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4章 すれ違い
[1]
何かに集中していたくて平助は前川家の庭で竹刀の素振りをしている。
そうでもしていないとすぐに名都のことを思い出してしまう。
活躍を夢見て京へ上ったものの忠誠を尽くす場に恵まれることもなく
ただ日々を無駄に過ごしていることに焦る気持ちをなだめてくれた名都……
思わず抱きしめてしまった。
それだけでなく口づけまでしようと……
会って話したい……
平助は幾度か丸櫛屋を訪れ、名都への取次ぎを頼んだが、
いつも「先客がいてますんや 」と店の女将や男衆から半分迷惑、半分気の毒といった顔で告げられるだけであった。
四度目のとき『これで最後にしよう 』……そう心に決め丸櫛屋に行くと
すっかり顔なじみになった男衆が小声で
「あのなぁ、藤堂はん。 ほんまに申し訳ないけど名月は、あんたはんには会いたくない言うてますのんや。 」
……名都の源氏名は名月というのだな。
会いたくないといわれているのに、なぜかそんな些細なことに考えがいってしまう。
いや、本当は会いたくないと思われていることに気づいていた……
なのに……その言葉の棘が想像以上に深く心に刺さる。
気の毒そうに平助の様子を伺う男衆を気遣うように笑みを浮かべ頭を下げる。
「わかりました。 名都さん……いえ、名月さんに私が詫びていたとお伝えください。
こちらのお店にもご迷惑をかけてすみませんでした。 」
名都とはもう会うことが叶わぬのだな……
素振りの腕を止め、ため息をついた
もう会えぬのなら島原などに行きたくはない、それでも平助が望もうと望まざるとにかかわらず
芹沢のお供のため島原に足を運ぶ機会は多い。
芹沢がお気に入りの花砂屋で遊んでいるのを待つ間、気がつけば丸櫛屋の二階をぼんやり眺めている。
雨が降れば名都はあの日のように二階から顔を見せるだろうか……
いや、俺は嫌われた…… 未練だ
丸櫛屋から目をそらす。
月を見上げながら平助は名都への気持ちに蓋をした。
平助が気持ちを封印したのと同じころ、
浪士組では着々と京都市中警護の任務開始のための準備が進められていた。
新規の隊士の募集も大坂の道場を回って行われ、芹沢の主導で隊の旗と制服が老舗の呉服屋に発注された。
京へきてようやく自分たちの仕事が始まるということで平助は隊士募集にも熱心に励んだ。
制服が届けられた日、芹沢は皆を集めて『〇に大の文字』が入った屋号が書かれた行李から
制服を出し自ら一人一人に配るという喜びようである。
「……これはひどい 」
土方がぼそぼそと芹沢に聞こえないように文句を言ってる。
こんなに芹沢が喜んでいるのに試衛館派はともかく
腹心の新見たちまで苦笑して羽織を着ようとしていない。
さすがに芹沢さんが気の毒だ……
平助は黙って浅葱色の袖に白く山形が抜かれた奇抜な羽織に袖を通した。
普段なら絶対着ることのない派手な装飾が恥ずかしいが我慢する。
それを見ていた井上や永倉も「平助、意外と似合うなぁ…… 」などと言いながら羽織を着だした。
源さんも新八さんも優しいな、一人気恥ずかしい気持ちでいた平助を気遣った二人に感謝した。
永倉が普通の羽織よりかなり長い紐を持て余しぶらぶらさせながら平助を見る。
この長い紐を『どうするのか……? 』と永倉と目で相談していると
芹沢がいそいそと近づいてきた。
「おお……さすがは藤堂君。 よく似合っている。 顔が良いと何を着ても似合うのだな 」
そして平助たちに羽織の紐の結び方を伝授し始める。
「なるほど……粋ですなぁ 」井上が芹沢に調子を合わせながら紐を前で結び余った部分を首からかけ、後ろでもう一度結び目を作ろうと苦戦しているので「手伝いますよ 」平助は声をかけると井上の背中で紐を結んだ。
「……似合うか? 」
「……ええ、とても…… 」
お互い笑いに耐えながらほめあっていると
「源さん、新八、平助も赤穂浪士みたいでかっこいいじゃねえか 」
