ココロの在処(ありか)

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ココロの在処(ありか)

秋がはじまると妙にお腹がすく。  無性に何かを自分の中に詰め込みたい焦燥感──でも、食べても食べても満たされない。  これはそんな業の深い、野生に根ざした本能──私の身体からふいに彼の体温が離れた時、身体にポッカリと穴を開けられたようなこの喪失感にも似ているような気がする、と私は熱い吐息を吐きながら思った。  寂しくて、欲しくて──ドロドロとした満たされない思い。  それをまた詰めこみたくて、必死に私は彼にすがりつく。 「どうした? まだ欲しいの?」  私の耳元で響く、笑いを含んだ低い声色。  再びフワフワとした体温に包まれるが、重ねられた手から発せられる鈍い銀色の光が私の視界に入ると、汗ばんだ肌が下げる体温と一緒に私の心まで一気に冷えきってしまう。  そんな時。  私は、いつもココロを身体から切り離す。  既読のつかないメッセージをおかしいぐらい繰り返し見る時。  私からの決死の誘いに「今日は無理」とあっさり断られて撃沈してしまった時。  プレゼントだけ贈られて、誕生日やクリスマスなどのイベントを一人で過ごす時──。  そんな時、私のココロは私から切り離され、勝手にフワフワと何処かへ行ってしまう。  そうでないと、私のココロは──壊れてしまうだろうから。  ……だって、何度身体を重ねても。私の欲しい言葉が彼の口から発せられることはない。  なぜなら、私の身体の上を滑る彼の薬指にはシルバーのリングがしっかりとはまっているからだ。  ◆◇◆ 「ココロここにあらずね、梨沙子(りさこ)」  近くのカフェからテイクアウトしてきたカボチャのキッシュをつつきながら同僚の結奈(ゆな)が言った。 「相変わらずボーッとしちゃってさ。あんたのココロは今、どこにいるのかしらね?」 「……さぁ」  私はそう答えると胃薬を食後のコーヒーと共に喉の奥へ流し込んだ。  彼に会う時間を確保するため、苦手な事務仕事を我慢し続けている私は、いつからか胃薬が手放せなくなっていた。 「そうそう。そういえばあんた、まだ奥さん持ちのアイツと付き合ってるの?」 「……付き合ってなんかいないよ」  結奈と目をあわせず、私は答えた。  ──間違ったことは言っていない。  だって、明確な愛の言葉すらかけてもらえない私は彼女であるはずはなく、しかも割りきった愛人の類いですらない。  セフレ……とも違う気がする。  私の片想いと彼の欲望処理の需要が折りあっただけ──という方がしっくりくるかもしれない。 「ふーん。なんにしろ、ろくでもない男じゃないの」  血を思わせるような真紅に塗られた爪を磨きながら結奈は鼻で嗤った。  いつもモノトーンファッションに身を固めている結奈の今日の出で立ちは、黒のニットに黒のフェイクレザーのフレアスカート。  黒づくめで頭にトンガリ帽子をかぶせたらそれこそハロウィンの魔女みたいだと私はボンヤリと思った。 「あんた、今それで幸せ? 想像してみて。この先、ババアになってもこのままの関係はあり得ないわよ?  ねぇ、梨沙子。あんた、ずっと不安で寂しい寂しいって男にすがりつきながら、言いたいこと飲み込んで不幸な女オーラをしょって一緒生きていくつもり?」  その言葉はしばらく私の頭の中にこびりつき、私の意識の底に居座った。  ──ワタシ ハ シアワセ?  問いかけても、答えはわからない。  わからないまま、私のココロは今夜もどこかへとんでいく。  私にはその方が好都合だ。  ツラいことや悲しいことは考えずに済むから。  抜け殻のようにただ、そこで人形のように笑っていればいいのだ──。  ◆◇◆ 「ウフフフ……」  「──?」 「アレをくれなきゃ、いたずらしちゃうぞ」  ベッドの中で彼に頬をすりよせて私は甘え声でねだった。 「そういえば今日はハロウィンだっけ……また器用に凝ったものを作ったな、梨沙子──」  彼はベッドサイドに飾られたカボチャ型ランプシェードを指先で弾く。  