世界は五分前に登録したアルバイトで始まった

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「じゃあ、明日の水曜日に大学で授業を受けて、終わったらここに戻ってきてね。これ、学生証と授業道具一式。頼んだよ、『林大悟(はやしだいご)』くん」 「わ、わかりました」  黒いカーテンのスペースから出てきたのは面接担当の男性、そして渡されたカバンを持った介斗だった。  しかし、もう介斗は介斗ではなかった。彼は黒いカーテンの中で「林大悟」という大学生に変身させられたのだ。  彼が応募したアルバイト、それは短期間他人となって過ごす、面接担当の言葉を借りれば「他人に変身する」というものだ。  どうしてもやりたいことがある、しかし学校や仕事でその時間が取れない……そのような悩みを抱える人はこの世に少なからず存在する。それを解消する裏の事業が「変身代行」という仕事である。依頼者と同じ性別、近い年齢層のアルバイトを派遣して依頼者の代わりに学校や会社に行ってもらい、依頼者は自分の好きなように時間を過ごす。手数料のうち四十パーセントがアルバイトに支払われるのだが、それでも一日十数万円が稼げるので価格はそれなりに高い。  そこまで聞いたときには、容姿の違いはどうするのかという疑問が介斗の中にはあったが、それも問題はないと説明された。  ここで出てくるのが、オフィスの一角にあった黒カーテンのスペースである。  面接担当に連れられてカーテンの中に入った介斗が目にしたのは、小さな丸い机と二脚の椅子である。それらが上から吊るされたオレンジの豆電球の明かりを受けている様子は、さながらお化け屋敷か占い師の店といった雰囲気だ。 「ここでメイクアップをするのさ」 「メイクアップ?」  介斗は自分には縁がないであろうと思っていた単語に目を見開いてしまう。 「メイク中は目をしっかり閉じてもらうし、方法も明かすことはできないけど、終わったときには君は完全に別人になっている。もちろん、元に戻ることもできるから安心してほしい」  半ば強引に介斗を椅子に座らせる面接担当。いよいよ怪しさが本格的に色濃くなってきたが、介斗には思い切って逃げ出す度胸がなかった。  そのまま目をつぶり、謎に包まれたメイクアップを受ける介斗。面接担当の手は介斗の頬や目の周りを撫でまわしたり、粘土の形を整えるようにあちこちを軽めにつねった。  しかし驚くべきことにそれだけで、再び目を開けたときには、介斗の顔付きは介斗のものではなくなっていたのだ。 「今から君は『林大悟』という大学生だ。指定の大学で、今日の午後の授業を受けてほしい」 「つ、つまり、俺はこれから林大悟って人になりきって過ごすってことですか?」 「その通りさ。でも今言ったように、なりきりは今日だけ。大学の場所とか交友関係の基本データはスマートフォンに送るから心配無用。仕事が完了して帰ってきたらその場で現金支給って流れ」 「は、はあ……」 「大丈夫。一日だけ他人が入れ替わっていたとしてもバレるケースはほぼないと言ってもいい。僕たちもできる限りのサポートはしてみるから、試しに今日の仕事をやってみてほしい」 「……わかりました。できるだけ頑張ってみます」 「素晴らしい! その決断の良さは若いうちにどんどん経験するといいと思うよ!」  テンションが上がった様子の面接担当に背中を叩かれ、介斗は、いや大悟はマスカレードのオフィスを後にした。
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