わりもないようだった。 「いや、違う。これは、俺が向こうの世界から持ち帰った硬貨だ。つまり……実際のところ、並行世界は存在するということだな」
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