最終章 Case 4

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Case 4 兄と弟 朔太郎④  朔太郎は、久しぶりに実家のある駅に降り立っていた。  新年度が始まる前に少し帰省して来てはどうかなと、紬に言われ、半ば無理矢理バイトの休みを取らされたのである。  院に進学予定の朔太郎は、就職活動とは無縁だったせいもあり、かなり自由な……本当のところはかなり暇を持て余した春休みだった。  それならいっそのこと、バイトをたくさん入れて紬とのんびり店番も悪くない。もしかしたらもしかして、紬との間が進展するんじゃないかとの皮算用をあれこれしていた朔太郎に、青天の霹靂とはまさにこのことである。  やましい思いなど、ほんの(?)少し(?)だったそれさえも見透かされていたかのような紬の発言に、朔太郎は大いに狼狽した。  あるいは、この春から院に進学が決まった紬を追いかけるように、朔太郎も院に進学するつもりなのが気に障ったんだろうか。  いやいや、そんなわけはない。  紬が院に進学するのを知ったのは最近で、てっきりこの本屋にそのまま勤めるんだと思っていたんだから、それは誤解もいいところだと、朔太郎は言いたい。  それに言うもなにも、人の気持ちに鈍感な紬は、朔太郎の丸わかりな好意には全く気付いていないようだし。  もしかして、ぐるっと周って既にフラれていた? え? いつ?  さまざまな考えが高速回転で朔太郎の頭の中を駆け巡り、軽い目眩を覚える。  年末年始に帰ったばかりだから、帰省する必要もないのだと紬に言ってはみたものの、なぜかその一方で朔太郎の脳裏にふと幼い弟の(今では明瞭には思い出せない)顔が浮かび、言葉尻が弱くなったのを紬が曲解したものだから、さらに事態は悪い方向へ行く。 「……そうか、やはりな。少ない人数のバイトで回しているとはいえ、朔ちゃんを頼りにしすぎていた。休みを申し出るのを難しくさせていたようだな。店長として行き届かず、すまない」  紬はぺこり、と小さくて形の良い頭を少しだけ下げると、やや上目遣いで朔太郎を見て続けた。 「シフトは、わたしが何とかしよう。……だから、無理せず長くバイトを続けてくれると、ありがたい」 「……!」  見上げてくる紬のうっすらと潤んだ目を前にした朔太郎は、その可憐な姿に心の中で悶絶しながらも、誤解ですと叫びたいのをぐっと我慢した。もうここで休みを断るのは更なる誤解を生むに違いないと即決したのである。 「……休みを、頂きます」  ふっと目元が緩み、安堵した表情で紬はやがて花の蕾がゆっくりと綻ぶような笑顔を向けて、言った。 「そうか、良かった。朔ちゃんが居てくれて、本当にありがたいんだ」  その笑顔を見ながら、やはり従業員ただのバイトとしてしか見られていないんだろうか、と朔太郎は情け無く思う。  思い切って朔太郎は「紬さんに頼りにされるのは、どんな時でも嬉しいですよ。だから、いつでも頼ってくれて良いんですからね」と言ってみる。 「そうか。ありがとう。今のところ特にないから、大丈夫だ」  そう無邪気に、にっこり笑う紬を見ながら朔太郎は、その答えが鈍感ゆえなのか、優しい拒絶なのかの区別がつけられず「じゃあ、その時はぜひ」と言っている自分の口を、そうじゃないだろう! と、ガムテープで貼り付けたい衝動に駆られたのだった。  ふうとため息を漏らす。  顔を上げたバスを待つ朔太郎の目に、懐かしい公園が遠くに見えた。  今日いつ帰るとも家には連絡していないし、公園を散歩して久しぶりに思い出だらけの図書館にでも寄って、少し時間を潰そう。  バスが近づいて来るのが見えたが、朔太郎は踵を返すと公園へ向かって歩き始めた。
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