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佑木くんの身体が揺らめくように前へ傾いで、演奏が始まる。『ラ・カンパネラ』は弾く人よって入りから全然違うと俺は思っている。佑木くんはこれでもかというくらいゆっくり入る演奏で、その分一音一音が耳にゆっくり響いた。
今から始まる音という物語の序章を印象付けるように。聴く者がこれからの展開を待たずには居られないように。
佑木奏司が作る音の本のページをめくるのを、誰もが期待に満ちて待っているのだ。
綺麗な音…。
最初の数小節で釘づけになった。気に入った絵画を無心に見つめるように、周りが気にならなくなる。これが本当の意味で『引き込まれる』ということなのだろう。
誰かのために弾いている、ある意味勝負しに行っている佑木くんの演奏は、でもどこか優しくて、最初に練習室で聴いたのとは全然違う仕上がりになっていた。たった2日でこんなにも違う演奏を持ってくるなんて…。しかも誰にも師事していない。これは佑木奏司のラ・カンパネラだ。
音の波を泳いでいる、心地良い感覚。
美しい。
俺はいつの間にか涙を流していた。
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