プロローグ

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プロローグ

1999.12.1 -WEDNESDAY- a3278b1b-ead5-4c47-81f2-404b129ec6d2  立ち並ぶビルを境に、繁華街とは反対の通りに“スターズブルー”という名のバーがあった。落書きだらけの壁や、薄汚れた建物が並んでいる、そんな場所の何とも目立たない店だが、場所とは対照的に、クラシックな雰囲気、そして流れるジャズがとても魅力的な店内。 「お疲れですかな?」  マスターでバーテンダーのラッドは、高級ビールを注いだグラスをカウンターに置いた。  カウンター席に座っている男は六堂(りくどう) 伊乃(いの)。二十四歳の私立探偵で、ここの常連だ。  仕事のない夜にはよく顔を出し、指定のように毎度隅のカウンター席に座り、この店を営むラッドとの会話を楽しみながら酒を口にしていた。  今日は、久しぶりにくつろいだ夜を酒と共に過ごそうとしていた。ここ数週は依頼が立て続き、気が休まる暇がなかったのだ。裏社会から足を洗い探偵になって二年近く、彼の腕の良さが少しずつ評価され、仕事が軌道に乗り始めていた。 「まいったよ。仮眠だけで、毎日仕事だ」 「ここに来る日も、めっきり減りましたな」 「すまないねマスター、落ち着いたら昔馴染みでも誘って、売り上げに貢献するからさ」  そんな二人の談笑に割って入るように、ポケットの中のケータイがブルブルと鳴った。(今日はもう“店じまい”ですよ)ケータイ画面を確認し、誰からの着信かを確認する。 ――ん、美雪?  着信の相手はよく知っていた。益田(ますだ) 美雪(みゆき)、幼馴染の妹で、中学生の子だ。  六堂はラッドに(ちょっと悪い)と手のひらを顔の前に立てて、ケータイの通話ボタンを押した。 「もしもし、久しぶりだな美雪」 『…伊乃さん…伊乃さん』  愛想の良い声で出た六堂だったが、電話の向こうの美雪は震えるながらの泣き声だった。様子がおかしい。 「どうした?」 『…お姉ちゃんがね…死んだ』  六堂の顔は一変し、傾けようとしていたグラスを置く。 『…件の…場で…、聞こえてる?』 「…え?」 『セントホークの事件現場で、殉職したって』  頭が真っ白になり、美雪の声がまるで頭に入ってこない。だが“セントホーク”という名前だけが辛うじて耳に残った。 ――セントホーク?確か…  かつての東京湾の上にある人工島『新東京』。複合商業施設『セントホークタワービル』は、そこにあった。そのセントホークが、あるテログループに“占拠された”というニュースをやっていたのは知っていたが…。 「…美雪、お前今どこに?」 『病院。新東京の針寸(はりす)総合病院、お姉ちゃんが運ばれた病院』 「わかった、すぐ向かうから」  そう言いケータイを切ると、六堂は財布から紙幣を出して、カウンターに置いた。 「注いでもらったのに、申し訳ない。一口も飲まずに」  そう言うと、ラッドは苦笑しながら首を横に振った。電話での様子で、ただごとじゃないことはすでに伝わっている。 「お代はいりませんよ」 「そう言わないで」 「…では、これは受け取りますが、次回は私が一杯おごりおますからね」  軽くウインク交えでラッドは優しい笑顔を見せた。暗い表情だが、六堂も笑顔で(ありがとう)を伝えた。  六堂が店を出て行くと、扉に付けている小さな鐘の音が店内に鳴った。  外は寒く、吐く息は白い。雨上がりで濡れている道を歩きながら、恵のことを考える。  美雪の姉、“(けい)”は警察官。特殊急襲部隊SATの隊員だ。そして小学生の頃からの幼馴染で、六堂にとっては特別な存在。年内いっぱいで警察を辞め、年明けから六堂の探偵事務所で働く予定になっていたのだ。  昼頃から、セントホークの事件のニュースはひっきりなしにやっていたので、知ってはいた。そこにSATが派遣されることも。でもまさか…。   六堂は一度事務所に戻ると、車で恵が運ばれたという病院へ向かったのだった。
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