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第401話 竜の寵愛 其の八
仕置きの心当たりなど、たったひとつしかない。
昔からこの手の事で、彼を誤魔化すことが出来たことなど、無きに等しいのだ。
まるで香彩の思うことなどお見通しだとばかりに、竜紅人がくつりと笑う。
「蒼竜に破られないように、離れた場所で衣着を脱いだのは、後で俺から逃げる為の準備、だったんだろう?」
「……」
「衣着がなきゃ、外を出歩くのもままならないしなぁ」
不意にしゅるりと衣擦れの音が聞こえた。何かと音に釣られるように視線を向けてしまって、香彩は後悔する。
「あ……」
竜紅人が腰紐を緩める音だと気付いた時には、彼はもうその剛直を露出させてしまっていた。しかも夢床で蜘蛛に捕らわれたあの時の物と同じく、赤黒い雄々しい二本の雄蕊が蜜を滴らせて天を向いている。
夢床で一度は見たことがあるとはいえ、いまはお互いに生身の身体だ。雄蕊から感じられる熱気のようなものに、香彩は弱々しく頭を横に振った。いつもならば人形の剛直が一本だけだというのに、いまこの場で真竜に近い形の雄蕊を二本に転変させたということは、きっとそういうことだ。
香彩は身体を震わせる。
それは怖れに近かった。竜形に似た二本の雄蕊の根元には、夢床の時にはなかった丸く膨らんだ瘤がある。
(あのふたつの瘤ごと、いまから……)
考えるだけでぞくぞくと粟立つものが、これでもかと背筋を駆け上がった。
そんな香彩の様子を見た竜紅人が、再びくつりと笑う。
「俺は少し怒っている」
香彩は無言のままこくりと頷いた。
竜紅人とは長い付き合いだ。幼い頃からたくさん叱られてきた経験から、彼の怒る時の雰囲気が何となく分かる。そしてその理由も何となく分かっているつもりだった。
「けどな俺が怒っているのは、お前が俺から逃げようとしたことじゃねぇよ」
彼の手が香彩の頬に触れる。
熱い体温の気持ち良さに普段の香彩ならば酔い痴れて、竜紅人の手の平に頬を寄せていただろう。
だが香彩はきょとんとした表情を浮かべていた。
大きな翠水の瞳を更に大きく開けて、無言のまま竜紅人を見ている。
意外だったのだ。彼の答えが。
竜紅人から逃げたことに対して、やはり心の奥底で熾火のようにじわりと怒りの焔を、燃やし続けているとばかり思っていたのだ。
では自分の何に対して、彼は怒っているのか。
答えが分からないまま、香彩はじっと竜紅人を見る。
「……怒られ待ちのその顔は、昔からちっとも変わんねぇな、かさい」
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