12770人が本棚に入れています
本棚に追加
「……わたしも、嵌めたかったです」
美しくも男らしい手を取り、薬指に口づけた。がっしりと太く存在感のあるその指輪は、あつらえたように彼に似合っている。
いつか終わる結婚だというのに、ここまでする必要があるのだろうか。そんな疑問が頭を過ぎったが、口に出すのはナンセンスだ。いまはただ、彼とこういう関係になったことに、密かに、ほんの僅かに、心を躍らせていればいい。
「指輪を交換し合うなんて、本物の夫婦みたいだろう」
「戸籍上は本物の夫婦ですが」
「俺が言っているのは、気持ちの問題だよ」
指と視線を絡ませ合い、どちらからともなく唇を重ねた。苦い味がする。さっき、わたしを車から降ろしたあとに吸っていたから。
「貴介さん、タバコ、やめませんか?」
「やめない。電子タバコにもしない」
「もう、今時」
「結局、これが一番うまいんだ」
彼がスラックスのポケットから出したのは、パーラメントのボックスと純銀のジッポライター。呆れたわたしの唇をまた奪い、それから首筋にまで下りてくる。
「俺の思うままに、妻としての務めを果たしてもらおうかな」
「ここじゃ、嫌です」
「こんなところで新妻を抱かないよ。美味いものも不味くなる」
新妻──聞きなれない響きに右往左往しているうちに横抱きにされ、逞しい首にそっと腕を回した。鼻を寄せると、甘いムスクの香りがする。これが貴介さんの匂い。今日からわたしの夫になった人の、匂い。
「シャワーを浴びたいなんて野暮なことを言わないでくれよ。このままでいい」
寝室はキッチンの奥のようだ。オレンジ色の柔らかなコーブ照明が満ちるその部屋にはグレーのカーテンが引かれており、中心にはやたら大きなベッドが鎮座している。
「このベッドを使うのは初めてだ」
「え?」
「キングサイズに新調したんだ。大人ふたりが寝るには、ダブルベッドは狭すぎるから」
目を丸くしている間に照明が落ち、ほんの僅かな間接照明が、すっきりと美しい相貌を照らす。
毎晩ここで眠ることになるのだ。いい日も悪い日も、ケンカした日も少し近づけた日も──日々を踏みしめながら、この結婚が終わる、ただその日まで。
最初のコメントを投稿しよう!