そう。これは私の作品。  和紙で作った私の自信作だ。  私は本当はデザインの仕事がしたかった……趣味として続けてはいるが、どこかデザインの世界に対して諦めきれない自分がいる。 「そうよ──良い出来でしょ。ねぇ、それより私にアレをちょうだい?」 「アレってなんだよ。やらしいな~。  梨沙子の欲しいものは、何? もうすぐクリスマスだし。リクエストがあれば買っておくよ」  彼は私を引き寄せて腕の中に閉じ込めるとそう言った。 「私が欲しいものは──モノじゃないから買えないわ」 「ふぅん──お前は誕生日の時も何も欲しがらなかったよな……本当にバックもアクセサリーもいらないんだ?」 「興味ないんだもの」  バック? アクセサリー?  ……そんな彼を鎖でつなぐ役目にもならないものは、いらない。 「梨沙子は執着がないんだな──ひょっとしてオレにも執着してないんじゃないか?」  彼は私の瞳をのぞきこんだ。 「さぁ──私が欲しいのはコレだから……」  肩から下着の紐を落とすと、彼にまたがってねだるように身体をくねらせる。 「エッロ……」 「嫌なの?」 「いいや──」  再び身体に熱が帯びる感触に私の身体の奥が震えた。  私のことはどう思ってるの?  私はあなたにとって何?  私は喉まで出かかった言葉を今夜も飲み込む。    ──そのリングは……奥さんとはどうなっているの?  でも、それを持ち出すとこれっきり終わってしまう、という恐怖から私はいつも何も言えなくなってしまう。  会えば私を拒むことのない彼に対して、だんだん暗い気持ちになっていく。  このまま、ここで──この人を悪霊になって憑り殺せたらいいのに。  平安時代、光源氏を囲む女達はこんな気持ちだったのかもしれない──。  私は教科書でしか知らない引目鉤鼻の美女たちに思いをはせた。  こんなじくじくと胸の奥が痛んで気が緩むと涙が溢れてくるような状態で──彼女たちも光源氏を待ち焦がれていたんだろうか……。  正妻を怨み、それを自分のプライドから光源氏にはぶつけられずに生きながら悪霊になった──フワフワしてるけど苦い、後ろめたいようなこの感覚に今も昔も女は酔ってしまうのかもしれない。  ハロウィンの悪霊は、男を憑り殺すのは得意かしら──? そんなことを私は考え、唇を笑いの形に歪めた。 「梨沙? おい、また一人で何を笑ってるんだ?」  私が顔をあげると彼が上着を羽織っていた。 「……もう帰るの?」 「明日の仕事は──早いからね」  カバンを肩にかけると部屋を出ようとする。  その手を引き留めることが、私には出来ない。  イカナイデ──。  ベッドサイドに飾ってあった魔女のハットを掴むと頭からかぶって滲んだ涙を隠す。  ……ダメだ。  もう、やっぱり終わりにしよう。  私は悪霊にはなれないし、なりたくもない。  明日には、彼を電話帳から消してブロックするんだ。  彼からの全てのメッセージを消して、この場所からも引っ越してしまおう……。 「あ、そうだ。ビックニュースを忘れてた。  そこの可愛い魔女さん。モノがいらないなら俺の時間はいらないかい?」  ドアノブに手をかけて彼が振り返った。 「実は俺、転職が決まったんだ。今の会社はハードワークで随分と寂しい思いをさせたけど、これからはずっとお前と一緒にいられるぞ?」 「……え?」  私の手から魔女帽がポロリと転がり落ちた。 「梨沙子。何ボーッとしてんだよ? 転職したから実は来月からの海外赴任の予定がなくなったんだ。  本当はお前が何か欲しがってくれたら指輪でも贈ったんだけど。まぁ、週末にでも一緒に買いに行くか?」 「──何で? どうして?」  頭がついていかない。  ……この人は何を言っているの? 「ブッ! 何? その鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔。おもしれぇ~」  彼はベッドサイドに戻ってくるとポカンと口を開ける私の両頬をむにゅっとつかんだ。 