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「しばらく小麦粉の配給がなかったでしょう。最近、また復活したらしいんです。で。あの角のパン屋が食パンを作り始めたんですよ。パンはあそこが一番ですよ」
「最初はこのまま頂こうっと……いただきますっ」
感動してパンを高く掲げる亜美を見て、悟郎は胸を張る。
「毎朝届けて貰う契約にしたので、しばらくは厚いパンを食べられますよ」
亜美は恥も外聞もなく、大きく口をあけてパンを噛みしめた。
さくりと、歯で軽快に切れるパン。熱い湯気の間から、バターの甘い香りが立ち上る。
外のカリカリとした歯ごたえと、中のとろけるような柔らかさ。一口食べて、亜美はしみじみとパンを見つめる。
噛みちぎられたパンの断面は、白くて肌理が細かく……とてもきれいで、とてもおいしい。
「すっごい……バターの味がする」
「最近は物資不足でしょ。だから知り合いの店でグループを作って、みんなで物資を共有するようにしてるんです。だから今のほうが何でも揃うようになりました。バターも前より手に入るようになったし、イチゴも昨年くらいからハウスが復活して、そこから分けて貰ったんです」
亜美は真っ赤なジャムを、パンの上に慎重に落とす。顔を近づけ、ゆっくりと。
苺のじゅくじゅくとした赤が、バターの黄色と一緒に混じって溶けるのが、なんともいえないくらいに官能的だった。
「おお……赤い……」
噛みしめると、懐かしいイチゴの味がする。
最近は季節感なんて消えてしまった。熱いか寒いか雨か晴れか、それだけだ。
今の季節は暦でいえば初夏のはず。しかし気温は冬のように寒い。かと思えば急に暑くなる。最近は、そんな気候の繰り返し。
痛いほど寒い季節にこんな綺麗なものができるのが不思議だった。
「なんだか最近は天気もいいし、配給も途切れないし、平和だね」
「とはいえラジオの調子は悪いですけどね……最近、つながりが悪いなあ……」
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