6章  粛清

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6章  粛清

[1] 三浦や名都のことを気にかけながらも  京での世情が俄かにあわただしさを増し平助も隊務に追われる日々を過ごす。   そんな中ついに京の情勢が大きく変わった。 御所から長州藩と長州贔屓の公家が追放され、御所の周りを守るために会津藩に従い浪士組の出陣が決まる。  世にいう八・一八の政変だ。  平助たちも戦支度を整え出陣するも御所を守る会津藩兵と小競り合いになってしまった。 芹沢が鉄扇を振りかざし会津藩兵を恫喝し道を開けさせ、 ようやく指示された持ち場につくことができた。 酒を飲んでいない芹沢はやはり一目も二目を置かざるをえない人物なのだな……皆がそんなふうに感じただろう。 隊務が多忙になったせいか、あるいは土方の思惑か。 平助が芹沢のお供をする任務を外れることになり 芹沢の狼藉は再び激しくなっていた。 御所での政変の少し前、大和屋という商家の蔵に火をつけ焼き討ちにするという暴挙に出たので平助も肝を冷やしたばかりだ。  そのせいで浪士組の評判はますます悪くなる。 ……土方さんがこのまま見過ごすはずはない 御所の警備で一晩過ごした平助は、不安な気持ちで燃えるような朝焼けを見つめていた。   八・一八の政変での功績が認められ浪士組は会津藩から報奨金と 『新選組』という新しい名前を賜った。 今まで壬生浪とずいぶん馬鹿にされたが新しい名前をもらったことで屯所内も活気づく。 近藤が感極まったという感じで号泣しているのを見て芹沢が大きく頷きながら近藤の肩を叩いている。 不安を募らせていた平助は少し安堵する。  これを機会に芹沢さんが落ち着いて、隊の仕事も順調に進んでくれれば…… 今後は今まで以上に不逞浪士を取り締まり、自分たちが帝や京の人々を守ろう。 そんなふうに平助が思い描いた未来があんなにも早く崩れ去ることになるとは思いもしなかった…… [2]    その日はいつもと変わることなく、夜の巡察で捕縛した浪士を番所に引き渡し部下と共に屯所へ戻った平助を怖い顔をした永倉が待ち構えていた。 「どうしたんですか? 新八さん、怖い顔して…… 」胸騒ぎを覚えて訊ねる。 永倉はついて来いという風に目で廊下の奥を示す。 「いい知らせと悪い知らせがある。 どちらを先に聞く? 」 黙り込んでいると、永倉は小声で「新見さんがやられた 」 「え?……新見局長が? 」 新見は芹沢の腹心でとても頭も切れる男だ。豪商からの惜しがりなども新見の算段と言われている。 剣の腕もかなりたつ。  新選組の活動が順調になるのに比例し過激派浪士たちの恨みも買う。 平助も何度か捕縛時に相手にけがを負わせたり、負わされたりしている。  咄嗟に新見は過激派浪士に斬られたのだと思いこんだ。  「やられたって、どこで? 下手人は過激派浪士ですか? もう捕らえたのですか? 」 矢継ぎ早の質問をうざいというように永倉が手をひらつかせ苦笑する。 「……土方さんだ。 さっき祇園の料亭まで押しかけて詰め腹切らせたらしい。 」 「なぜいきなりそんなことに…… 」 永倉が言うには新見の惜しがりが発覚したとのことらしい。  そんなことは以前からなのにいまさら?  腑に落ちない顔をしている平助に永倉がさらに声を潜める。 「何かもっともらしい理由が欲しかったんだろ。 幹部はすぐ集まるよう言われてる。 いい話のほうは……斎藤が戻ってきた 」    新見が詰め腹を切らされてからの芹沢は部屋に引きこもって酒を飲んでいることが多い。 これ以上酒を勧めるわけにもいかず平助は屯所の近くで有名な菓子を買って部屋を訪ねてみる。 締め切った部屋は酒臭い。 その酒臭い部屋の中で、ぎらつく目で平助を睨む芹沢と向かいあう。 「芹沢先生、酒にもそろそろ飽きませんか? お茶でも入れましょう 」 「俺を斬るのは君に頼みたいものだな…… 」 「ご冗談はよしてください。 」笑おうとしたが笑えない。 「今、刀を抜いたらどうする? 」芹沢の手が刀に伸びる。 「…… 」平助は膝にそろえた手を握り締めた。 息をする音さえ聞こえそうなほどの緊迫が部屋を支配する。 「もう行け、ここにいると土方に睨まれるぞ 」 「刀を抜かれれば……その時は先生を斬ります。 」まっすぐに芹沢の目を見た。    数日後、八・一八の政変で得た報奨金を各自の働きに応じて分配した残りで 島原の角屋を貸し切っての祝杯を兼ねた決起会が行われることが公表された。 屯所の留守を守る隊士数名を残し全員参加が言い渡される。  普段なかなか島原で遊ぶ機会の無い若い隊士たちから歓声が上がる。  