原田がやじるので芹沢の気を損ねたくない近藤が「赤穂浪士とは……忠義の我らにぴったりだな、土方君 」などと言いながら着始めた。ようやく皆が羽織を着て腰を下ろす。
羽織に袖は通さず両肩からかけただけの土方が前へ出てきた。
「皆、聞いてくれ。 今から今後の隊についての大事な話を少ししたい。
隊の全員が守るべき掟と役職、新入隊士の組み分けについて説明する。 」
まずは掟について……『局中法度』と書かれた紙を広げた。
一.士道に背き間敷事
一.局ヲ脱スルヲ不許
一.勝手ニ金策致不可
一.勝手ニ訴訟取扱不可
一.私ノ闘争ヲ不許
右条々相背候者
切腹申付ベク候也
後に新選組を鉄の組織に作り上げたともいえる掟が土方から発表される。
切腹という不穏な響きに場は少しざわつくが、かまわず土方は芹沢、新見、近藤の三人を局長とし
土方、山南が副長、少人数ずつ組み分けした新入隊士たちの組長であり副長の補佐的立場に当たる副長助勤について説明していく。
無駄も雑談も一切無い土方の話しぶりに芹沢一派も口をはさむことも出来ず
土方の独断場となった場は副長助勤の下につく隊士の名前を書いた紙が配られてやっと解散となった。
やれやれといったように芹沢が「さあ、まずは酒だ、酒 」と大声で平山たちを連れて出ていく。
芹沢はいつもついてくる平助にも声をかける。
平助は土方のほうをちらっと見てうなづき、芹沢の後を追いかけようとしたが、
「お待ちください、芹沢先生 」土方がよく通る低い声で芹沢たちを呼び止めた。
「あ? ……なんだ? あんたも来るのか? 」平山がにやにやしている。
「土方君ではなく藤堂君を誘ったんだが…… 」芹沢が機嫌の悪い声を出す。
いつもついてくるだけで出しゃばらずに黙々と芹沢の世話を焼く平助を気に入ってるらしい。
「芹沢先生、今日は藤堂ではなく沖田を同行させてやってください。 」
「……沖田君か…… 」
芹沢がうれしそうな顔をしている。
沖田はいつも八木家の近所の子供を集めて壬生寺で遊んでいて平助もたまにつきあう。
酒を飲んでない日の芹沢は沖田と一緒に子供らと遊んでいることが多かったからか、
平助のように島原や祇園での遊興についてくることは今までなかった沖田のことも芹沢は心よく思っているようだった。
「わぁ、芹沢先生のお供ならきっと高いお酒が飲めますね。 楽しみだ 」などと沖田もにこにこと喜んでいる。
「まあ、藤堂君はついてくるだけで酒に全然付き合わないが…… 沖田君はとことんつきあってくれそうだな。行こう、行こう 」
沖田の肩を抱くようにしてがやがや言いながら出ていった。
「土方さん…… 大丈夫ですか 」心配そうに平助が土方に声をかける。
「なんだ?……沖田にも芹沢の番をやらせると言ったはずだが 」
「ですが、沖田さんも一緒になって酔ってしまったら話になりません。 やはり私も行ってきます。 」
「平助、もういいんだよ 」土方の投げやりな口調に思わず振り返る。
「どういうことですか…… 」
土方は黙ったままで答えようとしない。
悪くなった雰囲気を察したのか山南がこちらにやってくる。
「どうしたんだ? 藤堂君 」
土方が立ち上がりながら平助より先に答える
「どうということもない、藤堂君も芹沢局長と一緒に島原へ行きたかったようだ 」
機嫌の悪い顔のまま部屋を出ていってしまった。
「永倉君や原田君が新入隊士のところに顔合わせに行っている。 藤堂君も顔合わせしてくるといい 」
山南はそう言ってなだめるように微笑む。
「山南さん。 芹沢さんに対する土方さんの考えが最近分からなくなりました…… 」
「ああ…… 」思い当たることがあるように山南が笑った。
「土方君はね、いつもきみが芹沢さんに苦労してるとわかってて、きみへのねぎらいの意味で沖田君に交代をさせたんだよ 」
「それだけでしょうか…… 」
「そういう思いやりを言葉にしてうまく言えない人なんだろう。 土方君は私にも素っ気ないことが多いからね 」山南が苦笑する。
山南に礼を言って庭のほうへ回ると永倉と原田が新入隊士を集めて自己紹介をしている。
