127人が本棚に入れています
本棚に追加
大学生活も四年目を迎え、二人とも無事に就職が決まり、次なる未来への足がかりを形成し始めていた。丹羽は五月に入って地元の医療機器を取り扱う会社に、紅平も七月には内定をもらった。
紅平の就職先は、同郷である県内に生産工場を複数持つ大手飲料メーカーである。茶葉の生産だけではなく抹茶を用いたジェラードや和洋菓子の開発、カフェの経営や国内外への日本茶卸売業など幅広い事業展開を行っていた。配属先は本社の海外事業部――東京である。海外渡航も頻繁な、花形の部署だ。
「おめでとう」
丹羽は、ごく自然と口をついた言葉に自分で驚いた。
セミナー帰りに丹羽のアパートを訪れた紅平は、真新しいスーツ姿であり、少しくたびれた表情と、ネクタイを緩めた襟元に秘かにそそられた。
「なんだよ」
じっと丹羽を見つめる瞳に猜疑の色は見られない。昔から変わらない、子どもじみた純朴な輝きがそこにある。
へんなやつ、と笑って立ち上がりかけたところを抱きすくめられた。しばらくの間、互いの気息を確かめ合う。田舎の夜は、深く、静かである。ひとりでじっとしていると、闇夜に呑みこまれそうな孤独に襲われそうになる。たとえ二人でいても、心が離れてしまえば、暗がりに呑みこまれてしまうのかもしれない。ひとりで。
「……ありがとう。でも、言いたいのは、それだけじゃ、ない」
日本語はたどたどしいくせに、紅平は英語はペラペラなのだ。構内で留学生相手に流暢に会話をする姿を見かけるたびに、神様が紅平の生まれ落ちる場所をうっかり間違えたのだと思わずにいられない。彼は二歳から六歳までを英国で過ごした経験を持つ。
胸に埋もれたまま続きを待ったが、夜と同じくらいに深い沈黙だけが二人を包みこんでいく。落とされた口づけに応えながら、頭では現状を認識していた。
別れが近づいているのだ。
最初のコメントを投稿しよう!