ep1.本命への思い

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 男しかいない部室で、汗ばんだユニフォームを脱ぎすて、制服のズボンはき、シャツを着てボタンを留めていく。気持ちが急いでいるせいか、指がうまく動いてくれない。何とか留め終えて、ロッカーの扉の内側にある鏡に自分の姿を映してネクタイを締める。ゆがんでいないかチェックして、急ぎつつも、バスケでひたすら走って乱れた髪型も整える。  隣で着替える同級生が不思議そうな顔をして見てきた。 「なんで、そんなに身なりを整えてんだよ。お前にチョコを渡したいって女子は部活始まる前に蹴散らしてたじゃん。もう誰もいないぞ。かっこよくする必要あんのかよ」 「あるんだよ」  同級生を一瞥して、ブレザーの上からコートを羽織る。急いでバッグを肩から下げ、部室から出た。  走って校舎へと向かい、2階を見上げた。図書室があるその場所は、まだ電気がついていた。 「間に合ったかな」  校舎に入って、下足室で上履きに履き替える。部活でさんざん走り回って疲れている足にむち打ち、全速力で階段を駆け上がった。2階の廊下も走って図書室の前まで行って愕然とした。図書室の電気が消えていたのだ。念のため扉に手をかけてみたが、鍵がかかっていて開かなかった。 「帰ったんだ。今日、図書当番って聞いてたから会えると思ったんだけどな」  毎日、教室で見る凛とした後ろ姿を思い出す。 「チョコ返すときにメモ書けばよかったかな」  放課後に待ち合わせたいと付箋でもつけていれば会えたのだろうか。床を見たまま、図書室を後にした。  部活も委員活動も終えた時間の校舎は静まり返っている。つい5分ほど前まで全灯だった下足室は半分ほど電気が消されていた。薄暗さが俺の心を表しているような気がした。また数分したら全て消灯されるのかもしれない。うなだれたまま、自分の靴箱の前に立つ。スニーカーに履き替えて、下足室の入り口に体を向ける。床を見たままの俺の目に紺のハイソックスとローファーが目に入った。 「あの、これ。受け取ってもらえないんでしょうか」  聞き覚えのある声だった。顔を上げると、そこにいたのは、パッツン前髪に黒髪ボブ、ガリ勉仕様の黒縁眼鏡をかけたクラスメイトだった。  俺は高鳴る鼓動を抑えつつ、彼女に近づく。差し出された箱には、黒縁眼鏡のシールが貼られていた。彼女が俺の目をまっすぐに見てきた。 「好きな人からのチョコしかもらわないって聞いた。でも、靴箱や机の中に入ってるのは誰からかわからないから持って帰るって聞いてたのに、私のは返してきたんだね」  心地よいはずの彼女の声は震えていた。 「しつこいとは思ったけど、私のだけ返されたのが悔しくて待ってた」  俺は彼女の手から箱を取った。まっすぐ俺を見上げていた彼女が、チョコの箱を取られた自分の手を見る。そして、ゆっくりと見上げてくるその頬に、俺は手を添えた。 「好きなヤツからは直接渡してほしかったんだよ。だから一回返して。今、チョコをもらおうと図書室まで行ってた。いないから帰ったんだと思った。チョコ返したことに怒って、もうもらえないかと……」  そういう俺の言葉を聞く彼女の瞳が黒縁眼鏡の奥で揺れた。きれいだった。 「まぎらわしいことしないでよ」  口をとがらせて、俺に背中を向けた彼女の後ろ姿は凛としていた。
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