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猪熊は教室に入り、絵描きで遊んでいる少年に近付いた。
「やあ坊主、名前は?」
「…………無い」
猪熊のことを見向きもせず、ぶっきらぼうに答える少年に向かって、「無いわけないだろう」と呟いた。
少年は夢中になって絵を描き続ける。スケッチブックには不思議な生き物の絵が描かれていた。
「その絵は何を描いたのかな?」
「…………」
〈なるほど、そう簡単には心を開いてくれないか。少し脅してみるか〉
猪熊はスケッチブックを乱暴に取り上げる。
「大人が話しかけているんだ。ちゃんと相手を見て答えなさい」
少年は、猪熊のほうへゆっくりと顔を向けた。その目には光が無かった。十歳の子供の目ではない。絶望と虚無。どれほど過酷な世界を生きてきたのだろうか。
「おじさん、怒ってないでしょ。俺に何の用?」
ヒグマのような威圧感を与えているにも関わらず、少年のペースは変わらない。猪熊は眉根を寄せる。
「俺を見て怖がらないのか?」
「なんで?」
〈大抵の子供は、いや大人でさえ俺を目の当たりにすると怯える。この少年は全く動じていない〉
「俺は、でっかくて見た目が怖いだろ」
「おじさんより蛸のほうがでかいよ。おじさんの十倍はあるから」
「蛸?」
「おじさんが持っていったスケッチブックに描いてある」
猪熊はスケッチブックを改めて見返す。確かに蛸のような生き物の絵が描いてある。
初見では、海にいる蛸にしては妙に化け物染みている、というのが猪熊の感想だった。
「俺と少しお喋りしようじゃないか」
「やだ」
「どうして」
「おじさん、俺を試そうとしてる。俺が何者かを探りたがってる」
まるで猪熊の心が読めているのかと思わせる発言をする。
「どうしてそう思う」
「おじさんの色が銀色だから」
「色?」
「うん、心の色」
「どういう意味だ?」
「生き物はみんな、心に色を持っている。その人が元々持っている色とか、感情でも変わるし。色を見ればその人がどんな気持ちなのか分かるんだ」
「坊主には見えるのか? お前の云う、その心の色とやらが」
少年は頷いた。
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