君待ち駅の糖衣菓子

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 解明に至ったのは八十二番目の父のお陰です。  ほかの旅客と同様、彼も名乗りはしなかったものの、絵描きであることは教えてくれました。  その日は汽車の調子が悪く、荷の積み下ろしや燃料の補給を終えてもまだ走り出せずにいました。それで彼は店主に断り、店内の様子を絵に描いていたのです。   「座ってるだけでも案外疲れるもんだ。汽車だって疲労困憊だろう。こんな良い補給地がなければ、水がもたない。石炭だってここで積めばいいから、山登りに大荷物背負って挑まずにすむ」  まだかまだかと()れる声も聞こえる中で、年の功というのか、のんびりした物言いでした。店主と同じ皺と白髪。数多の経験が、騒ぐだけ損だと教えるのでしょう。 「炭鉱町だからね。昔より採れる量は減ったけど、石炭だけはある。あとは何もない」 「ああ、この路線は人じゃなく、石炭を運ぶためにあるのか。貨車が多くて客車が少ないわけだ。駅も町のはずれみたいだし。でもこの店があれば、人間も満足さ。霧町駅で美味い珈琲が飲めると小耳に挟んでいたんだが、菓子だったとは驚いた」 「いや、珈琲を出していたのは夫でね。五年前の戦争で、消息不明さ」 「そうか……わしは運よく生き延びて、久々に帰郷するところだ。故郷は相手国との境で、馬車も汽車もなかなか通らなくてな。壊れた家が多いようで、郵便は未だに届かない。娘も孫も友人も、無事で故郷に残っているやら」  鉛筆画に擦れて黒くなった手を休め、彼は買い求めていたお菓子を口に運びました。  足つき皿の上で淡く光る、三種の「言葉の硝子玉」。左からほの赤い「初めまして」、黄の「良い一日を」、そして珈琲色の「今どこにいますか」。彼は迷いなく看板商品を選びました。その看板としては嬉しいものです。 「霧町駅経由に乗って良かった。旅情が創作意欲をかき立ててくれたらと思ってはいたが、こんな題材に出会えるとは。『今どこにいますか』……表題にしても構わないかね?」 「もちろん。絵を描くところを見るのは初めてだけど、感動したよ。鉛筆が動くにつれて、紙の中の世界に命が吹き込まれていくみたいで」 「それは何よりだ。描き手の心も大事だが、人に見られ何かを思われてこそ、その心をもらって、絵は生きてくるものだから」  ……絵がそうならば、きっと看板も同じでしょう。  その後間もなく汽車は調子を取り戻し、八十二番目の父を乗せて出発しました。煙突が黒を吹いても、名残惜しげにも見える緩慢な車輪の回転には、うっすらと白色が纏いついていました。ここは山深い「霧町駅」ですから。汽車はそれを振り払って遠ざかります。    私に似ていると思いました。店主に起こされたあの日から、人の見る目、読み上げる声を受けるたび、意識がはっきりしてきたのです。ゆっくりと、霧が掻き分けられるように。  汽笛の残響も残煙も消え、静寂が際立つのを感じながら、つまり私は生き始めたのだと理解しました。私にとって、私を見てもの思う誰もが父、母なのです。  そう考えるとひと時しか一緒にいなかった彼らが、無性に恋しくなりました。今どこでどうしているのか、気になってたまらなくなりました。  別れた寂しさはきゅっと冷たい。会いたい気持ちは(しび)れるようで、次の汽車が彼らを運んでくるかもと思えば、じんわり温かくなる。  実食しないまま宣伝している看板商品の味を、想像できるようになりました。
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