君待ち駅の糖衣菓子

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 今どこにいますか――ほろりと苦く、とろりと甘い、こんな言葉を最初に覚えて生まれたなんて、素敵なことだと思いませんか。記憶の曇りを取り払う魔法の言葉。独り()ちた瞬間に、私を読み上げた人々が鮮やかに思い出されるのです。陳列窓の向こうに滑り込んだ汽車のように、来ては去っていった彼ら、私のたくさんの父母のことが。  一番目の母は、ここの店主であるシルヴィお婆さん。何か粉っぽい石を擦りつけられるくすぐったさと、熱心に私を撫でる指の温かさに、私は目を覚ましたのです。  老店主は白墨(クレ)で汚れた手を拭うと、曲がった腰を叩き伸ばし、ぼんやりしたままの私を壁に掛けました。店内で目の届かない場所はない、特別席です。  壁に作りつけの棚に置かれた、硝子(ガラス)や陶器、木に金属、材質も色も違う小箱の数々。空間を仕切る台の上には(はかり)と、三つ並んだ空の足つき皿。大きな陳列窓では、珈琲椀を満たす硝子玉の彩りが、差し込む陽光を華やがせています。  私は、店主の背中がまた丸くなるまでの短い時間に、与えられた居場所をいたく気に入ってしまいました。   「目を引かれるわね、お婆さん。派手じゃないのに、不思議だわ」  棚の一角に花を飾っていた若い女性が振り返り、私を見上げて微笑むと、店主は「そうかい」と目を細めました。 「この言葉の魅力だね。看板商品の名前はこれと決めたんだ。あんたの旦那が作った、表の吊り看板とは比にならないが、看板商品の看板は、この手で書いてやりたくてね」 「お爺さんの珈琲(カフェ)が飲めなくなって寂しかったの。それがこんな形で味わえるなんて。嬉しいわ」 「夫のようには淹れられないから、珈琲を扱うつもりはなかった。でも私の大好きな言葉をお菓子にするなら、あの味が要るんだ、困ったことにね」 「言葉の味のお菓子、良いわね、私は大好き。お腹を満たすには小さいけれど、心を満たして余りある、そんな感じ。さあ、肝心な商品を出さないと。もう少しで、汽車が来る時間だわ」    窓へ近づく女性に釣られて見やった先に、色硝子の吊り看板が揺れていました。「砂糖菓子屋(コンフィズリー)・言葉の硝子玉」。この店の名前。    では店主お手製の「看板商品の看板」には、何と書かれているのだろう。教えてほしくて店主に目を移すと――足つき皿の上に、小さな丸いお菓子が盛られていました。硝子玉に似て、しかし控えめな透明感。白く煙ったような表面が、中心にある色を透かしています。  店主はそのうちの一粒を、(ふし)の目立つ指でつまみ、私に目を向けました。   「『今どこにいますか』……」  その言葉を含んだ空気の揺れが私を打ったとき、目覚めから続いていたぼんやり感が少し晴れた気がしました。視線が私だけでなく、遠い誰かを貫いている。そんなことにも気がつきました。何故なのでしょう。疑問に答えを得たのに、また謎が増えてしまいました。
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