4 สี่

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4 สี่

 一時間後、荷物がびっしり詰まったマリアのスーツケースと大きな革のバッグをベンツの後部座席に放り投げ、その横にマリアを座らせて急いで車を発進させた。  マリアはレモンイエローの上等なドレスを着ていた。  気に入っているからどうしても持って行きたい、と我が儘を言ったうちの一着だった。  俺はバックミラーの中のマリアに話しかけた。 「ソンチャイの指紋をすべて拭いて、私物も残らず持ってきたか?」  マリアは答えずに革のバッグを指差し、不機嫌そうに頷いた。  どの道、警察にも組織にも通用することではない。  単なる時間稼ぎに過ぎないことは、俺もマリアも理解していた。  早朝のラチャダビセーク通りはさすがに交通量が少なかった。  そのままニューペッブリー通りに流れ、王宮前を走り抜け、二十分でピンクラオ通りに入った。  途中、路地を二回曲がり、古いアパートの前で停めた。  一階は薬局だが、もちろん閉まっている。  マリアを車に残したまま階段を登り、二階の一番手前のドアをノックしたが反応はなかった。  仕方なく今度はかなり強めにドアを叩いた。ドアが壊れるほど強く――。  すると中で人が動く気配があって、しばらくしてからドアが開き、まだ半分眠ったままの小柄な男が顔を出した。 「いいかげんにしろよ。いったい何時だと思ってるんだ?」 「ふざけるなよ、ベン。電話した時に、もう眠るなと言っただろう。これはお前にとっても金儲けになる話なんだぞ」 「ああ、そうだった、そうだった」  ベンは痩せた尻を掻きながら背を向けたので、後に続いて部屋に入った。  鼠と同居でもしているのか――。  そう訊きたくなるほど散らかってゴミだらけの部屋だった。  寝室兼リビングルーム、つまりひとつだけの部屋にはキッチンもなければ、クローゼットもなかった。  あるのは部屋の隅に丸まった布団代わりの布切れと、無造作に積まれた服の山。  寝床のそばにはメコンウィスキーの空き瓶が転がり、食い残しのタイ風焼きそば(パッタイ)からは腐りかけの匂いが漂っている。  壁にはアラビア文字の丸時計がひとつ。他に装飾らしきものは何もない。  ベンとはヤワラートの賭場で知り合った。  同じノンカイの出身だった為すぐに親しくなったのだが、ベンはギャンブルが滅法弱く、そのくせ中毒患者のように毎日通って来ていた。  そのベン唯一の才能が、その頭の中にあるプラクルアンの知識と目利きだった。  数年前、あるチャオポーが十五万バーツの借金のカタとして、老僧から古いプラクルアンを入手した。  借金のカタとは言え相手は僧侶だ。もはや十五万バーツはドブに捨てたものと諦めていたが、たまたま出会ったベンが鑑定を申し出て隅々まで確認したところ、どうやらチェンマイの古い寺院のものだと言うことが判明した。  更にその価値は五百万バーツを下らない、と言うことも――。  当然、チャオポーは天に登るほど喜び、ベンに対して大変な感謝をしたそうだ。 〈チップだと言って、十万バーツもくれたんだぜ〉   ベンはことあるごとにそう言って自慢していた。 「さあ、見せてくれ」  床に座ったベンが欠伸を噛み殺しながら言った。  俺はポケットからプラクルアンを取り出すと、そのままベンに渡した。  ベンはケースの表裏を指先で触りながら、冷めた目付きで俺を見上げた。 「これ、どこで手に入れた?」 「もらったんだ」 「もらった? 嘘つけ――。どこかで盗んだか、奪ったんだろ? ……まあ、俺には関係ないけどさ」  ベンは再びプラクルアンに意識を戻すと、器用にケースの留め金を外して、 アクリルの小窓を開き、小さな石の仏像だけを取り出した。  次に傍らの小箱から分厚い虫眼鏡を取り出すと、仏像の表も裏も嘗め回すように細かく見続けた。  俺は僅かに緊張していた。  ベンは馬鹿だし、金にも汚いが、プラクルアンの鑑定については信頼できる。  しかもその相場読みもかなり正しいと評判だった。  それでも同郷とは言え、たまたま賭場で知り合っただけのこの俺に、正しい鑑定結果を教えてくれるだろうか?   嘘や出まかせで、安く買い叩く可能性もゼロではない。  