「おう、平助。 お前も顔合わせか? 」平助に気づいた永倉が手を振る。
「ええ……新八さんのとこ、精鋭揃いですね。 」
平助も紙を広げて4人の隊士を呼び集める。
「新田さん、三浦さん…… 」
名前を呼ばれた隊士たちが血気盛んそうな顔をして集まってくる。三浦一人だけ顔色が少し悪いのが気にかかった。
「三浦さん、体調でもわるいんですか? 」
「いえ……大丈夫です。 」三浦は目を伏せた。
「こちらの隊の長を務める藤堂といいます。今日からよろしく頼みます。
市中の巡察が始まると体力仕事になりますから体調が悪いときはすぐ申し出て下さい。
他のみんなもそのようにお願いします。
体調以外にも何か不明な点や、気になることはなんでもすぐ相談してください 」
平助は京の地図を皆に配り巡察の持ち場についてや準備について確認していく。
「そうだ。 今から下見に行きませんか。 不逞浪士を捕縛する手順についても町に出て確認したほうが良いでしょう…… 」
[2]
名都は髪に差している派手な簪をすべて抜き取り、お気に入りの螺鈿細工の小さな箪笥にしまった。
今日はひと月に一回ある休みの日だった。
医師のところで兄の薬をもらい、それを兄に届けその帰りに甘味を食べる。
名都が唯一楽しみにしている日であった。
支度を整えて下に降りたところで店の玄関先を掃いていた男衆に声をかけられた
「名月はん、お休みやったらあの人のとこに行ったってぇな 」
「……あの人って? 」
……男衆の言う『あの人』が平助のことだとすぐ気づいたがわからぬふりをした。
「また、そない冷たいこと言うて……あのお侍さん、藤堂はん言いよったな。 何回も来てくれたのに
いつも会いたくないって言うから『先客がある』言うて、仕方なしに帰ってもろたけどお客はみんな大事にしなあかんで 」
お客……そうや、あの人は恋仲などではなくお客さんや
そう思いながらもお客という言葉に傷ついている。
「何回来ても断ってたんやから、もうお店には来はらへんやろ…… 」
平助などに興味はないという風を装いながらも寂しげな顔の名都を見て男衆が言う
「名月はん、あんた藤堂はんとなんかあるんか 」
「あるわけないやん。あの人な、壬生の浪士組なんやて。 だから会いたくないんや 」
「へぇ……壬生狼は乱暴者の集まりや思とったけど藤堂はんはえらい品があったけどな。人は見かけによらんのやな 」
また来ます……あの時、平助はそう言った。
そんなん本気にしたらあかん……
そう思おうとしたが本当にまた店に訪ねてくれた時、心がときめいた。
すぐにでも逢いたい……そう思うのに……
このまま逢うことを続けたら、うちはあのひとのこともっともっと好きになってしまう。
そう思って訪ねてくれたあの人を追い返してしまった。
今やったらまだ忘れられる
それが簡単でなかったことはうちが一番よう知ってる……
何度か断ってるうちにあの人は店には来んようになったしまった
愛想つかされたんやな……それでええんや
あの人のことより兄さんのほうが大事や……
先月のお休みのときにお薬を持っていったら
「なぁ、名都。 壬生の浪士組で隊士を募集しているのを知ってるか? 結構な額のお給金がもらえるらしい…… 」
思い詰めるような兄さんの顔を見て心配になる
「浪士組に入る気やの? そんなんあかん、兄さんの体はまだ本調子やないんよ。 浪士組のお仕事なんか
して無理したらまた悪くなってしまう。 うち、そんなんいやや…… 」
「名都にいつまでも世話になってるのが辛い。 浪士組には文官の仕事もあるらしいから心配せんでいい 」
そう言ってお菓子をくれた子供の頃のようにうちの頭を軽くなでてくれた。
鴨川のほとりを歩いて兄の住む長屋へ向かう。 兄さんがまだ浪士組加入について考えてるなら
何としても止めなあかん。
もうすっかり夏やなぁ、暑い
名都は日差しを遮るように手を額にやる、その時向こうから4、5人の侍がぞろぞろ歩いてくるのに気づいた。
その先頭をさっそうと歩く若侍……
……平助はん!
