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“――もうすぐ、泉仍もお姉ちゃんねぇ”
記憶に残っているのは、ぼんやりとした女性の輪郭と、同じくらいぼんやりとした優しい声。
十五年前、日常が春にくるまれた季節に確かに存在した、あまりに小さ過ぎる記憶の断片。
ふとした空白の時間に、まるで朝露の雫が音もなく葉から零れ落ちてくるように、静かに脳裏へ蘇る光景。
今はもう、写真越しにしか会うことのできない母との記憶。
思い出しても涙が出るなんてことはないけれど、せめてもう少し鮮明に記憶できていれば良かったのにと、今よりも遥かに未熟だった自分を呪うことが何度もあった。
“――泉仍……ママはな、もう遠い所に行っちゃったんだ。夢愛がこの世界で幸せになるために、ママは……”
その僅か数週間後に聞かされた、お父さんの声。
どういうわけかこちらは、今でも鮮明に覚えている。
今も一緒に暮らしているからなのかもしれないが、一ヶ月も違わない記憶のはずなのに、どうしてこんなに不平等なのだろうかと胸中に不満が渦巻くこともあるけど、涙を零しながらそれでも泣くことを必死で堪えて話すお父さんの顔を思い返す度に、仕方がないと割り切ることができていた。
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