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……なんとなく、今日会えなかったバーテンダーの姿が脳裏をよぎる。オペラ座の怪人のような仮面をつけた、あのバーテンダー。どこかぎこちなくカクテルを作るその姿に、危うさを覚えた。
今飲んでいるのは、いつも彼が俺に作ってくれたスクリュードライバーとは、少し違っていた。アルコールのせいだろうか。急に涙が目尻に滲み、自分自身で困惑する。
「大森さん……?」
小林くんはそれに気づいたのか、俺をじっと見つめて何かを考えているようだった。自分より遥かに歳を重ねた男が、いきなり泣いたりしたらびっくりするだろう。勿論少し潤んだだけで、ぼろぼろと溢れたわけではなかったのだが……それでも、みっともないことだ。
「何か悲しいことでもありましたか?」
「──気にしないでくれ」
「聞きますよ? 僕、人の話を聞くのは得意です」
小林くんはひどく優しく囁いて、一度席を立つとキッチンから何かを持ってきて再び俺の隣に腰を下ろした。
「酔っているんだから、年下とか年上とか気にしないで。大丈夫」
小皿に盛られたナッツをつまみ、小林くんはそれを口に入れた。その仕草がやけに色っぽく感じられて、俺はくらりとした。
駄目だ。
隣人に変な気持ちを抱いたりしたら、俺はきっとここにいられなくなる。だから店だけでそういう思いを発散し、あえて日常には持ち込まなかったのに。小林くんは何故かあっさりと、俺の垣根を飛び越えてこようとするのだ。
ぶるりと頭を振った。余計にくらりとした。軽い目眩を覚え、俺はソファに倒れ込む。
「大森さん……大丈夫ですか」
どこかで聞いた覚えがあるような小林くんの声が、遠く聞こえた。
やわらかな布団が俺を包む。小林くんの匂いが染み付いた布団はやけに落ち着いて、俺を深い眠りへと引きずり込む。
その夜は、辞めていったバーテンダーとキスをする夢を、見た。
鍵を失くしたのはどこでだったのか。鍵を失くして立ち尽くしている俺と出くわす絶妙なタイミングで、小林くんが何故コンビニに行ったのか。
すべてが仕組まれていたことであったのだと、気づくのはだいぶあとになってからだった。
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