思わぬところで平助の姿を見つけてしまい鼓動が速くなる。
どうしよ……このまま戻る?
慌てて踵を返しかけたがすでに遅い、向こうもこちらに気づいたようだった。
「名都さん! 」連れていた侍を残して駆け寄ってきた平助に黙ったまま会釈を返す名都。
「良かった、元気そうで…… ずっと会いたいと思っていた」
名都への気持ちを封印したつもりなのに顔を見た瞬間、正直な気持ちが言葉に出た。
「時間があれば少しだけ話せませんか 」
そんなん……時間なんか、あるけど話したくないんや
名都はさざ波のように揺れる気持ちを抑えて首を振った。
「こないだのこと怒ってますか? 」
「別に怒ってなんか……でもこないだみたいなんは恋仲がすることどす。 お客はんとはできまへんのや 」
早口でそれだけ言うと足早に去ろうとする。
ちょうどそこへ遅れて平助の部下の新入隊士たちが歩いてくる。
その中の一人を見てハッとした。 隊士のほうも名都を見て足を止める。
「兄さん、何してるん……まさか…… 」
兄さんと呼ばれた侍は平助たちと明らかに連れ立っている、つまり壬生の浪士組の一員ということだ。
「うち反対や言うたのに、ほんまに浪士組に入ったん? 」
「名都、これ以上妹の世話になりたくないんだ。 もう放っておいてくれ 」
そう言って三浦……名都の兄は先へ行ってしまった。
事情がありそうな二人の様子が気がかりで平助は他の隊士たちに三浦と一緒に屯所に戻っているよう指示を出した。
「兄さんは浪士組に入ったんどすか? 」平助に訊ねる。
「三浦さんは名都さんの兄上だったのですか…… 」
名都は黙ったままうなづくと
「兄さんは今はああやって外出もできるようにならはったけど一時は体も心も壊してしまってずっと床にふせとったんどす。 お医者様にもまだまだむりはあかん言われてますのんや。
今日もお薬を届けにいくとこやったのに…… 」
そう言って平助に薬を見せる。
「そうだったんですね…… 」
三浦の顔色の悪さに納得する、やはり体調がすぐれなかったのだな。
兄さんは文武両道抜きんでていた、そこを気に入られて養子にいったくらいや。
剣術には自信をもっていたから給金の良いという噂の浪士組に入ろうとしたのかもしれんけど
身体がまだ治りきってへん、無理したらまた身体を壊してしまう……
「藤堂はん、お願いどす。兄さんに無理させんといて。 うちのたった一人の身内なんどす 」
泣きそうな顔で訴えてくる名都を安心させるようにうなづくと
「わかりました。兄上のことは私がきちんと責任を持ちます。 危険なことの無いように気を配りますから…… 」
「ほんまどすな? これ兄さんに渡してください…… 」
薬の袋を受け取り、頭を下げ立ち去ろうとする平助の背中を名都は呼び止める。
呼び止めたものの言葉に詰まる名都。
平助も振り返り黙って名都を見る。
名都が口を開こうとしたが平助が先に
「もうお店には行きませんので…… 」そう言って少し微笑んだ。
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