「だって──このリングはっ? あなた、奥さんがいるんじゃないのっ……!」 私は彼の指を掴むと、なんとか喉の奥から声を絞り出す。 「あれ? 言ってなかったっけ。俺、営業だろ? 取引先の女社長がしつこくてさ。女よけにしてるだけだって──お前、まさか……俺のこと今まで既婚者だと思ってたのか……? マジかよっ!?」  彼が不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。 「だって──好きだって一言も言ってくれないし! そんなのわかるわけないじゃない……」 「それは……言わなくてもわかるだろ?  こうやってやることやって一緒にいるんだからよ?」 「そんなのわかんないわよぉ──バカぁ!」  私はボロボロと泣きながら、魔女の帽子で彼をたたいた。  彼は小さな子どもをなだめるようによしよし、と私の頭を撫でる。 「悪かったよ。俺、今の会社で海外に行くことになってたからな。無責任にお前についてきてくれなんて言えなかったし──」  冷えて寂しかった私の肌がほわっと温まった。 「トリック・オア・トリート」 「ん?」  突然呟いた私を彼が不思議そうに見た。 「……ココロをくれなきゃ、イタズラしちゃうぞ」 「欲しいならやるよ。好きなだけもってけ」  ギュッと抱きしめられた瞬間、フワフワ漂っていた私のココロはストンと熱をもった私の身体と同化した。 「あんたのココロは今、どこにいるの?」  もし、今そう結奈に聞かれたならば私は 「私の中に──」と答えただろう。  ──しかし、リングがフェイクだったからといって私の物語がこのままハッピーエンドで終わるわけではない。  明日にもまた、彼は忙しいからと──これまでのように私を置いて何処かに行ってしまうかもしれない。  その度にまた、私はココロを遠くにとばすのだろうか?  それでは、リングがあろうとなかろうと同じことだ。  私と彼の物語の結末は決まっている。  それは見せかけのハッピーエンド、エンドレスな寂しい地獄から永遠に解放されない。  私が変わらないと。  何も、変わらない。  そのために私は。  自分のココロをもう、何処かに手放したりすることはしないと決めた。 「ねぇ──やっぱり欲しいものがあるの。あなたのコレを頂戴?」  私は彼の左手にはまっているシルバーリングをねだった。 「これ、安物だぞ? だから指輪が欲しいならちゃんと新しいのを買ってやるって──」 「これがいいの」  私は彼からシルバーリングを受けとると左手に嵌め、それをカボチャのランプシェードにかざした。 「おめでとう。あなたに憑りつこうとした悪霊はこれでハロウィンの夜に封印されたわ」  鈍く光る銀色の光に私は満足そうに目を細める。 「……は?」  彼は訳がわからないという表情で私を見た。 「私は──私自身でココロを埋めないといけないの。これは、私のココロがどこかへ行ってしまわないようにっていう、封印よ」 「おい、梨沙子。ワケわかんねーぞ?」 「──分からなくていいのよ。あ、そうそうこんどは私のニュースを伝える番ね。えっと、私も今の仕事辞めるから……」 「は?」 「だからこのマンションも引っ越すわ。あなたの荷物、後で送るわね」 「……へ?」 「私、本当は紙製品のインテリアデザイナーがやりたいの。しばらく帰らないから──」 「……お前、どこに行く気だ?」  初めて会った人物を見るように彼は呆気にとられて私を正面から見つめる。 「来月から私が海外へ勉強に行くわ。あなたのココロはあなたが決めてね──」  私は呆然としたまま状況がのみこめない様子の彼の背中をそっと押して、部屋の外へ送り出した。  私のココロは今、何処に──?  一人きり、ガランとした部屋の中で私は胸に手をあてて自問する。  とくんとくん── 心臓の鼓動が答えを刻んだ。 「フフフ……」  誰かで埋めるのではなく、これからは自分のココロは自分で埋めよう、と私は自分自身をギュッと抱きしめた──。
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