***哀愁のユーチューバーにふーチャンプルーを***

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***哀愁のユーチューバーにふーチャンプルーを***

 2021年秋。この二年で世界は一変した。  昭和レトロな古い家屋が立ち並ぶ星崎町とて、例外ではなく、お弁当屋ぽーぽーがまだ現在も営業を継続していることの方が奇跡と言っても過言ではない。  テイクアウト中心とはいえ、小さなテーブル席でお弁当を食べながら寛いだり、店主のあかりと談笑するのを楽しみにしているお客さんも少なくない。それなのに、緊急事態宣言が発令される度に、イートインコーナーを閉めなければならない。あかりはあの頃の苦悩を思うと、胸が苦しくなる。  早朝の公園を散歩して、ついでにお地蔵さまにそっと手を合わせ、コロナ収束を祈る。いつからか日課になったルーティンの一つだった。 このお地蔵さまは、一時はお参りする星崎町町民で、列ができたほどだ。医療崩壊で入院もままならなくて、救急車のサイレンが聞える度にびくっとした春先のことだ。もう二度とあんな不安な日々を過ごしたくはない。 「どうぞこのまま収束に向かってください」  商店街の入口にある小さなお地蔵さまには、荷の重い願いだと思うが、祈らずにはいられないのだ。  「こんばんは」と常連の古田さんがパート帰りに顔を見せた。 「いらっしゃいませー、今日は出勤だったんですね」 「そうなのよ、急に呼び出されちゃって~。でも仕事があるだけ、感謝しなくちゃね。あかりちゃん、いつものやつ、二つ」 「かしこまりました」  玉子焼きを焼いて、ポークランチョンミートを油を敷かずにさっとソテーする。  せん切りキャベツ、玉子焼き、ポークを乗せて、アンダンスー(油味噌)を少々。沖縄のソウルフード『ポーク玉子丼』が完成。 「ねぇ、それって河井さんやないの?」  ノートパソコンにはさっきまであかりが見ていた動画サイトが開いたままだった。 「そうそう、河井さんユーチューブデビューしたのよ」 「ええ~、ほんとに? 意外ね」  古田さんはさらに画面を覗きこんだ。河井さんはカラオケでいつも歌っているよりは緊張してよそゆきの言葉で話していた。 「すごいね、河井さんユーチューバーなんだ」 「ですよね~」  今年の夏から河井さんはカラオケの指導のような動画を上げ始めて、高齢者を中心に評判だと、うれしそうに教えてくれた。 「趣味のカラオケで全国に仲間ができたと喜んでらっしゃいました」 「なにが役に立つかわからんもんやね。ただの道楽やと思ってたけど、すごいやん」  古田さんはにっこりして旦那さんと二人分のポーク玉子丼弁当を買って帰った。  夫婦で沖縄旅行に行って以来、このポークと玉子の、シンプルにしてベストマッチな味に魅せられたらしい。 まだ旅行に行くのはためらうけれど、お弁当でタイムトリップできるなら、とテイクアウトするお客さんは案外多い。常連のお客さん中心に、お店が無くなったら困るから、と応援の意味を込めて、買いに来る人もいて、ありがたい限りなのだ。 「今日も河井さん、来ないな、忙しいのかなぁ」と思っていたら、午後から出かけていた義母の小夜子が帰ってきた。 「お義母さん」 「ほら、また、お義母さんって言った」 「あ、ごめんなさい。……小夜子さん」 「それで、よし」 「小夜子さん、今日は何の集まりでしたっけ?」 「今日はヨガよ。やっとジムが再開したんだもの、フルで活用しなくっちゃ。明日の夜は星崎町の役員会だし、忙しい忙しい」  あかりと小夜子が同居して四年半が経った。元々気が合う同志だったが、今では何でも話せる親子のような関係になった。幸い、この間小夜子も大きな病気をすることもなく、健康に過ごすことができていた。 「河井さん、来ないですね。もう一週間も顔見てないんですよ。動画も更新されてないですし」 「本当ね、どうしたのかしら」  そんな話をしていたら、閉店間際の九時近くになって、河井さんがやって来たのだ。 「弁当あるか?」 「えー、もう全部売り切れましたよ、ちょっと早いけど、閉めようと思ってたところやのに」 「腹へった~、何もないんかいな」  椅子にドカッと倒れるように座って所望され、「残っている材料で適当に作りますから、ちょっと待っててくださいね」とあかりは調理場に立った。 「おしゃれして、どこか出かけてらしたんですか」  あかりの側で野菜を洗う小夜子が訊いた。 「実は今日はな、初デートやってんけどな」 「えっ?」  あかりと小夜子は思わず、顔を見合わせた。  またか、という思いが脳裏を走った。 雪乃さんとの一件があって以来、河井さんに女性の話は避けていたのだが、一体どうしたのだろうか。 「まあ、色々あってなー」  と言ったっきり、河井さんはそれ以上話すことはなかった。 「豆腐が無いんで、豆腐抜きのゴーヤチャンプルーですけど」  にんじん、もやし、玉ねぎ、ゴーヤにポークを炒めて玉子でとじ、隠し味に島ラー油をちょっと振りかけたおかずをメインに、作り置きの金時豆、胡瓜の浅漬け、島らっきょうの塩漬けを詰めた簡単弁当だ。 「美味そうやな、家帰っても一人やし、ここで食べさせてもろてええか?」 「いいですけど」 河合さんは返事を待たずにもう食べ始めている。あかりは急いでアーサの味噌汁を作ってテーブルに置いた。 「デートやったのに、何も食べてはらへんのですか?」  と聞きたいところだったが、河井さんが話さないのは話したくない事情があるのだろうと、思い黙っていた。 「あー、美味かった、これいくらや?」 「ええですよ、残り物で作ったものやから、代金はいただけません」 「またそんなことゆうてからに、はい、釣りはええから」 「そんなもらえません、って」 「ええから、ええから」 そう言って千円札を置いて河井さんは帰って行った。 「河井さん、初デートだというのに、うかない顏してたわね」 「今度こそ、うまくいくとええんですけど」 「雪乃さんの時はお気の毒だったわね」 「結局、一緒に住み始めて一カ月しか持ちませんでしたね」 「タンス貯金百万、持ち逃げされて」 「河井さん、そうとうしょげてたから、もう女の人を好きになることもない、と思ってたんですけどねぇ」 「あら、いくつになっても、男は男よ」 「そうかもしれませんねぇ、河井さん、一途なところがあるから、ちょっと心配やわ」  あかりは洗い物の手を止めて、ぽーぽーを見た。今夜も器用に水槽に寄りかかり、立ったまま眠っている。最近、お気に入りのポーズなのだ。
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