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「はじめまして」
と、カスミは、挨拶された。
顔を合わせるの、3回目なのに。
それは、ちょっと気になってた人。
カスミは総務部員。
目立たない真ん中より少し奥まったくらいの席についている。
でも、気になる彼が営業でカウンターに立つ時には、一番に気が付いて駆け付けるようにしてきたので、今回が3回目。
「髪型変えた?」とか声かけやすいように地道な努力をしたりしてきたのに。
全く彼の意識に残っていなかった。過去2回のこと。
そして、たぶん、今日もまた彼の瞳にわたしは焼き付けられることはなかったのだろう。
カスミは失意の中、仕事も手につかず呆然としていた。
自他ともに認める、地味であること極まりないカスミの顔は、覚えにくいらしい。
カスミが仕事中にもかかわらずほうけていると、手元のスマートフォンのが鳴る。
ぼうっとしていたのでカスミはびっくりした。
画面を見ると、美咲からだ。
カスミの親友の美咲は、カスミと正反対の顔立ちをしている。
つまり、初めてあった瞬間に心に刻まれる美しく、くっきりとした顔。
いつもとなりで見てきて思った。
ほとんどの人は、一瞬で心を射貫かれるらしい。
そんな美咲は、カスミと同じ会社の受付嬢。
会社の顔として、ものすごく貢献している。
「何?」
「カスミ、今夜うちに来ない?」
美咲の部屋は、美しいものでいっぱいだ。
中でも、クラシックに彩られた鏡が素晴らしい。
「ほらほら、私の目、いつもよりちょっとしぼんでるでしょ」
「え、どこが?」
「これ、ここんところ。毎日少しずつ小さくなりつつあるのよ。
この調子だと明日はもっと小さい」
「はぁ」
全く、美咲の美意識はすごい。
カスミのような凡人にはついていけない。
「それでね、明日の舞台、私の代わりに出てもらえる?」
「えーーーーー!!!」
カスミは、気の抜けたような一日が吹っ飛びそうな声をあげた。
この平凡を絵に描いたような顔のわたしが、派手で美人な美咲の代役!
「演出家がね、この写真見て、この子ならいいんじゃないって」
美咲のSNSに、盛りに盛ったカスミと美咲の写真。
そこにいるカスミは、もちろん実物とは全く別人になっていて。
その写真を手に、カスミに代役を頼んでくる美咲。
「いや、美咲。どの顔に言ってんの。いくらメイク盛ったって、実物はこれだよ」
くやしいけど、それが本音。
どんなに頑張ったって、同じメイクをしたって、美咲の「元」の作りの立体感には叶わない。
美咲の顔立ちはカスミと比べるまでもなく、派手。
くっきりとした目、すっと伸びた鼻、なんともふっくらと盛り上がったくちびる。
それに比べて、カスミの平坦な鼻、小さな目、しまりのない輪郭。
そもそも比べ物にならない。
「カスミだって高校の演劇部で一緒に芝居したじゃん。堂々と立ってればいいだけの役だもん、できるよ」
美咲はカスミの手を引き、高級感のあるドレッサーの鏡の前に座らせる。
「本当の事いうよ」
美咲は、カスミの座ったドレッサーの後ろのベッドに腰掛けてカスミの背後から鏡に映りこむ。
「カスミ。今までの私、この鏡のミラに作ってもらったものなんだ」
「へ?」
カスミは、つい、まぬけな声を出してしまった。
「ミラはね、うちの母方に代々伝わる伝統の魔法の鏡なの。
13歳になる時に母から受け継いだ。
それ以来、私の望むように変えてくれた。
私の顔も身体も、すべて、ミラの魔法でできているの」
「うそ」
「ううん、ほんと。
目をもう少し大きくしたいとか、足を長く細くしてとか、全部叶えてもらった。
でもね、一週間前、ミラとけんかしちゃったんだ。
私、ちょっとイライラしてて、本当はミラが作ったこの顔なんて好きじゃない、元の私の顔どこよ。
ママの本当の顔だって、私みたことないのよ、ひどくない?
