激震編 4章 宵待……名都の愛

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激震編 4章 宵待……名都の愛

  [1] 「名月ちゃん!あんた、ちゃんと話聞いてますのんか? 」 丸櫛屋の女将が反応のうすい名都の膝を叩く。 「え……?」名都は女将と兄をぼんやり見ながら返事を返す。 四半時ほど前、女将に呼ばれて一階の座敷に降りていく。 そこでたった一人の身内の兄と店の旦那と女将がにこやかに談笑していた。 名都が顔を見せると女将が「名月ちゃん、早うお座りやす 」 促されて嬉しそうな兄の横に腰を下ろす。 兄の晴れやかな顔など養子先を追い出されて以来目にしたことは無い。 新選組に入隊してからはますます顔色も悪く難しい顔ばかりしていた兄である。 いったい、どうしたん?…… 不審に思った名都は女将のほうを見やった。 女将の話というのは名都の借金返済のめどがたち予定より早く年季が明けるという他の遊女たちが聞いたら羨ましがられるような話だった。 三浦が入隊してから給金を使うことなくほぼ全額を貯めていた。  給金以外にも出動すればもらえる手当などすべて含めてまとまった金額になる。  ようやく名都の借金を返すことができるのだ これでやっと名都を自由の身にできる…… 三浦は軽く咳をしながらもほっとしたような表情で妹を見ている。 ほっとすると同時に今まで妹にかけた苦労を思うといたたまれない気持ちになってしまう。 この場に女将たちがいなければ土下座して謝りたいくらいだった。 三浦は女将に「今まで本当にお世話になりました。 来月には全額……いえ、すこし色を付けてお返しできる予定です。」 女将もこれ以上ないという笑顔で 「へえへえ。 うっとこの店でも名月ちゃんは、それはもう人気ありましたさかいなぁ…… まぁ残念どすけど、おめでたい話やさかいなぁ」 そう言って旦那のほうへ顔を向ける 「せやで、なっちゃん。 これからは早う、ええ人見つけて幸せにならなあきまへんで。 お店で作ったお着物やなんかはなぁ、よそのお店は知らんけど……うっとこの店では持っていってくれてかまへんのやで 」 旦那も笑顔で兄妹を見ている。 突然の話で、正直戸惑う…… 「兄さん……無理せんといてって言うたはずやん。  お金なんか気にせんでいいのん、兄さんが命かけて新選組で働いたお給金全部うちのために使こうてしまうやなんて…… そんなん、うち困るわ…… 」 「名都…… 元々新選組に入ったのは名都の借金を少しでも早く返すためと言ったはず 」 「せやかて…… 」 「名月ちゃん!あんた、せっかくのお兄様のお心づくしやないの……そんな顔しとったらバチ当たりますえ」 女将が三浦に愛想笑いをしながら 「ほな来月までに借用書とかみんな用意しときますさかい。  せやけど……名月ちゃん住むとこ、どないしますんや? 」 「…… 」名都自身、今聞いたばかりの話でまだ実感すら湧かずにいる。 兄を黙って見た。 三浦が「私が屯所を出てどこかに長屋でも借りて一緒に住めるとよいのですが……  幹部以外の者は屯所以外の場所で生活をすることは許されておりませんので…… 」 ほな、どないしますんや?……という顔の丸櫛屋夫婦に三浦が頷く 「それについては心当たりがありますので、そちらへ名都のことをお願いしてみるつもりです。」 「兄さん…… 」 兄がまた無理をしていないか心配でたまらなくなる。 そこへ、襖を少しだけ開けて仙三が顔を覗かす 「……あのお……」 女将が「仙三はん! どないしたん? 今、名月ちゃんの大事な話をしてるとこやから後にしとくれやす 」 仙三が言いにくそうに「いや……女将はん。 