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翔太の話はこうだった。
放課後の暇つぶしに廃ビルに忍び込んだら、「こちら」にいたそうだ。
明らかに違う場所だと思うところに来ていて、大きくみれば同じ町なんだけれど、細かく店が違ったり建物が違ったりしているそうだ。決め手は自宅のマンションがこの世界には存在していないらしい。翔太が「こちら」に来るのはもう五回目で、いつも一時間くらいで強制的に「あちら」に戻るらしい。最初はただパニックだったけど、もしかしてパラレルワールドではと思ってからは「こちら」の自分がどうしているのか知りたくなって探しているそうだ。
なるほど、創作ではよくある話だと思った。それでも淡々と迫真の演技で語られる言葉にすっかり魅入ってしまい、熱心にその設定を聞いているうちに固かった翔太の顔にようやく笑顔が乗った。
「あの、こんな馬鹿みたいな話聞いてくれてありがとうございます」
「あ、いや、そのオレ実は作家してて、いろんな人の人生を知りたいと思ってるから、思わず聞き入ってしまったよ。あ、ごめん、ネタにはしないから」
「作家なんですか、凄っ、知ってる人かな、まあまあ本は読むんですけど」
「さっきの紙飛行機は没ネタ。ライトノベルだけど」
「あ、ラノベはあまり読まないですけど、本屋で見たことあるかも、名前、教えてもらえませんか」
いや、きっと知らないだろうと思った。それでも翔太の話を聞かせてもらったのだから名くらいは名乗らないわけにはいかないだろう。
ーー笑われないといいけど。
「あー、いざよいしぐれ、十六夜時雨っていうんだ」
「十六夜時雨さんーーすみません勉強不足ですね、分からなくて」
とりあえず中二病感満載のペンネームを笑われなかったことにほっとしながら、まあ翔太も中二病だからな、と自分を鼓舞してみる。
「そういや、こっちには好きに来れるの?」
「いえ、何度も試したんですけど、どうも条件でもあるみたいで。今のところ全部に共通しているのは夕焼けの時に、例の廃ビルのドアを開けると来れるっぽいです。普段は鍵かかってるからドア動かないけど、来れるときは何でかドアが開くのでわかるんです」
ふむ、これもよくあるネタっぽい。それでもしっかりネタを作りこんでるなあ、と感心する。自分もこの年頃からノートにネタを書き込んでいたが、もっとざっくりしていたような。
「そっか。で、戻るときは?」
「気が付いたら戻ってるって感じです。こっちでどう見えてるのかは俺にはわからないですけど、急に消えたりしたら騒ぎになってるんですかね? そんな話とか聞いたことあります?」
「いや?」
「じゃあ、違和感ないように消えるんですかね」
ふむ、戻ったときのことは「自分」にはわからないのもリアリティーがあっていい。この子はなかなか面白い、と十六夜はわくわくし始めていた。
「それで、こっちの世界で自分を探してどうするんだ?」
「ただ、幸せにしてるのかな、ってそれだけです」
それはもしや「翔太の今の世界」が幸せじゃないということなんだろうか。こんなイケメンで中二病だからいじめにでもあっているのだろうか。こんないい子をいじめるなんて許せない。
「そっかー、オレだったら平行世界の自分が今の自分より売れてて幸せそうだっら嫉妬で狂いそうだな」
「俺はーーこっちの俺は幸せだったらいいと思います」
その声が静かで、まるで厳かな祈りのようで、十六夜は思わず息をのんだ。翔太は幸せをあきらめている、そんな気がして、思わずその肩を掴んでしまった。さっきから距離感がおかしいオジサンだと思われているだろうか。それでも、なんとなく放っておけなくて。
「今の翔太君も、幸せ、だろう?」
翔太はキレイな顔に寂しげな笑みを浮かべ、そして、そのまま、まるで嘘のように「消えた」。
「は?」
翔太の肩をつかんでいた十六夜の手は未だ空に浮いたままで、その熱も残っているのに、まるで手品のように、翔太は消えてしまったのだ。
「いや待てそんな訳あるか」
手品か、どっきりか、この下に穴が開いていて姿を消したとか、そんなまさか、だって、本当に「平行世界」からきたなんてことはありえない。そう、ありえないだろう?
けれどどうしても翔太の姿を見つけられず、残された十六夜は茫然と、開かれた紙飛行機だったメモを見つめた。
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