ってね」
「はぁ」
「そしたら、ミラ、今までの仕事を全部否定するのかって怒って。そして、声がしなくなっちゃった。
だからこの一週間、ミラに手入れしてもらってないんだ。
そしたら、だんだん目が小さくなってきた気がして。
きっと、少しずつ、本来の私の顔っていうのが出てくる。
でも私、ママの顔も見たことないし、12歳までの自分?思い出せない。
写真も残ってないの。ママ、私の顔見たくないって言ってたから。
たぶん、醜い。嫌な顔になるの」
「美咲。ちょっと待って。私が知ってる高校に入って出会った美咲は全部このミラの、仕事、なの?」
「そう。私のなりたいようにミラがしてくれただけ」
「ちょっと待って。それと明日の代役って、話が見えないんだけど」
「カスミ、カスミは昔から何度もミラに会っているのよ」
「えー、そ、そうだっけ。この部屋には入ったことあるけど」
「それでね、ミラはカスミのことが気に入ってたの。一度あの子を変身させてみたいって言ってた。けど、私、ミラの魔法は私だけのものにしたかったから」
「そう、なんだ」
カスミは少しショックを受けた。
美咲は、こんなに美人でみんなに好かれているのに、わたしみたいな地味な子にも普通につきあってくれて、人気者だからって偉そうにすることもなくて。
だから、そんな美咲のことが好きだったし、一緒にいて居心地がいいと思っていた。
なのに、そうか。本当においしいところは独り占めにして当たり前だったのか。わたしがいつも気になる相手に無視されて傷ついていても、話を聞いてはくれたけど、助けてはくれなかったっけ。
「いいよ。引き受ける」
「ほんと?」
美咲は本当に助かる、という表情をしていた。
カスミは、どんな事情であれ、美咲にとってかわるということをしてみるチャンスはおいしい、と思った。
3回もはじめましてとか言われて、こんな自分に守るべきものなんてない。
「ミラ、聞こえてる? この子をお願い。昔からあんなに話してたカスミよ。カスミ、この鏡、ミラに話かけてみて。自分の目を見つめればいいの。返事があったら、変身させるように言って。私みたいにって」
「わかった」
カスミは、勇気を出して、自分の目を見つめてみた。
そう、今までは、あんまり自分の顔をじっと見ているといやになるので、自分と見つめあうなんてしたことがなかった。
それだけで、違う自分になってしまいそうだった。
「ミラ? えーと、初めまして、じゃないんですよね、高校生の頃に」
「カスミ。あなたを変えてあげましょう。望みを聞かせて」
「美咲みたいにしてください」
「......カスミ? そこにいる人の言う通りにしなくてもいいのですよ。あなたの本当に望むことは何ですか」
「ミラ、いいの。わたしを美咲にして」
カスミは、本当に、いつも見とれていた美咲になってみたいと思った。
高校の頃の演劇部は、カスミにとって闇過去。
美咲と出会えて、5年もたつ今も続く親友になれたことは良かったけど、それ以外は忘れたい。
すんなりと主役になった美咲と違って、地味なカスミには主要な役なんか回ってくることはなかった。
隅っこで落ち葉を集めている役とか、美咲が演じる姫の足元で倒れている死体とか、そんなことばかり。
あとは、裏方のほうが向いているよね、と、自分が思うより前に周りが信じて疑わない空気が出来ていて、気が付けばいつも黒いジャージを着て舞台袖に潜んでいた。
それでも、部活が終れば美咲は「一緒に帰ろう」と普通に声をかけてくれたし、自慢をすることもなく、役がもらえないカスミをなぐさめたりするようなこともなかったところが、カスミは居心地がよかった。
でも、いつもみんなの注目を集める美咲。
カスミにだって、そんな美咲がうらやましいと思う。
