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すっかり湯気を失くしたコーヒーカップを三本の指で優雅に持ち上げたルビさんが、悪戯っぽい眼差しでクスリと笑う。
オレの答えを聞く前に、少し傾けて唇を湿らせた貴族をも思わせる所作が、ここ数年の度重なる経営陣の醜聞により一流からすっかり落ちぶれてしまったホテル内のどんよりとした会議室に物凄く不釣り合いだ。
「いえ。ルビさんが来てくれたお陰で、狙っていた以上の数字で締結できました。予想外の"濡れ手で粟"の収穫でしたね」
「ぬれて…?」
オレの応えに首を傾げたルビさんの傍で、書類の片付けを始めていた大輝さんが口を開く。
「苦労なく利益があったという意味です」
「へえ?」
ルビさんが、カップをテーブルへと戻した。
「――――――という事は、やっぱりここに来たのは余計なお世話だったかな」
「…厳密に言えば、YESです」
ゆったりとしたソファの端で、ひじ掛けに腕をおき、少し体を斜めにしたルビさんが愉快そうにオレを見つめて話の先を促している。
「――――――この商品はオレの趣味…ほとんど道楽で生まれたようなものです。原料に拘りがありすぎて、日用品なのに、香水よりも高い。正直、一部受けが狙えれば良いという感じで、得られる利益も、展望するポテンシャルも、低かったというのが本音です」
オレだけのボディソープを作りたいと、愛着をもって開発はしたけれど、当時は採算度外視の趣味の産物。
だけど、ルビさんの伝手で最初の販路となった世界チェーンのエステグループ"Aroma"のスパを皮切りに、じわじわとネットで騒がれるようになった。
大量生産に踏み切ってはどうか、そんな提案もスタッフから出たけれど、オレは敢えて、流通を調整する方法を選んできた。
販売戦略として、手に入れる飢餓感を煽るためであり、
「実は…今回契約したのは、次の最高級を支えるためのグレード…なんですよね」
「――――――へぇ?」
資と香りの話になり、再び理想の香りを求める情熱を復活させたオレが久しぶりに開発部に顔を出せば、研究員はまだオレの最初の理想を追いかけていて、最後の調整に至るところまで漕ぎ付けていた。
「もう少しで、このラスティングソープとはまた違う、イランイランの新しい香りが誕生します」
イメージから究極まで追い求めた理想の香り。
まずはトップ、温かい肌に触れた時に香るのは、微かにシトラスを乗せた、ゆっくりと、沁みるように、深いところに沈んでいく花の香り。
風呂から上がって体温が下がる頃のミドルでは、仄かにバニラが削られて甘くなり、服を着て、――――――もしくはベッドで熱を放つ頃には、ラストのイランイランが魅惑として立ちのぼる。
あれは、オレにとってのファム・ファタール《唯一の香り》と称っていい。
「凄く、良い出来です。――――――そのスーペリアより下のグレードになるエクストラも、このエクストラを凌ぎます」
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