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午後の講義をサボってレイがいる店に行こうという俺の提案は、にべもなく断られた。
達哉にとってそれは終わった話なのか終わった話にしたいのかは定かじゃないが、そのせいで勢いが削がれてしまった。
一人で行ったところでレイに何から話せば良いのかわからないなと思いながら足に任せれば教室へと運ばれ、ダラダラと講義を聞き終わる頃にはもう夕方だった。
「それじゃ、来週までにレポートを提出しておくこと。システムにアップロードされた時間で締切クリアの判断を……」
最後まで聞かずに立ち上がる学生の喧騒の中でリュックを開けると、無造作に入れていたドラムスティックが4本、触れ合ってカラリと木の音を立てた。
『ドラマーはスティックだけ持ってれば良いから楽よなぁ。』
ちりちりと、胸の奥で怒りと焦燥が走る。
『ギターなんて、こっちの思ってることの半分も表現してくれんくせに、やたらとデカく場所取りやがる。』
そう言ってレイはぞんざいにギターストラップを付けると、真っ赤なセミアコのグレッチを艶めかしく腹部に収める。それはギターボーカルにとってはあまりに挑戦的な楽器の選択なのだが、そんな下世話な邪推を吹き飛ばすくらい、レイの立ち姿はいつもオーラがあった。
クリーム色で顎下までうねる髪、それを無造作にピンで留めて現れる形の良い耳。少しだけ俺より低い背でも、十分にデカく見える。ニヤリと笑う顔は人を喰っているようで、それを見るといつでも、負けるもんかと言い返してしまう。
『アホ。ドラムだってスネア運ぶ時は誰よりも重いだろうが。』
『ばぁか、鷹臣。お前そんなに楽器にこだわってねぇだろ。叩く瞬間にこだわってるだけで。』
……ああそうだ。そうやってお前は笑うんだ。クソみたいに人を煽り倒して、ノせて、丁寧に裏切る。
『お前のドラムは、気持ちいいか気持ち良くないかしか、語ってない。俺はお前の気持ちいい音だけ聞ければそれで良い。次の曲、ぶち上げろよ。』
暗闇から光。静寂から狂騒、興奮、恍惚。
レイがギターの六本の弦を振り抜く。
暴力的に空気を揺らしながら響く。
そこにレイの少しだけかすれた美しい声が躍り出て、聞き手の感情を支配する。
例えるなら葡萄の木の弦だ。ぐるりぐるりとねじ巻きながら、美しく線を描いてどこまでも太陽を射る。そして雫を付けた甘い甘い濃紫の果実を実らせて落とす。
ほらな。それで抱いた女が何人いた?数え切れたものでもないが、レイの周りにはいつも人が溢れていた。女も男も、お金も、才能も。
俺はその背中に向けて、何百何千もの打撃を撃ち込む。一撃必殺のつもりで振り抜くスネアは、結局自分の脳天に響いてじんわりと快感の内出血を起こす。
だん、だん、だん、だん………
「入谷、……入谷鷹臣くん?授業終わったよ?」
いつの間にかがらんどうになった階段教室の中で、俺は立ちすくんでいた。
下の段から顔を覗いた女は知らない顔で、何故名前を知られているのかにも思い至らないまま「あぁ、悪い」と呟いて無造作に外に出た。
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