アイデンティティ、再鋳造

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「伊坂君、申し訳ない。メイクを落とすことが今は出来なくなっているんだ」  マスカレードのオフィスに戻った介斗は、面接を担当した男性に言われたその言葉の意味を飲み込むのに数秒の時間を要した。 「落とせないって、どういうことですか? 俺は他人の顔のままってことですか!?」 「落ち着いてくれ。そうだな……まずメイクアップっていうのは、簡単に言えば仮面のように『顔を付け外し』しているようなものだと思ってほしい。詳しくは企業秘密だけどね」  面接担当は目を閉じて眉間に皺を寄せた。その表情に釣られて、徐々に不安に包まれていく介斗。 「じゃあ、俺は自分の顔を外しているってことですか?」 「呑み込みがいいねえ。その通り、今君が顔に付けているのは『松岡大志』が貸し出した顔なのさ」 「それで、どうして俺の顔を戻せないことになるんですか?」 「これも詳しくは話せないけど、顔っていうのは外してから長時間どこかに保存するってことができないんだ。顔は必ず誰かの顔に貼り付いていなければならない……つまり、今君が外している『伊坂介斗』の顔は別の誰かが付けているのさ。ただ、今『伊坂介斗』に変身しているウチのスタッフが今日の午後、交通事故に遭ってね。申し訳ないんだが、君の顔は……かなり損傷しているらしい。君に返すことを躊躇うくらいには、ね」  事情が理解できてきた介斗の顔がみるみると青ざめていく。そのような介斗から目を逸らし、面接担当は言葉を続ける。 「それに、君が今付けている『松岡大志』の顔も持ち主に返却しなければならない。そろそろ持ち主が指定した返却時間だからね」 「でも、それじゃあ俺の顔には何もなくなるってことじゃないですか! それとも、怪我した顔を貼り付けるつもりですか!?」 「残念だけど、そういうことになるね。僕たちはやっていることが大っぴらにできないから、何の補償もしてあげることができないんだ」 「無責任、無責任だ!」  介斗は今にも泣き喚きそうな表情だ。顔を失うということは具体的にどのようなことかわからないが、今までのような生活に戻ることはできないだろう。事故に遭った「伊坂介斗」の顔は、どのくらい傷付いているのだろう。一生残るような傷があるのか、それどころではない欠損があるのか…… 「伊坂君」  不意に面接担当に肩を叩かれ驚いた介斗。面接担当は気持ち悪さを覚えてしまうくらいの奇妙な笑みを浮かべていた。 「僕としても、今の状況は君にとってあまりに理不尽だと思う。そこで君にはナイショの救済策を紹介しようと思う」 「きゅ、救済策?」 「そう。少しばかりお金はかかるけど、綺麗な顔が取り戻せる、素敵な救済策さ……」  面接担当は介斗に耳打ちしてあることを呟いた。それは易々とは信じられない奇怪な話であったが、いきなり絶望の谷底へ突き落された介斗を救い上げる一本の糸でもあった。
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