カラス

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カラス

なんだか騒々しいと思った。いつもの帰り道、ひとりで歩いていると、道の横で何かがどうにかなっていた。 よく見るとカラスだ。真っ黒なカラスが翼を強く羽ばたかせて跳ねている。どうやら足にヒモのようなものが絡まったらしい。どれくらいの時間そこで暴れていたのか、抜け落ちた羽根が辺りに散っている。 住宅地で夕方なのに、周りに人の姿はなく、カラスの悔しそうな鳴き声が低く響いていた。家に帰るにはここが近道なのだが、暴れているカラスに近付くのは怖い。知らんぷりして道を引き返し、遠回りして帰ろうか。 下手に近寄って襲われて怪我しても嫌だし、犬猫ならともかくカラスって害獣?害鳥とか言われてるし、野生の動物って何か菌を持ってるかもしれなくて、噛みつかれたり引っかかれたりしただけでも大怪我や病気になっちゃうかも。 悪いけど……とそんなことを考えながら、回れ右をしようとしていた足がもつれた。声をあげる間もなく見事にしりもちをつき、その瞬間……目があった。 他の誰でもない、カラスとだ。 その目は色を濃くする夕焼けの中で、吸い込まれるような真っ黒。身動き取れない苛立ちや、その身の不運を悔しがる、そんな感情が渦巻いている。更には、通りすがりの人間の無様な姿を見て驚き、そして少し、笑った気がした。 もちろんカラスの感情なんてわからない。しりもちをついた衝撃でパニックになっているのもある。女子高生がひとりでスッ転んでるとか、他人に見られたくないし、自分自身信じられない出来事だ。 でもそのあとの行動は更に訳がわからなかった。ため息と共に立ち上がると、制服のスカートについた砂やホコリを払うでもなく、カラスに近寄って行ったのだ。あとほんの二、三歩で手を伸ばせば触れられる位置でしゃがむ。 「それ、取ってあげるから」 声をかける。言葉が伝わるはずもなくカラスはもちろん警戒している。バサバサと羽根を広げ、威嚇してきた。近くで見ると、カラスは思ったより大きい。私は内心ドキドキしていた。カラスの警戒と同じくらい私も警戒しているし、怖い。でもそれよりも、このカラスはとても美しく見えた。 鴉の濡れ羽色という表現がある。なんとなく、真っ黒で艶のある感じだと思っていた。でもカラスはただの真っ黒じゃなく、よくよく見れば濃い紫色をしているらしい。今は少々毛羽立ったような感じでわかりづらいが、艶のある羽毛は野生だなんて思えない程きれいで、手入れが行き届いているようだ。 思わず出たため息は、自分の行動に対する呆れと、カラスの美しさからの半々だった。 「助けてあげるから、おとなしくしてて」 そっと、手を伸ばすとカラスはビクッと跳ねた。でもジリジリと焼けつくくらい、焦れるくらいゆっくり近付いて行くうちに、カラスは羽根をたたみ、おとなしくなった。 私の指はカラスの体ではなく、足に絡み付いたヒモに触れる。ただのヒモでなく光沢のある細い糸のようだ。キラキラ光る作り物の羽のようなものがいくつかついている。釣糸だろうか。 「キラキラしてるから、欲しくなったのかな」 独り言のようで、カラスに話しかけているかのようで、自分でもよくわからない。 糸を解いてやろうとしたけど、うまくいかなかった。「ちょっと待ってね」とわかるはずもない言葉を置いて、通学バッグから携帯用裁縫道具を出した。小さなハサミが入っている。 ハサミだけを持ちカラスの元へ戻る。怖がらせないように慎重に近寄り、糸を切ってみる。ぱちん、ぱちんと繰り返しながら、不意に思い返していた。 学校では浮いた存在とは言わないまでも、友達は少なく、ひとりでいることが多かった。感覚的に合わないなと思ってしまうと、一度隔てた壁は崩れることはなく、いつの間にかその壁は私自身をぎゅうぎゅうと狭めていった。 教室も学校も狭苦しく、それは次第に家の中でも感じていった。自分で壁を作っておきながら、その壁に圧迫され続けているのだ。 気が付くと空を見ていた。壁や隔たりのない広い空を見ていた。自由に飛び回る鳥たちの姿も見ていた。 ……もちろん、どんな生き物だって苦労がない訳じゃない。こんな風に足が絡まって動けなくなることもあるんだから。立派な羽根があっても、引きずられて。 ぱちん、と最後の一回の音がカラスが足を自由にした。小さなハサミは刃こぼれして、もう糸は切れない。ハサミをポケットにしまうと、私はカラスから少しはなれた。 「お待たせ、自由だよ」 とっとと飛んでいってしまうかと思ったけど、カラスはなかなかその場から動かない。じっとこっちを見ているようだ。でもその真っ黒な瞳からは、なんの感情も読み取れなかった。 これは私の自己満足なんだろう。カラスを助けたという無償の正義。私はきっと困っているカラスを助けたんじゃない。 「バイバイ、気をつけてね」 小さく振った手をカラスへと無意識に伸ばしてから、引っ込める。やたらと動物に触れるものではない、とも思ったし、触れる資格はないとも思う。 でもその艶やかな羽根には、少しだけ触れてみたかったなと、思った。
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