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孤児院に通い始めて一年が経った。面接を受けたのは、桜の季節が終わり、新緑真っ盛りの時期だった。外の新緑を見て、早い一年だったと、柄にもなく物思いにふけってしまう。孤児院の子供と接すると自然に色々なことにも気付く。
まず孤児院には親に捨てられてしまったり、病死で親と離れたりした幼い子供が暮らしていること。大半の子供は不憫な思いをしているにも関わらず、とても楽しそうに孤児院で過ごしていること。毎月寄付金を渡し、子供たちのいる部屋に行くと、人懐っこい笑顔で尚人を出迎えてくれること。この仕事をしていなければ、尚人が決して見ることのなかった景色である。子供は嫌いではないが、自ら「地域の福祉に貢献したいです」と声高に名乗り出るタイプでもない。謎の多い仕事ではあるが、遣り甲斐は感じていた。孤児院の中でも「菫」と呼ばれる一歳の女の子が一番尚人に懐いてくれていた。
孤児院から帰ると、尚人はすぐ椿の部屋を訪ね、ふかふかのソファーの上で全員の子供達の様子を細かく聞かせた。椿は丁寧に相槌を打ちながら話を聞いた。菫の話になると顔をひと際輝かせた。尚人は何となく察しがついていた。事情があって離れて暮らすことになった妹とか、訳ありの家族なのかもしれないと。だからまったく事情を知らずに県外から転入してきた尚人のような人物を雇って、菫の様子を見に行かせたかったのかもしれない。そう思うものの、ルリからは恐ろしい剣幕で詮索厳禁と言われていたので、尚人も聞きたい衝動を抑えながら、気にしないように振る舞った。
そんな謎が多くも、ちょっと変わった平和な日々は、尚人が花京院家に仕えて五年後、三十歳になった年に急展開を迎えることとなった。
二月の寒い日、尚人が外に出ていると近所の噂話が耳に入った。道端で四十代と見られる主婦たちが四人ほど固まって話をしている。
「花京院さんの所でしょう?」とそこだけが強調されるように聞こえてきたので、尚人は歩調を緩め、怪しまれない程度に近付いた。あくまでも通りすがりの人を装う。尚人が花京院家に住み込みで働いていることは誰にも知られていない。孤児院に行く日以外はほとんどを屋敷内で過ごしていたので、たまに尚人が外出をしても気に留める人物はいなかった。
「かわいそうにねぇ」「もう長くないんでしょ?」「あそこの家系は皆短命なのよね」
短命。
その言葉が尚人の腹の辺りに重くのしかかってきた。きっと椿のことを言っているに違いない。
花京院家は皆短命なのか。確かに椿の両親に尚人は一度も会ったことがない。屋敷に住んでいるのは主の椿とルリ、そして使用人が数名程度。椿の親が話にすら出てこないのは、もう亡くなっているからなのか。それなら椿も、そして孤児院で暮らす菫も、遺伝が原因で早くに亡くなってしまうのか。菫は会うたびに愛くるしい笑顔を尚人に向けてくる。今はもう六歳。来月は菫と同じ年の子供にランドセルを寄付することになっている。命あるものいつか尽きるとは言うものの、椿や菫の笑顔が人よりも早く失われてしまうと思うと、左の胸が痛んだ。
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