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それを隠すために、わざと前髪を伸ばしていることも、縁の太い伊達めがねをかけていることを、亜美は知っていた。
目尻に浮かんだ彼の皺を見つめながら、亜美は目を細める。
「……そういうのは本当失礼だからやめなね、悟朗さん。年齢のこと言うのは」
「一言多いってよくいわれます」
彼は……悟郎は柔和にほほえんで、乾いた机の上を無意味に拭く。真っ白な布巾を掴んだ彼の手はがっしりと男らしい。
(……笑うと目尻が優しくたわんで、頬が少しだけ震えて)
亜美は彼の顔をじっと見つめていたが、やがて眩しくなって目をそらす。
(まるで子どもみたいな顔)
そんな顔が、亜美にすれば眩しくて仕方が無い。
亜美はネックレスの先にぶら下げた大きな指輪を指先で弄り、カウンターに突っ伏す。
「……悟朗さん、いーっつもそう言って、怒られても直さないんだから」
悟郎はマロンという小さな喫茶店を一人で経営するオーナーだ。この店はカウンターしかないので、オーナーと客の顔が近い。
亜美は悟郎の目線を避けるようにガラスのコップに入ったぬるい水を飲み、のどを潤す。水は透明できれいで、何の味もしない。
それをすっかり飲み下し、亜美は潤った唇を拭ってゆっくり周囲を見渡す。
……ここは古い古い、とても古い喫茶店だった。
お店と同じく、百年以上の歴史があるという壁掛けの茶色い時計は、今の時代珍しい針時計。手巻きで直す時計なんて、亜美はこの店ではじめて目にした。
それと同じく、店の中には古い年代物の調度品が多く並ぶ。机は一本木のカウンターのみ、7席だけ。
カウンターの向こうには小さなコンロと冷蔵庫。その上の棚には、アンティークなカップがまるで美術館の展示のように並んでいる。
棚の中にはコーヒー豆の入った瓶だとか、食パンの袋が大切に置かれているのだった。
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