0人が本棚に入れています
本棚に追加
前編
俺は山田。いたって普通の男子高校生だ。成績は中の中。運動神経は及第点。顔はたぶん、日本の男の顔を平均したらそっくり俺と同じになる自信がある。
学校生活もこれと言って特別なことがない。クラスで浮いているわけでもなく、つつがなく過ごせている。平和そのものだ。そろそろ寒くなってきたなとか、今日の弁当のおかずは何かなとか、そんなことをぼーっと考える日々がゆるく続いている。
俺は普通だ。しかし、この教室で普通なのは、残念なことに俺だけなのだ。
***
「山田!」
俺はいきなり両肩を掴まれた。折角人が微睡んでいるところに誰だよ、と思ったら、同じクラスの奏多の顔が目の前にあった。奏多は深刻な表情をして、俺の肩をゆすった。
「本当に山田だよな? 良かった。ちゃんと交信できたんだな」
「山田だよ。というかお前、今授業中……」と言いかけて、俺は周囲の様子がおかしいことに気が付いた。辺りが真っ暗だ。さっきまで教室にいたはずなんだが。
「なんだここ?」
俺が首を傾げていると、奏多はさらに顔を近付けてきた。
「山田、時間が無い。落ち着いて聞いてくれ。俺はどうやら異世界に飛ばされたらしい」
「はあ」
「今こうしてお前と話せているのも、俺がこの世界に飛ばされた時に手に入れたスキルのおかげなんだ」
「なるほど」
「だがこのスキルももう使えない。いいか山田。交信が終わったら、俺の家族に伝えてくれ。必ず世界を救ってみせるって」
奏多の体はみるみるうちに透明になっていった。奏多は最後に真剣な表情で俺を見て「頼んだぞ!」と言って消えてしまった。
途端に周囲の景色が暗闇から見慣れた教室に戻った。と同時に、授業の終了を知らせるチャイムが鳴った。ノートは真っ白で、板書は全くできていなかった。
奏多、世界を救うんだったら、せめて休み時間か放課後に連絡をくれ。
***
奏多は数日前から行方不明だと聞いていた。奏多の家族が朝起きると、突然いなくなっていたんだそうだ。先生が辛そうな顔をしながら俺たちクラスメートに話していたことを思い出す。
「事件の匂いがするね」
記憶がどんどんとよみがえってきた。そういえば、前の席の湯井出が、隣の席の幌府に小声で話しかけられていた。人が消えたなら普通に事件だろう。湯井出は「やれやれ」と呟いて頭を軽く振った。
幌府は転校生だ。来て早々に湯井出を見つけて「あの時の!」と叫んだ。湯井出もガタっと立ち上がった。湯井出の引いた椅子が勢いよく俺の机に当たり、反動で俺はひっくり返りそうになった。二人は先生が幌府に自己紹介を促すまで、ずっと見つめ合っていた。
確かその日の休み時間に二人でどこかに消えて、気付いたら部活を作っていた気がする。なんの部活かは忘れた。
湯井出とは席が近く、中学からの顔なじみなので話すことも多かった。一度湯井出から「お前、神様っていると思う?」と聞かれたことがある。俺は笑い飛ばしていたが、湯井出の目は真剣そのものだった。その視線の先には幌府がいた。
最近、湯井出たちの部活に新たに二人ほど入部したという話を聞いた。どうやら幌府が勧誘したようだ。一人は幌府と同時期に転校してきたアメリカ人、もう一人は全然学校に来ない不良だった。俺は勧誘されなかった。
***
異世界の奏多から承ったメッセージを、どうやって彼のご両親に伝えようかと弁当を食べながら考えていると、いきなり俺の後ろの窓がガラリと開いた。
振り返れば、鮮やかな青い髪をたなびかせた女の子が、窓に足をかけて教室を伺っていた。制服らしきものを着ているが、俺の学校よりも派手というか、少し畏まった印象を受ける。それにあんな髪をしたやつは見たことがない。どこぞの貴族のお嬢様だろうか。
そもそもこの教室は四階にある。窓には手すりがなく、伝ってこられそうな植木もない。
どうやって入ってきたんだと訝しんでいると、いきなり教室の中央から「ルリット!?」という声が聞こえた。この声、古奈だな。
「古奈、行くぞ。奴らが現れた」
ルリットと呼ばれた女の子は古奈と知り合いらしい。目の前にいる俺を透過でもしたかの如く、古奈だけを見つめていた。俺は初対面なのでとりあえず体を引いておいた。
「学校に来ちゃダメだって言ったじゃないか!」古奈が窓際まで駆け寄ってきた。そして唐突に俺の方を向いた。
「ごめんな山田、驚かせて。この子はルリットっていうんだ。事情は……ちょっと複雑で話せそうにない」
