第五週

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第五週

その日は、ちょうど梅雨入りが発表された雨の日。 しとしとと雨が降る日は少し気分が下降気味だ。 卓上のカレンダーを見やる。 今日は金曜日。フライデー。 ふと、思う。 何故立花さんは金曜日「は」いる、と言ったのだろうか。 考えてみれば、いろいろと謎なのである。 何故金曜日を指定したのか? 何故店には彼女しかいないのか? 普段は何をしているのか? 疑問はぐるぐると頭の中をまわって離れない。 週一で働いていると仮定するなら、主婦とかだろうか。 家族はどんなだろうか。 料理はどこで習ったのだろうか。 取り留めなく溢れてくる疑問は、しかし彼女にしか答えられない。 出口のないまま抱えていても仕方がない。 とりあえず、目の前の仕事から。 そう思った矢先、タイミング良く鳴る昼休憩のチャイム。 僕は当然のように席を立った。 傘をさして、雨の大阪の街を歩く。 普段は南国のように明るい町も、今日ばかりはテンションが少しばかり落ちているらしい。 僕はもう慣れた道を歩きながら、顔なじみとなった店を目指す。 通りを歩く人たちは雨を厭うようにせかせかと通り過ぎていく。 なんとなく、東京の通りを思い出した。 向こうはこんなふうに通っていくのが通常運転だ。 大阪の活気に慣れた今、果たして東京の空気に戻っても違和感はないだろうか。 ――あるだろうなあ。 自嘲気味な笑いが漏れた。 はじめはあんなに嫌いだった大阪が、ちょっとずつ好きになり始めている。 それもこれも、「純喫茶フライデー」のおかげに他ならない。 怪しさ満点、でも分け隔てなく接してくれる美人なマダム・リサ。 恵比須様のような好々爺の福田さん。 そして、なくてはならないのが店を切り盛りする立花さん。 三人に会わなければ、僕は潰れていたかもしれない。 僕もいつか、何かをお返しできればいいのだけれど。 そんなことをつらつらと考えながら店の前に来ると、目の前には傘を差した福田さんが立っていた。 「福田さん!」 僕が声をかけてようやくこちらに気が付いたのか、「おおー!」とオーバーアクションで驚かれた。 「入らないんですか?」 「ああ、いや、入るけど」 しかし、福田さんはなおもためらうようなそぶりを見せる。 「……?」 僕は不思議に思いながらも、代わりにドアを開けたのだった。 「外に立っとったん、てっちゃんやったんか」 入るなりマダム・リサがミルクセーキを飲みながら話しかけてきた。 「ああ、すまん。ちょっと考え事しとったわ」 そう言って福田さんは珍しくテーブル席ではなくカウンター席に座った。 先ほどから神妙な顔をしている。 「どうしたんです? 福田さんが元気ないなんて」 立花さんも不安げに福田さんの顔を覗き込んでいる。 「わしは元気やよ。元気、やけど……」 「なんなん。はっきり言いや?」 流石マダム・リサ。ズバリと切り込んでいく! 「……来週、娘が帰ってくるねん」 気迫に負けたのか、おずおずと福田さんが言った。 「「娘さん?」」 僕と立花さんが声をそろえた。 「うん。二人おるねんけど、二人とも帰ってくるらしい」 「それの何があかんの? 家族水入らずで過ごせばええやん」 マダム・リサの言い分はもっともだ。 「まあ、そうなんやけど……」 福田さんがため息をついた。 「娘二人とはもうかれこれ五年、声も聞いてないんや。ほんで、いきなり帰って来られて、わしはどう接してええのかわからんなってるねん」 これにはマダム・リサも一言もないらしい。 確かに五年も接してこなかった子供にどう振る舞うのか、至難の業だ。 でも、と僕は思う。 「福田さん、いい案がありますよ」 「え?」 「娘さんたちの好物で、とびっきり美味しいのを食べに行くんですよ」 福田さんが目を丸くした。 「僕らも色んな人を接待するんですけど、うまいものを食べるって、それだけで話題になるんですよね。普段気まずい人とも『これ美味いねー!』って言いあえる。そういう小さなきっかけから話って広がるものですからね」 無理に話題をこじつけなくても、ささいなとっかかりさえあれば話なんてあっという間に盛り上がるものだ。 