しかも俺には反論する知識も根拠も何もないのだ。  ベンはしばらくブツブツと独り言を呟きながら、ああでもないこうでもないと、プラクルアンをこねくり回していたが、やがて首を捻って一息つくと、床に虫眼鏡を置き、仏像をケースに仕舞って、留め金を掛けた。 「驚いたな――。こいつは百年以上前の古いプラ・ソムデットだぞ。……とは言っても残念ながら、ソムデット・トー師本人が作ったものじゃなくて、弟子の作だろうけど。……とにかく貴重品であることは間違いない」  タイで最も有名な僧侶、それがソムデット・プラ・プッターチャーン師だ。(通称ソムデット・トー)  ガキの頃に出家先の寺から逃げて以来、仏教に一切興味のない俺でさえその名を知っている。タイ仏教界で最も尊敬されている高僧のひとりだ。  そのソムデット・トーの霊力が込められていると誰もが信じて疑わないプラ・ソムデットは、プラクルアンの中で最も高貴とされ、驚くべき高値が付いていた。  これまでにも幾つか年代物が見つかっているが、国宝級ともなれば数千万バーツ以上は当然で、先日もチェンライの寺院で一億バーツのプラクルアンが見つかったとニュースになった。  俺たちは本当に宝くじを当てたのかもしれない。 「そいつは本当か? それで、売ればだいたい幾らくらいになる?」 「そうだな――。今は相場が落ちているからあまり高値は付かないけど、それでも最低で二百万バーツくらいだろうな。もっとも、これをどうしても欲しいって人間がいりゃ、三百万バーツでも売れると思うけど。……アンタ、とんでもない拾いもんをしたな」  あくまで直感だが、今この瞬間、ベンは嘘をついていないと思えた。  そしてベンが言う通り、これはとんでもない拾い物だ。  まさしく地獄から天国へと這い出る運命のパスポートだった。  それにしてもつくづくソンチャイは大物だったのだなと思う。  何故なら毎日、首から純金のネックレスと合わせて合計三百万バーツ以上のお宝をぶら下げて生活していたのだから。  普通に考えれば危なくて仕方ない話だが、ソンチャイは自身が持つ権力や影響力の上に胡坐をかき、強盗になど襲われる筈がないと、高を括って生きて来たのだろう。  ましてや愛人に殺されるなどとは夢にも思っていなかった筈だ。  ベンはお宝に固執することなく、素直にプラクルアンを突き返してきた。  ギャンブルでは端金に一喜一憂するくせに、下手すれば生涯年収よりも高いプラクルアンを手にしていたとは思えないほど、実に淡々とした態度だった。  俺はじっとベンを見つめた。  時計の針はあと十分で六時になろうとしている。 「なあ、ベン。百万バーツでいい。今すぐこいつを買い取ってくれないか」 「冗談だろ。この部屋のどこにそんな大金があると思うんだよ」 「そんなことはわかってる。それでもお前なら誰か心当たりがあるだろう? プラクルアンの収集を趣味にしている金持ちの知り合いが」 「うーん、そりゃ、いるにはいるけどね」  ベンは首を捻ると腕を組み、思案顔で黙り込んだ。  その腹の内は手に取るようにわかる。 「わかった。取り分はフィフティー・フィフティーでどうだ? 俺が五十万、お前にも五十万。悪くないだろ」  途端にベンは子供のように無邪気な笑顔を見せた。 「本当か――。本当に五十万バーツも貰っていいのか? アンタいい奴だな」 「その代わり条件がある。金の受け取りは今から三時間後の午前九時だ。それを過ぎたらこの話はなしだ」 「オーイ、そんなの無理に決まってるよ。こんな朝っぱらから百万もするプラクルアンの交渉に乗ってくれる人なんている訳ないじゃないか。銀行だってまだ空いてない時間だぜ」 「ベン、難しいのは百も承知だ。でもそこをなんとか話をまとめれば、その懐に五十万バーツもの大金が転がり込むんだぞ。……頼むよ、ベン。その金持ちを叩き起こして金を引っ張ってくれ」  ベンは頭を掻きむしって天を仰ぎ、それから小さな声で、わかった、と頷いた。  その後、取引相手に見せる為、ベンがこのプラクルアンを預かって行くと主張したが、そこまで信用できる筈もなく、結局ベンにはアポイントだけ取り付けてもらい、取引相手のもとには二人で一緒に行くことにした。  車に戻ると後部座席のマリアはぐっすりと眠っていた。  それは、たった今、人を殺したとは思えぬほど無垢で無邪気な寝顔だった。  