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悟郎がもう一度ラジオを叩けば、重厚な音楽がじゃん。と流れる。
それは遙か昔のクラシック音楽、確か『惑星』とそういった。
「おおい、悟朗さん。ああ、亜美さんも来てたんだ」
曲が激しく盛り上がる……その直前。喫茶店の扉が開いてちりんと鈴の音が鳴る。
顔を出したのは、黒い肌にてかてかと汗を光らせた中年の男だった。
手には土がつき、こんな寒いのに上半身はランニングシャツ一枚きり。
「川田さん」
悟郎は濡れた手を拭きながら顔をあげ、亜美はコーヒーの最後の一滴を飲み終わって振り返る。
川田は手の甲で汗を拭いながら、暑そうにぱたぱたとシャツの前を開けては閉じる。
「どうしたんです?」
「また、町の見学者が来てるんだ。俺はこのとおり、まだ仕事が残っててさあ。どっちか、来てくれないか」
川田は近くの小さな農場で、今でも農作物を作っていた。
なぜこの地に残るのか……聞けば教えてくれるかもしれないが、亜美はそれを口にしない。
いまだに田舎町に残る人間には、何かしらの理由をもつ人達が多いのだ。
少なくとも川田には悲痛な色は少ない。いつでも元気いっぱいに土をいじっている。動いていると暑いのか、真冬でもシャツ一枚で過ごすような人だった。
亜美は川田に向かって手を振りながら、急いでコーヒーを最後まで飲みきる。
「じゃ、私がいきます」
亜美がそう言いながら立ち上がれば、悟郎はまるで捨てられる犬のような目で俯く。
睫毛が長いので、震えると哀れっぽく見える。それを見て、亜美は苦笑した。
「悟郎さんはみんなのためにモーニングを作らなきゃ。また明日くるからね」
配給チケットの半分を裂いて机において外に飛び出すと、亜美は川田が運転するトラクターの後ろに飛び乗る。
トラクターはエンジン全開、遠慮無くすぐに動き出す。
激しく揺れる荷台の上、亜美は思い切り腕を広げて息を吸い込んだ。
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