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「おや、すっかり雨になったみたいだね」
閻火と愛猫を微笑ましい気持ちで見ていると、人一人分抜けた距離にいる藍之介がつぶやくように言った。
手にしていたフライパンを離して火を止めると、窓の外へ視線を投げる。
つい数分前までの大粒の雪は、みぞれになり、雨になり、気づかないうちに変化を迎えていた。
意識しなくても天気はどんどん動いていく。
そういえば閻火と出会ったのも、こんな幻想的な雨の日だった。
少しあの頃を思い出しながら、できあがったナポリタンとハヤシライスをトレーに載せた。
「藍之介、これ運んでもらっても――」
いいかな、と口にする前に二の腕を引っ張られ心臓が跳ねた。
「言っておくけど僕、まだあきらめてないからね」
来襲する囁き声は、幼さの中にある男らしさを浮き彫りにしていた。
瞬く間の出来事に、動揺する前にパッと諌めを解放される。
天使と悪魔を交えたような微笑みを見せたあと、藍之介はトレーを受け取り何事もなかった様子でキッチンを出た。
「やはり蒼牙、滅するべし」
いつの間にか私のそばに立っていた閻火が、苦々しい面持ちで口にした。
そんな必要はないと思う。
だって私が自分を好きになれたのは、閻火のおかげなんだから。
わずらしいはずの雨だって、優しい記憶とともに明るい未来を予感させる。
またなにか素敵なきっかけを連れて来てくれるんじゃないか、って。
そう思った矢先だった。
ふと、窓の外に人影を見つけたのは。
ぶつかった水の粒が流れるガラスの向こう側、迷うようにあちらこちらを行ったり来たりしている。
一枚の戸を隔てた先にぼんやりと浮かぶシルエット。
こんな日に傘を忘れるなんて、よほどぼんやりしていたのか、緊張していたかのどちらかだろう。
そそっかしくて頼りなくて、お世辞にも威厳があるとは言えない人。
だけど私にとっては、とても大事で切れない人。
「行ってきたらどうだ」
すっと心に落ち着く、導くような優しい声。
何度彼の言葉に救われてきただろう。
やっぱりこの時も、背中を押してくれるのは閻火なのだ。
「大切な人間なのだろう、俺もきちんと話がしたい」
そう言って、輝く瞳を細めながら私の肩をぽんと叩く。
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