比喩としてのアメリカンドリーム

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高校の薙刀の大会 県の体育館にて 女の子2人の会話 A:これに勝ったらトントン拍子で全国大会。競技人口が少ないからね。 B:薙刀は高校部活動のアメリカンドリームだね。すぐ全国選手になれる。 A:(アメリカンドリーム、アメリカンドリーム。。。Bは何気なくアメリカンドリームという言葉を使っているが、なんだ凄い違和感がある。一攫千金とかそんな感じなのか。アメリカンドリームを掴んだ人とは桁違いの経済的成功をした人に相応しい呼称だと思うが、薙刀で全国大会に出てそうなるのか?野球やサッカーやバスケならゆくゆくはそうなる可能性はある。ただ私は世界的な薙刀の名手を知らない。当たり前だ。日本固有の武道だから。武道、スポーツとは一線を画す、いわゆる娯楽ではなく、経済が動くものではない。よしんば経済が動いたとしても日本のドメスティックなものだからたかが知れている。テレビで放映されて話題になることもない。大衆の支持を得ないものが経済の主流に乗ることはない。なんだ一体どこにアメリカン(桁違いな)ドリーム(大金)があるんだ。 考え過ぎだ。雑念が多い。 趣味、これは趣味だ。没頭できる真剣な趣味。その瞬間瞬間が面白ければいい。 私は瞬間を制し、味わい尽くし、勝利する。 勝つ。勝ちたい。ただそれだけ。
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