2人が本棚に入れています
本棚に追加
実際に仕事を始めると難しいことは何一つなかった。本当に月に一度だけ孤児院に足を運び、椿から預かった寄付金を渡す。そして「子供たちの様子を見せてください」と言い、一時間だけ遊びに付き合う。残りの日は全部自由時間で月収三十万もらえる上、食事も寝床も花京院家が全部世話をしてくれる。最初はうさんくさいと思ったが、ルリの刺々しさは相変わらずだが、それが仕事のやりにくさに直結することはなかったし、椿は第一印象と同じく柔らかな性格の家主だった。おいしい仕事にありつけたと尚人は大満足だった。椿からは「あなたは花京院家のことをご存知かしら?」と聞かれたことがあるが尚人は「知りません」と答えた。
一週間前に転入してきたばかりの尚人にとっては、本当に何も知らないのだから、それしか答えようがない。椿はにこっと微笑んで「それならいいの」と言った。椿のいない所でルリからは「詮索厳禁。知ったらクビ」と冷たい表情で言われたので、怯えながら黙って頷いた。
また、寄付金を孤児院に渡す際も「花京院の名前は絶対に出してはいけない」と念押しされた。
「じゃあ誰からと言えばいいのですか?」と尚人は言った。
椿は優しい微笑を携えながら「あなたが寄付しているということにすればいいのよ」と答えた。顔は笑っているのに、瞳だけ哀しそうに見えたのは気のせいだろうか。
寄付金は花京院が出しているのに、その名前は出さずに自分からと言えということらしい。
「昔お世話になった人がこの土地に住んでいたから恩返しで、とか適当に理由を付ければいいのよ」と椿は言った。後ろめたい気持ちがあったが尚人は黙って従った。
アニメのタイガーマスクも、日本に実在するタイガーマスクも施設に寄付をしていた。尚人自身も同じように寄付はしているものの、自分はあくまでも「届けているだけ」である。寄付をしているのは花京院の主である椿だった。
だから尚人は「これじゃあ偽りのタイガーマスクだな」と言った。
呟くように独り言のつもりで言ったのだが、椿には聴こえていたらしい。
「そうね、だけど子供にとってはあなたが間違いなくタイガーマスクよ」と椿は笑った。ルリも「励みなさい」と無表情で言った。それは尚人を励ましてくれたのだろうかと、首を傾げる。ルリはそんな尚人の様子に見向きもせずにその場を去った。やっぱり何を考えているのかさっぱり分からないと、尚人が小さく肩をすくめると、椿が右手に口を当てて笑っていた。ルリは感情表現に乏しいので誤解されがちだが、人と話す時点でその人に心を開いているんだとそっと教えてくれた。そっけない態度だと思ってはいたが、嫌われてはいないようで安心した。
最初のコメントを投稿しよう!