親友

3/14
前へ
/78ページ
次へ
 甲斐田佳代子が死んだのは昨日。今日と同じ梅雨のじめじめとした昼のことだった。  私はいつものように学校に来て、いつものように授業を受けていた。彼女とはクラスが違うから、皆勤賞を狙っていた彼女が学校に来ていないことも、学校から連絡をうけた彼女の母親が家から学校までの道のりを探し歩いていたことも知らなかった。  朝は降っていなかった雨がしとしとと降り始めていた。換気のためにと少しだけ開けた窓の向こうを見ながら、お昼ご飯を食べた後だから眠いなあ、自転車で来ちゃったから帰りにはやんでるといいなあ、カッパ着て帰るの面倒なんよなあなんてぼんやりしていた。  黒板の前には三組担任の宮内先生がいて現代国語の授業が繰り広げられている。現国はわりと好きだ。小さいころから本を読むことが好きで、高校生になって教科書に昔読んだことのある話が載っているとテンションが上がってしまう。  その時はちょうど山月記の授業だった。私は中学生のことからこの話が好きだ。人間が虎になるというところがかっこいいなと思って好きだったのだが、高校生になって改めて読み返してみると、当時の私がいかに浅い読みしかしていないのかを痛感する。  李徴が虎になってしまった理由は自分を過信しすぎたからだ。自分大好き人間、いわゆるナルシスト。その心が大きく膨らんでしまって人間の形を保てなくなり、虎に姿を変える。そこに通りかかった、かつての友の袁傪に事情を話し、永遠の別れをする。李徴が虎になってしまったのは自業自得だ。天狗になっていいのはその道のプロだけ。一般人がナルシストになると周りの人が離れていくのは自明の理だ。そんなことも分からないから虎になってしまうのだ。  ふふん、と鼻で笑いながら私は耳だけ授業に傾ける。宮内先生の話は正直つまらない。先生自体はナルシストの塊だ。自分の知識が正しいと信じて、その一部を我々に披露しているに過ぎない。若くてイケメンだけれど、電車で痴漢された時に先生が近くにいたとか、階段の下に突っ立って上っている女子生徒をじっと見ていたとか、そんな根も葉もない噂がある。しかし、所詮は噂。決定的な証拠はなくうやむやになっていた。 生徒たちだって、スカートを膝より短くして、いい匂いの香水をつけて階段を上る。そこに先生たちが通りかかれば、「やだ、先生見ないでね」なんて言ってお尻を隠す。それでいて勝手な噂を立てるのは、一体どちらが悪いのか。
/78ページ

最初のコメントを投稿しよう!

49人が本棚に入れています
本棚に追加