だから、一度でいい。美咲になって、美咲の立つ舞台の中央に立つことができるなら、自分自信なんてなくなったっていい。
そう思ったのだ。
「わかりました。カスミさんを変身させます」
カスミはミラの前で目を閉じた。
メイクをしてもらう人がそうするみたいに、魔法がかかり、変身するのを待つ。
そして、目を開けたら、誰もが振り返る美咲になるんだと、期待に胸を膨らませた。
「さあ、カスミさん、目をあけて。変身したご自分をご覧なさい」
ミスミの目の前の鏡の中から、いつもまぶしく見ている美咲そっくりな、まるでカスミではない女性がまぶしそうな表情でカスミを見ていた。
翌日、楽屋のライトのついた鏡の中にカスミがいた。
美しいのはこの女優ミラーが理由ではない。
それもあるかもしれないけど、いや、やはりカスミの姿が美しいのだ。
「カスミさん、まもなく本番です。大丈夫ですか」
舞台監督が呼びに来る。
美咲のやるはずだった役の段取りは簡単だった。
急な代役ということで、セリフもなしになった。
というか、リハーサルでやってみたら、10年前に女優はあきらめたカスミは、声がろくに出ていなくて、セリフははなしでいきましょう、と言われたのだった。
ミラの変身の魔法は、見た目にしかかからない。
当たり前の話だけど、見た目だけ美咲になっても、中身はいつものカスミなので、カスミ自身がしっかりやらなければ単なる人形になってしまう。
そして、まさに、現実はその通りだった。
美咲は簡単な役だと言って、カスミも舞台に出る度胸くらいはあるつもりでいた。
でも、実際、「美しい人」として見られると、ものすごく落ち着かない。
わたしのうしろに美咲がいるの?と、つい、振り返ってしまうけれど、もちろんそのうっとりとしたようなまなざしはカスミを見つめている。
美咲の役は、もとい、美咲のやるはずだった役をカスミ用にアレンジした簡単な役は、王子様に連れてこられて、舞台の真ん中で美しくほほ笑み、拍手喝采をあびているうちに緞帳が下がってきておしまい、というだけのものになった。
簡単だけれど、セリフがない分、より、存在感や全身による表現力が求められた。
舞台袖から、「さあ、行くよ」と、王子様役がカスミにあでやかにほほ笑む。
こんなポンコツなカスミでも、皆やさしい。
でも美しい男性から、役とはいえそんな風にされたことで、カスミのドキドキしていた心臓は、ドキンっと飛び上がってしまった。
なんで? わたしってば。こんな体験、最初で最後かもしれないのよ、気持ちよく浸ればいいじゃない。鏡でみたわたしは完璧に美しかったじゃない。あとは足りないのは自信。自信をもって。さあ、にっこりしよう。
カスミは、舞台の真ん中で、緊張にひきつった顔をさらしていた。
客席からどよめきが起きる。
きっと悪い意味だ。
そして、わたしのせいだ。わたしのこの顔が、偽物だとばれている。
「幕よ、早く降りてきて」
それしか考えられなくなった。
幕が下りると、仲間たちの視線を見ないようにして楽屋へ入り、大急ぎで着替え、逃げるように帰路に着いた。
「夢にまでみた、人にうっとりと見とれられるチャンスだったのに」
カスミが代役として舞台に上がっている頃、美咲はドレッサーの前で、ミラと対決していた。
「もういいかげん、聞き入れてよ」
「私の魔法には伝統と決まりごとがあるのです。
今時はどうだとか、美咲の考えがどうだとかで曲げることはできません」
「でも、私はもうこの顔がいやなの。この顔でいる以上、いつも姫役、もてる役、受付嬢。誰も本当の私のことなんか見てくれない」
「だから、その顔がいやなら、少しずつ年齢に合うように整えていくことができるって言っているでしょう」
