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1 失くした鍵の行方
馴染みのバーで酔っ払って、どこかでアパートの鍵を失くしたらしい。男の一人暮らし、部屋で待つ誰かがいるわけでもなく、俺が鍵を持っていないなら玄関のドアが内側から開くことは永遠にない。
わびしいものだが、四十年ずっとそういう生き方をしてきたのだから仕方ない。浮いた話がなかったわけではない。しかし俺は結婚など出来ない種類の人間だった。
明日不動産屋にでも相談するのは良いとして、とりあえず今夜どうしたものかと、部屋の前でスラックスの尻ポケットをごそごそしていたら、隣の部屋の玄関が開いた。
「どうかしました?」
隣の部屋に住んでいる若い男は、夜の空気にうっすらと酔いも醒めてきた俺をじっと見つめて、にっこりと口を開いた。
引っ越してきた時に必要最低限の言葉を交わしたきりだった彼の名前を、俺は覚えていなかった。
「──えぇと、鍵を」
「鍵、見つからないんですか?」
「多分飲んだ店か道中のどこかで、落としたんだろうな。尻に入れといたんだが、ない」
「尻……」
「ポケットに」
尻付近に視線を落とした彼と俺の間に、不思議な沈黙が訪れた。
名前……なんだったっけなあ。
「小林です。僕これからコンビニに行くんですが」
「え?」
自分の思考が口に出ていたようで、彼は名前を教えてくれた。なんとなく気恥ずかしくなり、白いものがだいぶ混じり始めてきた頭を掻く。
「あーどうぞ、コンビニ行ってきて。俺はネカフェでも行くわ。まあどっか空いてるだろ」
「あの、大森さん」
小林くんが俺の名を呼んだ。そうだ大森と小林で、なんだか木偏同士茂ってるなあ、と挨拶の時にくだらないことを思ったのだった。だが「大」森の俺より「小」林くんの方が少し背が高かった。少しばかり弛んだ俺の体とは違い、今どきの子はスタイルが良くて顔も小さくしゅっとしている。
「僕すぐ帰りますんで、もし良かったら部屋で待っててください」
「は?」
「今夜は冷えます。ネカフェなんて体も休まりませんし」
「──や、俺は」
「ほらほらぁ、物騒なんで留守番任されてください。先日この辺で空き巣事件あったじゃないですか」
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