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五郎先生の家は、古い。それでも、都内の一戸建てに一人で住んでいるのには驚いて、教師の給料でどうしているのか事情を尋ねると、「父親が面倒見ていた女の人の実家」と、返された。余計に混乱したけれど、先生曰く、「複雑な家族関係には前の時から縁があるんだよ」とのことで。確かに前生では、子供の頃に叔父の家に跡取りとして貰われて、そこの娘である、いとこで幼馴染の私と夫婦になったのだから、そういうこともあるかと納得した。まあ、時代が違うのだけれど。
「そっちの部屋は治療中の猫を隔離してるから、開けないどいてな」
そう言って指差された部屋には、先週まで別の猫がいた。良い飼い主が見つかって貰われていくと、またすぐ次が来る。
「捨てられてると、放っておけなくて」
頭をがりがりと掻いて無頓着に笑う。その曇りの無い面差しに、ふと、兄様を見る。お日様のような五郎兄様。しかし、先生のその顔はすぐに曇るのだ。私の、他愛ない失敗によって。
「痛っ」
「どうした?」
「だいじ……」
先生の顔に、さっと暗い影が指す。
「床板がささくれ立っていて、棘が刺さっただけ。すぐに取れます」
「見せて」
ひょこひょこと片足で二歩三歩近付き、畳に座り込んで靴下を脱ぐ。
「親指の付け根あたり。でも、自分で……」
胡座をかいた先生の正面におずおずと片足を差し出すと、足首を掴んで、くっと自分の目の高さまで持ち上げられたから、倒れそうになって床に肘をついた。
「悪い、ちょっと我慢な。苦しいだろ。寝転がってろ」
そう言われたけれど、だらしないようで憚られて、寝転がらずにいる。それに、真剣な顔して私の足の棘を抜く先生を、見ていたい。
学校ではお互い、素知らぬふりをしているけれど、二人になると、存外にこの人は私を甘やかした。この家にいる、拾ってきた犬猫と同じように。世話をして、褒めて、構って、弱っているほど慈しむ。その姿に、私は不安になるのだ。兄様は、若く逝く妹を見捨てられなかっただけなのではない?
そんな疑心暗鬼に囚われた私は、一度飲み込んだ呪いの言葉を、わざと口にする。
「大丈夫よ」
その一言で、先生は顔を上げる。見開かれた目からは不安が零れ落ちそうで、開きかけた口は言葉を紡げず呼吸もできない無能。掴んでいた足を下ろし、私が何処にも行かないように、二度と置いて行かれないように、伸び上がって私を抱き止める。
私は、年上の恋人の、捨てられた犬のような健気さに息を詰まらせながら、何も言わずに背中を撫でてやる。
この人の心には、棘が刺さっている。刺したのは、私。
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