複雑も何も、どう見たってこの世界の人間じゃないだろう。なんかカラフルなケセランパサランも周りに浮いているし。もしかして、奏多と交代したのか? 異世界との学生交流なんて俺の学校もやるな。
「この学生は誰だ?」
ルリットはようやく俺を認識したらしく、鋭い目つきで俺を睨みつけてきた。俺は人畜無害を装うために、ちょっと芝居がかった笑顔を浮かべて「こんにちは。俺は古奈の友達の山田っていいます」と挨拶した。
ルリットは返事もせずに視線を古奈に戻した。古奈は俺とルリットを交互に見て、困ったような顔をしていた。
「こいつも連れて行くのか?」ルリットは古奈に聞いた。
「いや、山田君は巻き込めない」古奈は否定した。俺はそんなことより弁当が食べたかった。だが、古奈とは近所の猫カフェ仲間なので、さも心配そうな顔をして古奈を見た。
「古奈、大丈夫なのか? 俺でよければいつでも力を貸すぞ」
「ありがとう。大丈夫。全部終わったら話すから」
古奈は頼れる仲間を持ったような顔つきをして答えた。全部終わる前に卒業していそうだった。
畢竟、あとで話すと言われて話されたためしがない。できれば途中から参加者に入れて欲しかったのだが、俺が何か言う前に二人で窓を飛び立ってしまった。
開けたら閉めろよ。
***
昼休みも終わりに近づいていた。俺はルリットが開けっ放しにした窓を閉めて、弁当を再開した。
ミニエビグラタンを食べながら何の気なしに教室を眺めると、半分近くの席が空いていた。奏多のように最初から来ていないやつの席もあれば、古奈のように途中で出ていったやつもいる。あとは数席ほど、闇に覆われたり変な扉に置き換わったりしていた。あそこは夜半と佐里間の席だな。あいつらはそろそろ出席日数が足りなくなるんじゃないのか。
いなくなったやつらとは大体昔からの付き合いだ。どいつもこいつも俺に向かって「あとを頼む」だの「お前はこっちには来るなよ」だの言っていた気がする。別にからかわれているわけではないと分かっているのだが、のけ者感は否めない。
だが、そうは言っても無下にはできないので、決まって「何が起こってるか分からねえけど、俺はお前の味方だからな」といったニュアンスの言葉を返している。敵になったら一瞬で消されそうだから、むしろ俺の方が味方を求めているぐらいだ。
「山田!!!」
また名前を呼ばれた。今度は教室の後ろのドアからだ。見れば、眼鏡をかけた優男が息を切らしてドアに手をかけていた。俺の姿を確認するや否や、ずんずんと近付いてきた。俺は次に起こる事態に備えてミニエビグラタンを弁当に戻した。
その優男はいきなり俺の襟首を掴んだ。座っていた状態から無理やりに立たされた。座っていた椅子も机もガタッと揺れた。持っていた箸は床に落ちた。
「な……なにすんだよ、針谷!」
俺は優男の腕を掴みながら叫んだ。こいつは針谷。俺の友達だ。だが、奏多や古奈に違わずろくな友達じゃない。
「お前が……お前が!」
針谷は怒りの形相で俺を睨みつけた。怒髪天を衝く勢いに俺は気おされそうになった。だが、針谷には何度か同じ目にあわされているので、無理に反撃せず、少し待つことにした。
「針谷くん、やめて!」
俺たち二人のもとに同級生の女の子が割り込んできた。予想通りだ。
「山田くんが何をしたっていうの!?」
「止めないでくれ、理絵! こいつのせいでお前が……」
「わけわかんないよ! 私がどうしたっていうの!?」
理絵の姿を見てたじろいだのか、針谷は腕の力を緩めた。その隙に俺は針谷の腕を軽く叩いた。すると針谷はそのまま襟首から腕を放し、俺は椅子にもたれ込んだ。
「だ……大丈夫? 山田くん」と理絵が心配そうに俺を見た。
針谷は黙って俺を睨んでいた。そのままだと殴られそうだったので、俺は仕方なく口を開いた。
「ど……どうしたんだよ、針谷。俺が何をしたっていうんだ」
針谷は何度か深呼吸を繰り返した。そして一言だけ「すまない」とこぼすと、そのまま教室を出て行ってしまった。
「ま、待って!」と理絵も針谷を追いかけていった。俺はそこでようやくミニエビグラタンの安否を確認した。ミニエビグラタンは弁当と一緒にひっくり返っていた。今度は俺が怒髪天を衝きそうだった。
針谷は、言ってしまえばタイムループしているらしい。ある一週間をずっと繰り返しているそうだ。月曜日にスタートし、日曜日に終わりを迎える。
