後編

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後編

「あれ? 山田は?」  最初に山田の不在に気が付いたのは湯井出だった。その声に、隣に座っていた幌府も後ろを向く。確かに、今日は山田の席が空いていた。  幌府は「珍しいね」と湯井出に声をかけた。湯井出からしても、山田が何も言わずに休むことは晴天の霹靂だった。山田は湯井出にとって、幌府たちと続ける部活を外から見てくれる心強い存在だったからだ。そのことを幌府も認識していた。 「ちょっと心配だね」  幌府は山田の不在を深刻に捉えていないようだったが、湯井出からすれば異常事態だった。それは、幌府が山田の不在をどう感じるのかに左右された。  幌府は神様だ。と言っても、全知全能の神というわけではない。少しだけ、湯井出の願いを汲みとって、小さく叶えてくれる。そんなささやかな神様だった。だから、幌府が部活を作ろうと言い出した時も、これは多分、自分が部活を作りたいんだと湯井出は理解していた。  湯井出の意思とは関係なしに願いを汲みとる幌府。だから、湯井出が大それた願いをしないよう、山田はブレーキとして作用していた。  その山田がいない。湯井出は山田の突然の不在に、無意識に山田を求めてしまった。その願いに幌府が反応した。 「あ……ああ……」  湯井出の見つめる先、山田の席には、すでにチリチリと粒子が集まって、人のような形を成し始めていた。 「ああああああああ!!!!!!」 「ちょっと!?」  湯井出は教室を飛び出した。ここにいては、いや幌府の近くにいては、自分は新たに山田を作り出してしまう。いや、幌府の力では、人ひとりを作り出すなんて無理だ。だったら、あれは山田のような、おぞましい別な何かではないのか。湯井出は恐怖に駆られて、幌府から少しでも離れようと逃げ出した。 ***  湯井出と幌府が消えた教室には、異様な雰囲気が漂っていた。その原因はいわずもがな、山田の不在にあった。あとを頼むべき、味方になってくれるべき、肩を叩くべき存在の欠如。この教室では、一人ひとりが特別だったからこそ、山田という普通が必要不可欠だった。 「山田ああああああああ!!!」  突然教室に備え付けのスピーカーから声が響き渡った。 「山田、山田、やまだ!!!!! メッセージは!??? 俺のメッセージは届かなかったのか!!?? あああああぁぁスキルが!!! スキルが消える!!! 山田!!!! 返事を!!!!! 返事……」  声はぶつりと途切れた。声の主は奏多だった。彼のスキルは、教室にいる誰か一人とメッセージをやり取りできるものだった。無論、異世界で無双する彼にとって、そんなスキルは数ある中の一つに過ぎなかった。だが、この世界と繋がるのはそのスキルだけだった。  そのスキルでやり取りできるのは山田だけだった。山田が特別だったからではなく、むしろ、他のクラスメートが全員特別だったために、奏多のスキルを異常なものとして弾いていたからだった。山田に向くはずだったメッセージは、湯井出と幌府の作った山田のような何かに反射して、教室のスピーカーから発せられた。 *** 「ルリット……?」  古奈はスピーカーから発せられた叫び声がまるで聞こえないかの如く、目の前の鏡を凝視していた。その鏡には古奈ではなくルリットの姿が映っていた。 「すまない、古奈……」  ルリットは申し訳なさそうな顔をした。彼女の背後に広がる風景を見て、古奈は焦りを隠せなかった。彼女の背後には火の手が上がっていたからだ。彼女の声に交じって、男や女の悲鳴も聞こえた。 「やつらが私の世界に攻めてきたんだ。私には帰還命令が下された。突然のことで、君に十分に話ができなかった」 「いや……いやだよ、ルリット」 「君を巻き込むわけにはいかなかった。君には君の世界があるから」  ルリットの背後に火の手が迫っていた。 「もし、この戦いが終わったら」ルリットは精いっぱいの笑顔を古奈に向けた。 「また君の世界に、行くから」  ルリットがそう言った途端、鏡は粉々に砕けた。 「ルリット! ルリット!」古奈は叫んだ。スピーカーから響く、奏多の声に負けないぐらいの大きさだった。教室には奏多と古奈の声が入り混じっていた。  ルリットの世界を攻めてきたのは、奏多が指揮するレジスタンスだった。ルリットの世界と奏多のレジスタンスは、ともに異世界を侵略しようと企む魔王軍と戦っていた。魔王軍は異世界だけでなく、古奈たちの住むこの世界も手中に収めようとしていた。ルリットはそれを食い止めるべく、古奈たちの世界にやってきた。  魔王軍は常日頃から、ルリットの世界とレジスタンスの対立を狙っていた。スパイを忍ばせ、互いに不利な情報を流したり、小さな諍いを起こしていた。だが、レジスタンスのリーダーである奏多は、その豊富なスキルと経験により、魔王軍の策略をことごとく摘み取っていた。  その奏多が乱心した。奏多は魔王軍の策略に嵌り、ルリットの世界を攻めた。奏多が乱心した原因は、山田の不在だった。 *** 「理絵……お前が山田を……?」  針谷は呆然としていた。理絵が、山田を殺したのは私だと告白したからだ。 「うふふ、そう。私が殺したの」  理絵は恍惚の表情を浮かべながら、針谷の前でくるりと回った。 「なんで……」針谷はそう言って跪いた。 「だって、邪魔だったんだもの。山田くん。いつも針谷くんに付きまとってるし。針谷くんだって、私より山田くんといる方が楽しそうだったし」  理絵は針谷の顔を覗き込んだ。針谷の困惑と絶望した顔に、理絵はぞくぞくとした。