「そして、結婚して、子どもを生んで、その子が12歳になるまで、ミラの手入れから逃れられない宿命」
「だから、美咲の代わりにカスミを差し出すなんて」
「カスミは、ずっと私みたいに主役がやりたいって願ってた。私より向いている気がするのよ。カスミなら、普通に結婚して、子育てできる。私はダメなの! もう終わらせて、この生活」
「嫌なのは結婚なのですか、それなら」
「結婚も嫌だけど、私は女性という立場を放棄したいの!」
「ピンポーン」
ミラの返事をさえぎるように、来客を告げる音がした。
「はーい」
「わたしー。カスミ」
「ミラ、この話はカスミには内緒だからね」
ミラをひとにらみし、美咲は玄関に向かう。
ドアを開けると、そこには美咲の顔をして、泣いてぐしゃぐしゃになったカスミがいた。
「ごめん、美咲」
カスミは、思うように堂々と演じられなかったことをあやまった。
「いいよ、カスミ。いきなり頼んだんだしさ。
それに、私、もう週末女優はやめようと思ってるんだ」
「え、美咲、やめるの。あ、もしかして、週末女優はやめるって、全面的女優になるってこと?」
「え、いやだ。違うよ、ほんとに舞台にあがるのやめるの」
美咲は笑う。
その軽い笑い声を聞いていて、カスミは、自分の失敗がいろんな人に迷惑かけたかと思って落ち込んでいた気持ちが吹き飛んだ。
いろんな人、特に美咲の立場が悪くなると思ったのに、やめる気だったとは。
「それから、受付嬢もやめる」
「うそ。どうして。女優も受付嬢もやめてどうするの」
「んー、覆面レスラーかな」
カスミは、美咲が言いたいことがわからず、ぽかんとしていた。
レスラーだなんて、レスリングもやったことないはずだし、格闘技とか、見たりとかいう話も聞いたことがないので、たぶん何かの例えだ。
でも、突然すぎてなんのことやら見当もつかない。
「もしかして、これは、ミラに関すること?」
と、思い、カスミは美咲のドレッサーのミラを見つめる。
そこには美咲の横顔が映っていた。どことなく、鏡との距離が遠い。
何故だ?
「ミラ、美咲とのけんか。そんなに深刻なの?」
カスミのしんみりとした声に、美咲は吹いた。
「カスミ、意外にカンが鋭い? いやー、その通りなんだ」
「なんで笑うの。それで、わたしは何。美咲とミラの仲直りに役に立つのが役割? 美咲はそういうことしないと思ってたのに、がっかり」
カスミは本当に怒りだした。
ミラが口をはさむ。
「カスミ。カスミが望むなら、ずっとその顔でいればいい。もちろん、定期的にメンテナンスはさせていただきます」
カスミがミラを見ると、ミラを見ている美咲が映っている。
「ミラ。いっそ、カスミのところへもらわれて行ってくれる?」
カスミは美咲を驚いてみる。
「いやいや。そんなことダメでしょう。こんな家宝をわたしみたいな他人になんて。それより。美咲は、やっぱりいつものとおり、輝いているのがふさわしいと思う。わたしは戻してもらうわ。ミラ! 元のわたしの顔、返して」
カスミは、無性にいつもの自分、他人の注目を全く集められない地味顔が恋しかった。
わたしはわたし。
どんなに「その他」扱いされようと、それがわたしの居場所なんだ。
カスミは自宅に帰った。
元の顔に戻るには時間がかかるらしい。丸一日、とか?
なんで?
美咲の顔になるのは一瞬だったのに。
本当に戻るんだろうか。
今となっては一刻も早く戻りたい。
美咲の顔のままでは、明日会社に行けないし。
いろんなことの起きた週末を思い返しつつ、カスミはベッドでゴロゴロしていた。
玄関の呼び鈴が鳴る。
「お届け物です!」
まさか・・・
カスミは玄関へ向かった。
終
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