今回の終わりは文字どおり、針谷も、針谷を追いかけていった理絵も、この教室のクラスメートもみんな死ぬらしい。ただ一人、俺を除いて。
と言っても俺に罪はない。俺は偶然誰かが死ぬ場所に居合わせただけで、犯人は別にいるのだ。だが、針谷が目撃するのはあたかも俺が誰かを殺したような光景だ。今日は理絵が止めに入ったから、さしずめ昨日、俺が理絵を殺したといったところか。
針谷のループ癖が始まったのはこの学校に入学してからだ。最初こそ支離滅裂な言動に苦しめられたが、今では針谷の様子を見て、大体何が起こっているのか分かるようになった。惜しむらくは、針谷自身がそれを認識していないということだ。つまり一つのループが終わると、針谷の記憶はそこで整理される。ループ中の記憶が消えて、正規ルート、つまりループの終了する一週間だけが記憶として残るのだ。
残るのだ、とは言ったものの、俺は側から見て考察しているだけだから、実際のところ針谷に何が起こっているのかは分からない。だが、そろそろ俺にもループに参加させてほしい。俺はミニエビグラタンを救いたい。
***
放課後が近づくにつれて一人また一人と教室からクラスメートが姿を消していった。彼らが教室から出ていくたびに俺は肩を叩かれた。そんなことが毎日続くおかげで、俺は肩だけが異常に分厚くなった。だが今日の俺の肩は少し奇妙だった。
なんだかやけにもこもこしている。それに熱い。試しに左肩を右手で触ってみると、どくん、と鼓動が掌を伝わってきた。
俺の心臓はいつの間にそんな場所に移動したんだ。そんなことを考えていると、頭に声が響いた。
「貴様の体、貰い受ける……」
おっさんの声だった。譲るんだったら女の子がよかった。しかし俺の願いも空しく、両肩から制服を突き破り、黒い触手のようなものが生えてきた。
「うわあああああ!!!」
俺はおっさんに体を明け渡してしまった悲しみと、制服を破ったことで母親から叱られるという恐怖で叫んだ。
俺の声を聞いてくれるやつはほとんどいなかった。というか教室に誰もいなかった。先生だけが狼狽えていた。夜半は光に浄化された。佐里間は扉が鎖で封印されていた。
俺の肩から出現した触手は、みるみるうちに俺の体を飲み込んでいった。だが、宿主である俺が死なれては困ると考えたのか、触手の力はそれほどでもなかった。さらに触手は暖かかった。俺はまるで温泉にでも浸かっているかのような心地よさを手に入れた。そして眠りについた。
「……きて。起きて、山田くん」
誰かに呼ばれる声で目を覚ました。目の前には四人の顔が心配そうに俺を見つめていた。その後ろには夕焼けが広がっていた。背中には硬い感触。どうやら俺は外に寝転んでいるらしい。
「良かった。目が覚めたんだね」
一番手前にいた女の子が俺の肩に手を当てた。最初に呼んだ声も彼女らしい。意識が覚醒し、視界がどんどんとクリアになってくるにつれて、目の前の女の子たちが誰なのか分かるようになった。
千里、美柚元、眞知、京野京野。四人とも俺と同じクラスの生徒だ。どうやら彼女たちが助けてくれたらしい。お礼を言おうとするが声が出ない。それに体も動かなかった。
俺は目だけで彼女たちの様子を伺った。すると、普段とはどこか雰囲気が異なることに気が付いた。
なんだこの制服。
彼女たちは普段の紺色のブレザーとは似ても似つかないような、ふわふわキラキラした格好をしていた。フリルというやつだろうか、動くたびにひらひらする装飾がたくさん付いている。それに色も鮮やかだ。最初に俺に話しかけた千里は青で、美柚元、眞知、京野はそれぞれピンク、黄色、黒を基調としていた。あとは手に持ったステッキ。何か向けられたらやばそうな気がした。
「千里、そろそろ行かないと」
黒の京野が青の千里に話しかけた。千里も「そうだね」と答えて立ち上がった。
「ごめんね、山田くん。また学校で」
千里がそう言って俺の肩から手を放した。彼女たちはそのままシュシュッと飛び立ってしまった。驚異的な身体能力だ。あれが恐らくどこかの何かと契約した魔法少女とやらだろう。
しばらくして俺は体を動かせるようになった。立ち上がって辺りを見回すと、そこは学校の屋上だった。
「寒いな……」と俺は独り言を漏らして肩を抱いた。そこであることに気が付いた。俺はまた叫んだ。
俺の制服は破れたままだった。