理絵からすれば、針谷はいつも自分を置いて何でも解決してしまう。それは別に良かった。だが、針谷が頼るのは理絵ではなく山田だった。理絵にはそれが許せなかった。  理絵がこんな感情を抱いたのは、山田が休んだからだった。朝、山田の不在を教務員室の前で耳にすると、自分の中にあった山田への嫉妬が、なぜかふつふつと湧き上がってきた。それと同時に、もし自分が山田を殺したと針谷に言ったら、針谷はどんな顔をするだろう、そんな興味を持った。  針谷が見せた表情は期待以上だった。これで、山田を失ったと思い込んだ針谷は、自分に助けを求めてくる。明日山田が来たら、嘘だったと誤魔化せばいい。そう思った時だった。  針谷の腕が、理絵の細い首を絞めつけた。みるみるうちに理絵の顔は青ざめていく。 「な……はりや……くん」  理絵は首を絞められながら針谷の顔を見た。その顔は怒りに満ちていた。しばらくして、理絵は事切れた。 「あ……あああ」  針谷は自分のしたことが信じられなかった。山田と理絵、信頼する二人を失ったショックを受け止めきれなかった。 「……」  針谷はそのまま、その場で動かなくなった。  今回のタイムループで、針谷は山田に頼ることが多かった。前回のループでは山田が理絵を殺したため、最終的には針谷自身が山田を殺すことになった。針谷はそのことに負い目を感じていた。だから、今回のループでは山田の傍に居よう、山田を理絵と引き合わせないようにしよう、そう思って行動していた。その行動が理絵にとっては、針谷が自分よりも山田を優先しているように見えた。  もし山田が今日休まなかったら、針谷は理絵と山田の三人で、ある事件を解決することになる。そこで針谷は山田だけでなく理絵にも助けを求める。タイムループは今回で終了するはずだった。針谷はまた、今週を繰り返す。 ***  屋上では菅原と魔法少女の四人が戦いを繰り広げていた。菅原の操る狛犬は、すでに美柚元と京野によって倒されていた。だが、二人も戦いで負った傷が深く、動けるのは既に千里と眞知の二人だけだった。 「お前ら、いい加減にしろよ……」  菅原は息を切らしながら千里と眞知を睨みつけた。 「そっちこそ、いい加減消えてよね!」  千里もぼろぼろになりながら、ステッキを菅原に向けた。 「スターライト!」  千里が叫ぶと、ステッキから星形の光線から飛び出した。まっすぐに菅原に向かっていく。菅原はそれを間一髪で避ける。すると、菅原の死角から眞知が同じように光線を浴びせかけた。 「ぐああぁっ!」  菅原は背中に強烈な痛みを感じて叫んだ。彼女たちの持つステッキからは、生身の人間など簡単に焼き尽くしてしまうほどの高密度のエネルギーが発せられていた。菅原が術でもって防御していなければ、今の一撃で死んでいたかもしれない。  彼女たちのエネルギーも無尽蔵ではない。人を助けることで蓄積されるエネルギーは、菅原との戦いでひどく消耗していた。エネルギーを失った魔法少女がどうなるか、それは考えたくなかった。だからこそ、悪の根源である菅原を一刻も早く倒す必要があった。  しかしそれは、菅原にとっては濡れ衣に過ぎなかった。むしろ自分は妖怪からこの街を守る、由緒正しき家系だと自負していた。それがこんな、コスプレをした同級生にやられるなんて、許されることではない。  結局のところ、この戦いは魔法少女側の焦りが招いたものだった。彼女たちが助けるべき人は、彼女たちの予想に反して現れなかった。山田だ。  彼女たちにとっても、助けたいときにちゃんと助けられる、いや助かってくれる山田の存在は、エネルギーを回復する点において非常に重要だった。 ***  結局山田は来なかった。昼休みを過ぎても、放課後になっても、教室には生徒が残っていた。先生が教室の鍵を閉めに来てはじめて、一人、また一人と教室をあとにしていった。そこには窓から飛び出す生徒も、光に包まれて消える生徒もいなかった。  ただ、彼らの共通認識として、明日も山田が来なかった場合、この教室、この世界、いや時間や空間も超えた全てが危ういという事実があった。 ***  学校に行きたくねえ。  昨日一日休んだせいで、体がすっかり休日モードに入っていた。まだ週も半ばだというのに、勉強に手が付く気が全然しなかった。  朝、もう一日休んでいいか母親に聞いたら、なに馬鹿なこと言ってんのよと尻を叩かれた。俺は同じように尻を叩かれた父親と一緒に家を出た。  通学路を歩いていると、俺はふと違和感を持った。何かが起こるという違和感ではなく、何も起こらないという違和感だ。  普段であれば、通学中でも俺の周りには特別な連中が動き回っていた。魔法少女の四人や菅原ともよく出くわした。佐里間にドアを借りて教室まで連れて行ってもらったこともある。  しかし今日にいたっては何もない。全く普通だ。いや、普通が当たり前なんだが。普通がおかしいという感覚はおかしい。  俺は何かあったのかと首を傾げながら学校にたどり着いた。学校の様子も普通だった。俺が普通なことは構わないが、学校すら普通というのは不気味だった。  とは言っても、俺が考える不気味さなんてものは、結局常識の枠内に収まる。全てのことは俺のクラスメートが解決してくれるのだ。俺は彼らに任せて、普通の学校生活を送るのが一番だ。  俺は今日も、最近寒いなとか、おかずにミニエビグラタン入ってないかなとか、そんなことを考えながら、教室のドアを開けた。
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