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「卒業してもう何十年も経つのに、まだ歌えるなんて。こんなに離れていたのに、びっくり」
彼女の手の隙間から涙が零れてピアノに散る。
それは先ほどの湿り気とは違って、幸せな涙の音だった。
「近くに喫茶店があるんですけど、珈琲でも飲んでいきませんか」
亜美は斉藤を最初の場所まで運んでゆっくりと下ろす。そして声をかけた。
「美味しいですよ。豆なんか自分で炒ってるんです。お迎えの車までもし時間があれば、よければ」
斉藤は里内町の中心に向かって歩いていく。そこに迎えの車が来るのだ。
こんな風に、故郷を巡るツアーというものがある。故郷へ「見学」に戻る人々を車にまとめて各地に下ろし、また数時間後に回収。そして都会に戻るツアーだ。
車には運転手はおらず、だからこそ時間通りに迎えにくるのだそうだ。
斉藤は名残惜しそうに目を細める。
「せっかくだけど、もう時間が無くて」
「残念」
亜美は本心から、心をこめて言う。
「私も……あら。この石碑、はじめてみたわ」
斉藤は足の疲れを取るように、近くの壁に手を突く。と、その下に比較的小綺麗な石碑を見つけて目を丸める。
それは、ちょうど幅15センチ、高さ1メートルくらいの灰色の石碑だ。
雨に濡れて少し色は濃くなっているものの、くっきりとした文字が刻まれている。
それを読んで、斉藤は頷く。
「ああ、クリタプロジェクトの……」
クリタとは、宇宙で素材を見つけた宇宙飛行士のことである。
彼は宇宙での作戦遂行中、とある素材を発見した。
その後、宇宙服の不具合に見舞われた彼は、素材を手放して単身で船に戻るか、それとも素材だけを船に運ぶかの選択を迫られる。
「宇宙飛行士の……ああ、そうだった。この島のご出身だったわねえ。直接お話をしたことはないのだけど……小さな頃から随分賢くって、確か大学は海外に行かれたんじゃないかしら?」
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