***
俺は母親にどうやって謝ろうか考えながら、奏多の家を目指して通学路を歩いていた。残念なことに上着も体操着も持ってきていなかったので、俺は破れた制服のままで街中を歩くことになった。最初こそ周りの好奇の目やくすくすと笑う声に身を縮めていたが、そのうち段々と気にならなくなって、最後には肩で風を切るようになった。肩は風が当たって寒かった。
奏多の家の前で、俺はひとしきり考えた。異世界に行った奏多のメッセージをそのまま伝えたとして、奏多のご家族は信じてくれるだろうか。我が子を失った悲しみの中で、突然変な高校生が「奏多くんは世界を救いに行きました」などと言って、驚いたりしないだろうか。俺はぶん殴ると思う。
やめよう。メッセージを伝えるなら俺じゃなくて直接ご両親にしろよ。
俺は踵を返し、家に帰ることにした。もう辺りはすっかり暗くなっていた。遠くで犬の吠える声が聞こえる。頭上には鳥か蝙蝠の飛ぶ音が響く。心なしか風も冷たかった。
人通りの少ない十字路に差し掛かると、俺は突然背筋が凍るような感じがした。周りを見渡す。すると、点滅した白い街灯の傍に、何かが立っているような気がした。目を凝らしてもよく分からない。人ではないようだ。四足歩行の動物、犬か何かだろうか。
俺はしかし、その動物に近付くことはできなかった。何か嫌な予感がしたからだ。俺は慌ててその動物から目を放し、全速力で逃げ出そうとした。
するとその動物は俺を追いかけてきた。暗闇で足元もおぼつかない中、後ろを確認しながらの逃走だったので、俺は案の定何かに躓いた。前のめりに倒れ込む。膝を擦ったらしく、ズボンには穴が空いていた。もうこの動物は母親が仕向けた刺客なんじゃないかと思えてきた。
その動物はぐるるると唸り声をあげながら近づいてきた。姿はよく見えないが、赤く光る眼が三つ暗闇に浮かんでいた。ただの動物ではない、恐らく化物の類だろう。
そこで俺は閃いた。この化物に制服を破られたことにしよう。助けを呼んで、来た人に証人になってもらおう。
「だ……誰か助けて!」
俺はさも絶体絶命という体で叫んだ。その声に反応したのか、化物も口を開けて襲い掛かってきた。
うまく破いてくれ、と思った時だった。
目の前の化物がいきなり吹き飛んだかと思うと、電柱に衝突し、そのまま黒い霧のようになって消えてしまった。
「大丈夫か、山田」
俺の頭上で声がした。そこにはクラスメートの菅原が立っていた。隣には白い大きな狛犬のような生き物を連れている。俺は来るのが早えよと思いながら、驚きの声を上げた。
「す……菅原!」
「危機一髪、ってところだな」菅原は手に持った札のようなものを懐にしまった。その格好も制服ではなかった。さしずめ陰陽師といったところだろう。
「悪いけど、詳しく話している時間は無いんだ。これからもっとやばいやつが出てくる。山田、家まで送ってやるから、今日はもう外に出るなよ」
菅原は俺の話も聞かずに、狛犬に俺を乗せて家まで運んだ。菅原は「じゃあな」というと、俺を玄関に下してそのまま飛び立っていった。
俺は結局、制服を破いたことで母親からそれはもうこっぴどく叱られた。さっきの化物より母親の方が怖かった。
***
次の日、俺は珍しく体調が悪かった。原因は分かり切っていた。二、三時間近くひたすら正座で反省させられたからだ。母親が制服を直す隣で、途切れることなく説教を聞かされ続けた。しまいには父親も俺の隣で正座していた。だがそのおかげで制服は一日で直してもらえた。朝、意気揚々と学校に向かおうとすると、なんとなく体が悪かった。熱を測ってみると少し高かった。それに足の痺れも残っていた。あと肩も痛かった。
大事をとって俺は休むことにした。母親は少しだけ不満だったが、それでも息子の体調を気遣ってくれたのか、おかゆと氷枕を用意してくれた。一緒に正座させられていた父親も少し熱があると訴えていたが、母親に尻を叩かれながら出勤していった。あれは多分仮病だろう。
そういえば高校に入学してから、こうして当日に急遽休むようなことは初めてだ。今までは前日に休みの連絡を入れていたし、あっても半日がせいぜいだった。
俺がいない教室はどんな感じなんだろうか。たぶん何も変わらないだろうな。俺すらもいなくなるなんて、先生、かわいそうだな。
そんなことを考えながら、俺はまた布団にもぐった。
最初のコメントを投稿しよう!