嵐は想う

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嵐は想う

青白い月光が、闇の帷が降りた街を満遍なく照らし出している。 昼の国の民はとっくにとうに眠りに着き、熱気と喧騒が積み上がった空気は夜の静寂に塗り変わって行く。 "嵐"は、この空気が、独りが好きだった。 誰にも侵されない、嵐が過ぎ去った様な空気が。 "嵐"には、生まれ落ちたその時から並々ならぬ能力があった。 他の赤子より早く数や言葉を覚え、運動などの実技もずば抜けて出来た。 その才能の所為で。 ただ普通に生きているだけなのに、恨みや妬み、羨望の眼差しに晒され続けた。 生きる環境を変えるべく、国が年齢を問わずに募集している、『朝焼けノ守』になって。 住む場所は変わり、それなりに賃金ももらえたけれど、結局、周りの人間たちは変わらなかった。 誰もが『朝焼けノ守』になる以前に縁があった奴らと同じような態度を取る。 だから"嵐"は、理不尽な激情をぶつけられない孤独を好んでいるのだ。 ひゅう、と横切った涼風が冬の欠片をばら撒いた。 "嵐"は深緑色のポンチョの襟を引き上げて薄寒い空気と肌の接触部分を減らそうとするが、抵抗虚しく、寒気は彼女の背筋を這い上がる。 もう少し独りを堪能したら国境へ戻ろう そう思った時だ。 "嵐"は、淡い橙色の光を認めた。 人が起きている証を、生きている証を――― "嵐"は、明かりを灯す「誰か」に興味を持った。 昼の国の暗黙のルールを破って夜を生きている者に。自分の生を貫き通す者に。 胸の鼓動の周期が少しだけ速くなり、不思議な想いが喉の辺りまで競り上がる。 今まで「諦め」によって現実と折り合いを付けていた"嵐"が知らない感情。 "嵐"は、希望の星を見つけた者はきっとこんな風に想いを昂らせるのだろう、と柄にもなく詩人風な感想を抱いて仕舞った。 一瞬上がった"嵐"の体温を冷ます様に、一際強い風が吹き過ぎる。 住宅街の一角、普段は意識しない様な普通の家屋の二階部分から明かりが漏れ出していた。 磨り硝子の向こう側には一体どんな人物がいるのだろう。 「おーい、昼の国に住んでる癖に夜を生きている悪人さーん」 小さな煽りは静寂で染まった空気を震わせて街の中に思いの外響き、"嵐"は首をすくめる。 と。 磨り硝子が棧の上を滑らかに動き、"嵐"が一目見たいと望んだ人物がひょっこりと顔を覗かせた。 現れたのは予想と反して"嵐"と同年代くらいの少女だった。 月光にそのまま溶け出してしまいそうな髪が風に靡く。 恐怖を内包した翡翠色の瞳は私を見つめ、次に不機嫌そうに顔を顰める。 「えーと。貴女も昼の国にいるのに夜に起きてますよね?貴女も十分悪人だと思いますよ」 「私は『朝焼けノ守』だからいーの」 「国境を守るのが仕事なのですから、国境から離れてこんな場所にいるのですし、私よりも悪いことをしていると思うのですが……」 一息吐いて、今度は面倒臭そうに"嵐"を見遣る。 コロコロと変わる表情は、気まぐれな山の天気を彷彿とさせる。 「で、何ですか?私は物語を書いているだけですけど」 「いや、特に用はないよぉ?」 私以外の独りぼっちに興味を惹かれたから、なんて弱音を初対面の人物に吐く気にはなれなかったからそうはぐらかすに留めた。 だが、少女は"嵐"の瞳をじっと覗き込んでいる。視線の交わりを先に切ったのは"嵐"だ。 「……物書きとして言わせてもらいます。才能に押し潰されない様にしてくださいね。悩みを吐き出せる相手を、探したほうがいいと思います」 ふわぁ、とひとつ欠伸をすると、少女はピッシャリと窓を閉めて仕舞った。 ランプの灯火も消えて、闇と静寂だけが残される。 悩みを吐き出せる相手なんかいたら、好き好んで独りになろうとするはずがないのに。 矢張り物書きという職に就く人は、世界の創造主になった気分で誰かの想いの表面だけを知ったかぶる。 ただの知ったかぶりの筈なのに。 彼女の何気ない言葉は、"嵐"の胸の中で響き続けた。 * 昼の国で少女に出会って数年。 夜の国の情報屋・"夜狗"なる者の噂を聞いた。 彼女は、依頼者の指示と金にどこまでも従順らしい。 彼女の瞳や色は、夜の闇を溶かし込んだ様な色らしい。 何故その情報だけで"夜狗"に興味を持ったかはわからない。 些か気障ではあるが、『運命』という言葉が最もしっくりくる。 "嵐"は今日も、願っている。 いつか"夜狗"と邂逅することを。
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