ピンクラオから車を飛ばし、途中クロントイ市場近くのドブ川に革のバッグを放り投げると、そこからエカマイにある自分のアパートへと向かった。  特別、大事な荷物がある訳じゃない、当面の着替えとありったけの現金をかき集める為だ。 「このあたり、昔、アタシが住んでたところだね」  いつのまにか目を覚ましていたマリアは、流れゆく景色をぼんやりと眺めていた。 「もうアタシのことなんか覚えてないと思ってたよ」  俺は答えずにアクセルを踏んだ。 「アンタがいたから怖くなかったのに――。ナナでも頑張っていられたのに――。突然いなくなっちゃうんだもん」  俺はバックミラーで彼女を見た。  そこに居たのはマリアではなくフォーだった。 「アタシ、ソンチャイにお願いしたの。運転手はこの人がいいって。そしたら一緒にいられる時間も増えると思ってたの。それなのに一度もアタシの目を見なかったね」 「チャオポーの持ち物に手を出せば命がないことくらい、お前だってわかるだろ」 「何よ! アタシはモノじゃないの! 人間なの! それなのに縛ったり、クスリを使ったりして、だから、だから――」  マリアは、いや、フォーはそこで堰を切ったようにヒステリックに泣きだした。  俺は路肩に車を停めると、運転席から降りて後部のドアを開け、フォーのそばに座り、抱き寄せた。 「もう忘れろ、フォー。全部忘れるんだ。これからは俺が一緒だ。どこまでも一緒に逃げてやる。大丈夫だ、金ならなんとかなる。これから二人で香港に行って、香港に飽きたらまた別の国に行けばいい。だからもう忘れるんだ、フォー」  フォーは泣きじゃくって、子供のようにしがみついてきた。 「やっとアタシをフォーって呼んでくれたね。やっとだね」  シャツの胸に、フォーの涙が染みていった。 ◇  天井裏にあった五万バーツを取り出し、バックパックにパスポートと荷物をまとめ、三年以上暮らした部屋を後にした。  もうここに戻ることはないだろう。それどころかクルンテープに戻ることさえ、二度とないかもしれない。  アパートの階段を降りながら携帯電話でベンの番号を呼び出した。十数回のコールで一度は諦め、再び電話をかける。今度は数回のコール後に「ハロー」とベンが応じた。 「取引の相手と場所は?」 「ああ、随分せっかちだな。大丈夫だよ、なんとか決まったよ。古い付き合いのチャオポーだよ」 「場所は?」 「ヤワラートだよ」  ヤワラート――。  俺たち行きつけの賭場があるチャイナタウンだ。  つまり今から会う取引相手は十中八九中国系で、おそらくは裏社会にも通じている人物ということになる。  死んだソンチャイはヤワラート出身ではないが、同じ華僑だけにどこかで繋がっている可能性は高い。  そこに一抹の不安はあったが、まだ誰もソンチャイが死んだことを知らないのだ。  今ならまだ間に合う筈だ。 「わかった、急いで行く」  俺はベンから詳しい場所を聞き、車のドアを開けながら電話を切った。 「どこへ行くの?」  後部座席から助手席に移動していたフォーが、不安そうな目付きで尋ねてきた。 「今からヤワラートに行って、チャオポーのプラクルアンを売ろうと思っているんだ」 「ええ? それって彼がいつも身に付けていたプラ・ソムデットでしょ。……あれ、もの凄く高いんだって、彼いつも自慢してたわ」 「だからそいつを売って、俺たちの逃亡資金に充てようと思うんだ」 「それは良い考えだと思う。……でも幾らくらいになるの?」 「まだわからないけど、五十万バーツにはなると思う」  フォーは訝しげに首を傾げた。 「そうかな――。アタシはもっとすると思うけど」 「どうして?」  そこでフォーは口を噤んだ。  俺はベッドの中の二人を想像した。行為を終えた後、ソンチャイの裸の胸に輝くプラクルアンを弄ぶフォーの姿を――。  ソンチャイは寝物語でこの御守りの価値について話をしたのかもしれない。 「そうだな。本来なら百万バーツ以上はすると思う。でも今はたとえ相場より安くても、これを売る以外に現金を手に入れる方法がないんだ。だから五十万でも構わない、俺はこいつを売るよ」 「そうよね。わかった」  フォーは俺を見つめて優しく微笑んだ。
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