第2章 Case 1

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第2章 Case 1

熊谷ユキの場合 ①  天気予報アプリを開いて、向こう一週間の天気を確認する。  晴れ、晴れ、曇り、曇り、曇り晴れ、曇り雨、雨……。  さらに予想気温を見ながら、一週間分の洋服を用意していく。この一週間は、例年よりも暖かく、春の日差しを満喫出来るでしょう。との文面を読みながらも、雨予想の傘マークが脳内にちらついて離れない。  熊谷ユキは、きちんと並べられた洋服を見て、満足気に頷く。    よし、大丈夫。  きちんと準備はしてある。  三日以降の予報は、確率性が低いため心配し過ぎるのはよそう、と思う。ただ、三日目の曇りが雨になるかもしれないと考えて、背筋がぞわりとする。  一人で暮らしていると時々、突然訳の分からない恐ろしさに襲われることがある。絶望的に暗闇が怖かった子どもの頃のように、叫び出したくなるくらいの恐怖に支配される。  部屋中の明かりをつけても、突然黒い鏡に姿を変えてしまったテレビに何が映るのを恐れて、観る番組なんてないのに慌てて電源を入れても、恐怖は拭えない。  自分の背後に居る『誰か』あるいは『何か』が、ひょいと何かの拍子に目に映るような気がして、部屋のカーテンできちんと閉じられた窓ガラスはもちろん、電源の入っていない携帯電話の真っ黒な画面。台所の蛇口。そのようなものにはちらと視線を送ることも出来ず、決して近寄らない。一旦、恐怖を感じてしまえば、先程まで何の気無しに飲んでいたコップの中の液体にも視線が向けられなくなる。  そうなるともう何をしても駄目だと、分かっている。  いや、何かをしようとしても駄目なのだ。  誰かに電話しようとして、それが繋がらなかったら?   違う。『何か別のもの』に繋がったら?  部屋から出ようと立ち上がった時、目の端に『何か』がよぎったら?  目を瞑って『誰か』に肩をたたかれたら?  その恐怖は夜とは限らない。  休日、明るく暖かい昼過ぎにも、突然やってくるのだ。  そう。雨になるかもしれない、と思ったその瞬間にぞわりとした背中から。  ユキは慌てて、その恐怖を押し込めようとする。  今ならまだ間に合う。  間に合うのだろうか?  首筋に手を当てて、努めて冷静を装う。  心臓が早鐘を打ち始める。  まだ明るい窓の外に目をやるが、ガラスに映る自分が見えた瞬間、敗北を感じた。    逃げなきゃ。でも、何処へ?  いつも持ち歩いている鞄に、財布と携帯電話を放り込み、震える手で窓の鍵を確認すると部屋を振り返ることなく玄関へ急ぐ。  玄関のドアの防犯レンズが、ユキを誘っている。   『さぁ、覗いてみてごらん。外は安全か、確認しなくてはならないだろう?』  そうして覗いたそこに、何があるのか。  そう……レンズを覗いた先に、こちらを覗き込む眼玉があったら?   身震いをして嫌な考えを払う。  ユキはレンズを覗くことなく、取っ手に手を掛けドアを開ける。  外に出たら今度は部屋から見られているような気がして、下を向いてレンズから目を逸らしたまま鍵穴に上手く鍵を刺そうとして焦ってしまう。  ガチャ。  あとはもうひたすら誰か人のいる所に行こう、と今にも駆け出しそうな自分を諫める。  まずは近所のコンビニ。  顔見知りの店員がいれば、ひとまず安心できる。内容なんて無い、お互いのお愛想話に笑みを浮かべるだけで、少しは気分も変わる。そこで落ち着いたら、行きつけのネットカフェに行く。パソコンの画面にストールを被せてしまえば、あとは人の気配を感じながら漫画を読んで時間をやり過ごすのだ。    今日はもう自宅には帰れそうになかった。
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