それが……名月はんにお客はんが…… 」 言いながら三浦のほうをちらちら見ている。 三浦が怪訝そうに「客というのはもしかして新選組……?」 「えっとぉ…… まあ…… 」仙三がますます困った顔で女将を見る。 じれったい仙三に女将がしびれを切らし 「仙三はん、もじもじせんとはっきりしとくれやす。 ……最近、全然顔見せんようなった思うとったけど藤堂先生どっしゃろ? ちょうどええやないの! 早う、上がってもらい。 ……なあ、名月ちゃん。藤堂先生も喜んでくれはりますえ 」 名都と三浦が表情を硬くするのに気づかず女将は仙三を急かす。 仙三も気まずそうにしながら名都の様子を伺っている。 当然だが、あの日から平助に逢ってはいない 年が明けて噂好きの仙三から『平助がたびたび祇園に通っているらしい』と聞かされた 平助はんが……ここに来るわけ無いやない それやのに期待してしまう自分がまだいる 三浦が立ち上がると「私が会ってきましょう…… 」 万一……万一、 平助はんやったら…… 名都も慌てて三浦の後を追った。  [2] 「あ……永倉先生に、原田先生でしたか…… 」 暖簾をかき分けて店を覗いている永倉と原田に三浦が頭を下げている。 「三浦、何してんだ?……こんなとこで 」原田がじろじろ三浦をねめつけながら無遠慮に尋ねる。 「…… 」三浦が口ごもる。 年末最後の巡察に出た時…… 平助から「名都さんと別れました。 今後、二度と逢わないと誓います。」 「……ですので、三浦さんもご安心ください。 今までご迷惑をお掛けしたことも謝ります。 」 静かにそう言うと涼やかな目を伏せ、頭を深々と下げる平助…… 決してその場しのぎの『でまかせ』なんかではないことは痛いほど伝わった そんな平助と親しくしている永倉と原田がこの店に、いや名都にいったい何の用があると? 名都が割り込む 「永倉はん、原田はん……なんかあったんどすか? 」 もしかして平助はんが大怪我でもしたんじゃ…… 名都は不安そうに二人の顔を見比べる。 そこへ永倉と原田を押しのけるように明るい声で 「もう!……(しん)さんも原田はんも何してはんの?  いやぁ、なっちゃん……お久しぶりどすぅ。  芋煮会以来やろか 」 永倉の恋仲の島原の芸妓、小常が入ってきた。 「小常姐さん……! 」 小常に押しのけられた永倉が照れたように笑いながら 「実は……左之助の…… 」と言って原田を肘で指すと 「祝言の日取りが四月に決まったんだ。  平助も、またすぐ江戸に行かなきゃいけないからさ。 京にいる間に六文屋で祝いの会でもしようかなって……な。  あ、まだ平助には言ってないんだけど。 ……なっちゃんも平助とゆっくり話してさ…… 」 「この二人はなんやかんや理由つけてお酒飲めたらええんよ! うちも行くから、なっちゃんも。 藤堂はん、江戸へ行ったらまたしばらく帰ってきはらへんのやし…… ね、なっちゃん 」 「うちは……うちは…… 」抑えようとしても声が震えてしまう 名都の様子を見かねた三浦が名都の代わりに答える 「……妹は藤堂隊長とはもう会いません。  藤堂隊長と親しくされている永倉先生、原田先生も今後は妹に会うのは控えてください 」 「はぁ? 」原田が眉を吊り上げてムッとした声を出す。 「三浦! なんなんだ? その上からの物言いはよお! 」 三浦は原田をキッと睨み返す。 「お気に障りましたか? ……でも今、申し上げた通りですから 」 「なっちゃん……」永倉が優しい口調で名都に声をかける。 「今の……三浦君の話だけど、平助と別れたってこと? 」 「そういうことです…… 」三浦が答える  [3]   「お前に聞いてんじゃねえだろ! 黙ってろよ、三浦 」 原田が三浦につかみかからんばかりの勢いで吠える。 三浦も言い返す。 