「何か、ないですか? 娘さんたちが飛び上がって喜びそうな料理は」 「そんに、急に言われてもな……」 「福田さん」 今度は立花さんが声をかけた。 「あるやないですか、娘さんがとびっきり好きなメニューが」 そう言って厨房に向かうと、二台ある炊飯器の片方を開けて、皿に何やら盛りつけ始めた。 「……?」 福田さんは首を傾げてその様子を見守っている。 少しして、彼の前にほわほわと湯気を立てる料理が現れた。 「こ、これは……エビピラフ?!」 「せやで。福田さん、以前娘さんらはこれが好きやったって言うてはったやろ?」 「そうなん?」 マダム・リサが確認するように問うた。 「……確かに、言うた。けれど、よう覚えとったな。もう何年も前の事やろうに」 「福田さんがうちに来て初めて笑った時のことは、よう覚えとります」 立花さんはにっこりと笑って言った。 「それまでいっつもむすっとしとって、怖い人かと思うとったら、エビピラフを見て『わしん所の娘の好物なんや』ってにっこり笑って……」 「そ、そうやったやろうか」 記憶に自信がないのか、ポリポリと頭を掻いてごまかす福田さん。 「さ、あったかいうちに食べてください」 立花さんに促されて、福田さんがスプーンを手に取る。 ゆっくりとピラフを掬って、ぱくりと一口。 「……美味い」 福田さんは目を閉じてしみじみと呟いた。 「小野町さんは何にされます?」 立花さんが若干笑っている。 僕の答えなんて、決まっている。 だって、隣があんな美味そうなものを食べてたら、自分だってほしくなるのが人間だろう! 「エビピラフ一つ!」 立花さんは待ってましたと言わんばかりに厨房へ入っていく。 そして同じように皿にエビピラフを盛って、僕の前にトンと置いた。 「いただきます……!」 福田さんを感動させた味、いかほどか。 ふうふうと息で冷まして、ぱくり。 まず口の中に広がるのは濃厚なバターの風味。とろけるような濃密さだ。 ついでコンソメのギュッとうまみを濃縮した味がそれを追いかけてやってくる。 そして、歯触りのいい野菜の味。さらに、小ぶりながらもプリッとしたエビのいい食感がたまらない。 お米もパサパサじゃなくて、ふっくらもちもち。 本場の感じとは違っても、僕が美味しいと思ったからこれは正義だ! 「はふっ、ほふっ!」 熱々にもかかわらず、夢中で口の中に入れてしまう。 気が付けばあっという間に皿は空になってしまっていた。 「相変わらずの食べっぷりやなあ」 意気消沈していた福田さんも、いつの間にか笑顔が戻っている。 ……今更だけど、ものを食べてるのを見られるのって恥ずかしいな。 「すみません、食い意地張ってて……」 「何言うとるの。男はがつがつ食べてなんぼやで。全然食べへん男には料理の作り甲斐がないしなあ」 マダム・リサにさっぱりと言い切られてしまった。 「ちょっとだけ、昔話してもええか? 何や、懐かしい気持ちで一杯やねん」 「どうぞどうぞ」 僕がそう言うと、福田さんはこくりと頷いて言った。 「あれは、上の娘が十、下が七の時やったかな。家族でエビピラフを食べに行こうって出かけた先で、エビピラフがちょうど一人前しかなくってなあ。じゃんけんで上の娘が食べることに決まったんやけど、妹の方が泣きもせずにハンバーグ食べてるのを見た時は流石に心が痛かったわ」 それは可哀想すぎる。好物を他人だけが目の前で食べるなんて、僕だったら耐えられない。 「それで、次の週もわざわざエビピラフの店に予約入れてエビピラフを用意してもらって行った、ちゅう顛末やった」 「良いお父さんですね」 「なんの。あの時に店を出て違う店を探したらんかったのは今でも人生で一、二を争う後悔エピソードや」 福田さんは少し寂しげに笑った。 「じゃあ、今度はリベンジマッチですね。とびっきりの店に二人を案内してあげてください」 「もう行き先は決めてあるんや。……この店にな」 はっはっは、といつものように豪快に笑う福田さんには、もう不安の影は見えなかった。 「――ナイスプレー」 僕はこっそり立花さんにそんな言葉を贈る。 「……へへ」 彼女は小さくピースしていた。
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