あなたが誰か知らなかった

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 香菜は俳優さんのことはよくわからなかったが、自分の経験と重ね合わせ、同情のような義憤のようなものを感じていた。 「なんだかんだ、まだ結婚して、子供を、家庭をって風潮強いですよね」 「ですよね! テレビもあれこれ配慮配慮言うのに、独身はいじっていいみたいな風潮があって、納得いかないです」  昼の事を思い出し、香菜は溜息をついた。 「私も29歳だからそろそろとか言われていて……。全体の話だと、多様性とか個性を尊重する生き方とか言うのに、結局は結婚して一人前みたいな態度をされて……」  香菜は自分がお客さんに愚痴っていることに気づき、慌てて話を止めた。 「す、すみません。どうぞごゆっくり」  そそくさと離れようとする香菜をお客さんは呼び止めた。 「あの……」 「は、はい」 「後でちょっとお話をしたいのですが……よろしいですか」  サングラスを少しずらして、お客さんが問いかける。  顔の目元と口しか見えなかったが、その顔は先ほどテレビで見た、村瀬優紀にそっくりだった。  ちょっと話をするといっても、どこで話をしていいかわからず、香菜が店長に相談すると、店長が奥の席を使っていいと言ってくれた。  お客さんがかぼちゃケーキと紅茶を二つ頼み、香菜とお客さんの前に、それぞれかぼちゃケーキセットが置かれた。 「えっと……」  何か話さなければと思い、香菜が急いで口を開いた。 「目が悪かったわけでは、ないのですね」 (他に話すことがあるでしょう!)  香菜は心の中で自分にそう思ったが、優紀は申し訳なさそうな表情を浮かべた。 「すみません。嘘を吐くつもりはなかったのですが、最初にお店に来た時に、そう接客していただいて、今さら違いますとは言い出せなくて……」  最初に来た時の事を香菜は思い出そうとする。  優紀がSOZAIYAに初めて来たのは結構前なので、そこまでハッキリ覚えているわけではないが、確かにサングラスなのを見て、目の悪い人だと咄嗟に思ったことは香菜も覚えていた。  思えば優紀のほうが一度でも自分が目が悪いと言ったことはない。 「こちらこそすみません。その、私、そそっかしくて……」 「いえいえ。でも、そのおかげであなたが優しい人だなと知りました」  そこから優紀の声のトーンが落ちた。 「でも……そんなあなたも29歳だからそろそろ結婚言われてるんですね」 「そうなんですよー。今日もお客さんからそんな話が出て、そんなにつっこまれなかったから良かったのだけど、これ、30歳過ぎたらもっと言われるのかと思うと、もう……」  他のお客さんがいないこともあり、つい香菜の口から素直な本音が漏れる。  優紀は香菜の表情を見つめ、少しためらった後、香菜に提案した。 「あなたさえよろしければ……僕と契約結婚しませんか」
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