「藤堂隊長は……祇園の芸妓と縒りを戻したと聞いてます。  隊内でも噂になってます、お二方もご存じのはずでは? 永倉先生たちといつまでも顔を合わせていると妹が藤堂隊長のことを忘れることができません 」 「三浦ぁ……何様のつもりだ? 俺らは新選組の幹部だぞ、さっきから誰に向かって口きいてんだ?  お前、なっちゃんと平助を別れさせたかったんだろう? お前がなんかしたんじゃないのかよ!」 兄さん? 兄さんが平助はんに……なにか言うたん? 名都は三浦を見る。 三浦は黙って原田を睨んでいる。 永倉がやれやれといった風に原田の前に出た。 「左之助、少し黙ってろ。  平助のことはともかく……新選組はみな同志であって役職の上下は主従の関係じゃないんだから 」 「新八……それは近藤さん…… 」原田の声がしゅんと小さくなる 「少し黙ってろ……って言っただろ?左之助。 三浦君、 いくら仲の良い兄妹だからって平助となっちゃんのことに口出しするてのは……ちょっとどうなんだろうな? 」 「結局は藤堂隊長が自分で決断したことです。 私に何を言われても無視していれば良かっただけのこと…… あの方は自分で名都ではなく祇園の女を選んだんです 」 「三浦……お前が平助にしつこかったからだろ? 俺たちが知らないとでも思ってたか!」 原田が三浦の襟をつかんだ 三浦がそれを振り払う 「いけませんか? 新選組にいる以上、藤堂隊長も私もあなた方だっていつ命を落とすかしれません。 妹は普通の人と幸せになってほしいと思っています。」 名都が三浦の前に立ち、凛とした瞳で見上げる。 「兄さん……藤堂はんのことは、もうええの。 うちではあかんの……藤堂はんは祇園の(ひと)やないとあかんの。 あの(ひと)やないと藤堂はんのこと支えてあげられへんの…… ……せやから永倉はん、原田はん……小常姐さんも。 ほんまにすんまへんどした。 兄のことどうか堪忍してください。 このとおりどす 」 名都が頭を下げる。 そうや……これでよかったんや 平助はんは、うちには言えんことを抱えて苦しんでた、祇園の(ひと)に話してどれだけか心の重荷を下ろせて楽になったにちがいない きっと平助はんはあの(ひと)と一緒にいるほうが楽でいれるんや だから平助は自分の側にいる相手として君尾を選んだと思っている。 ……兄さんは関係ない 平助はんが少しでも楽になれるなら……癒されるなら……うちは平助はんが幸せやったらそれが一番うれしい あの日からずっと苦しかったけどやっと、やっとそう思えた 小常が名都に頷くと「新さん……原田はんも。帰りますえ 」 まだ何か吠える原田は永倉が無理やり引きずって三人は丸櫛屋から出ていった。 様子を覗いていた女将が「ほんま……これやから新選組は出禁どすな…… 」ぶつぶついいながら引っ込む。 その場には三浦と名都の兄妹だけとなる 「……名都、すまない 」 「…… 」 「藤堂さんのこと……すまない 」 「……ううん、ほんまに兄さんのせいやないから。 兄さんは自分の身体のことだけ考えてほしい 」 名都は兄を安心させようと笑顔を見せる。 うちは、兄さんのおかげで年季が早く明けてこれからなんでも好きなことができるようなるんよ ゆっくり、やりたいこと考えよう…… ……泣いてばっかりやったけど、こんな風にわくわくできる 壬生寺の平助と君尾は亡霊のようにずっと名都を苦しめたが本当の亡霊は自分だったのかもしれない。 終わってしまった恋にいつまでも囚われた自分自身はもう消えなければいけない 溢れる涙を見せたくなくて兄に背を向け涙を拭う 「来月でお店辞めたら……何しようか考えるん楽しみや」
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