新見が腹を切って以来久しぶりに芹沢も皆の前に姿を見せていた。 あまり気が進まない平助は屯所の居残り組に志願しようかと思ったが 試衛館で顔見知りだった同じ年の斎藤の歓迎会も兼ねているといわれれば参加しないわけにはいかない。      当日、九月十六日 夕刻から降る雨が夜には本格的になる。 隊士たちは壬生から島原まで傘をさし連れ立って出かけていく。 それを何組か見送ってから平助もやっと重い腰を上げた。 島原も久しぶりだな…… 大門をくぐると雨の中でも煌びやかな遊郭の灯りがまぶしい。 角屋へ向かう途中、名都が働く丸櫛屋の前を通る。 名都さんはどうしているだろう……逢いたい [3]  角屋の松の間では豪華な酒肴が並べられ輪違屋から呼ばれた太夫や天神たちが舞を見せる。 庭には臥龍の松と呼ばれる立派な松があり、廊下を西に向けば遊仙橋という西の棟へ続く橋も見える。 その橋へ気に入った芸妓を呼び出し、宴会が終わったあとの艶めいた約束をするために使われていることも多いらしいくらいは平助も知っている。  今日は無礼講ということで幹部から平隊士まで打ち解けた雰囲気で楽しんでいる。 沖田は話の中心となり皆を笑わせ、芹沢も今日は上機嫌で近藤と一緒に若い隊士たちに酒を勧めて回っているようだ。 土方も珍しく笑顔で盃を口に運んでいる。 新人隊士たちはずっと行方のわからなかった斎藤が珍しいようで、取り囲んで武勇伝をせがんでいる。 そのせいで無口で人見知りな斎藤だけが居心地悪そうにしている以外はみなが楽しそうに見える。 ……平助は皆の話を楽しんでるふうに杯を口に運びながら 心の中では別のことを考える。 浪士組結成時からの芹沢さんの暴挙、先日の大和屋焼き討ち事件…… 土方さんは許すはずはない。許さないからこそ新見さんを先に始末した。 芹沢さんのお供の任務は沖田さんに変わってしまった…… 連日、隊務とお供では沖田さんも疲れるだろうと思い 「今日は変わりましょうか? 」一度そう言ったことがある。 沖田さんはいつもの笑顔で「やだなぁ……平助さん。 心配しなくてもいきなり芹沢先生を斬りつけたりしませんてば 」 「そんな話があるのですか? 」 「さあ……どうでしょう。 私は知りません。 そうなってもおかしくはないですけどね 」 そう言って沖田さんは笑っていた    平隊士が俺に新しい酒を注ぎに来たので俺の思考は中断した。 部屋を見渡す、芹沢さんがふらつきながら立ち上がっている。 俺はふらついている芹沢さんのところへ行った。 「先生、大丈夫ですか? 気分でも悪いのでしたら少し休まれますか? 」 「いや、今夜は珍しく土方君がつきあってくれて気分が良い。 やはり酒は人の縁を繋ぐ 」 そう言ってそばに控える土方さんを見る。 「今までお互い誤解もありましたが、今後は芹沢先生の懐を借りるつもりで……  そうだ。先生、先に八木家へお戻りください。 ここは若い隊士がうるさくゆっくり飲めません。  近藤と私もすぐ戻ります。あちらで飲みなおしましょう 」 俺に向かって土方さんは籠を呼ぶように言いつける。 そして小さい声で「きみは同行する必要はない…… 」とだけ言われた。 土方さんが芹沢さんと親しく振舞っていることに安心するような気味の悪いような気持になりながらも籠を呼ぶ。  平山や平間も一緒に八木家へ戻るようだった。 [4]  とりあえず今日はもう何も起きないんだろう…… そう思うとやっとゆっくり皆と楽しもうという気持ちになる。 ずっと気持ちが張り詰めていて疲れてしまった…… 試衛館にいたころのように新八さんたちと馬鹿話で盛り上がるのも悪くない。 新しい酒の入った銚子をもち新八さんたちのところへ行きかけた時、 沖田さんが帰り支度を始めているのを見てしまった。 「沖田さん、どうしたんです? 一緒に飲みませんか 」銚子を差し出す。 「悪いんですが今夜は私も帰りますね…… 」 盛り上がる平隊士たちの間を縫って沖田さんが座敷を横切っていく。 その後姿を追うともなく目で追っていると左之助さんと新八さんが揉めている。 帰ろうとする左之助さんを新八さんが強引に引き留めているようだ。 左之助さんなんか一番最後まで付き合いそうなもんなのに今日は珍しいな…… ……!  突然嫌な予感がし、急いで沖田さんの後を追って部屋を出た。 そういえば源さんも山南さんもいつの間にかいなくなっていた。 廊下の先をのんびり歩いている沖田さんの肩をつかむ。 「待ってください、芹沢さんたちに何をするつもりですか? 」 沖田さんはいつもの笑顔を見せる。 「そんな怖い顔しないでくださいよぉ……何もありませんって 」 「皆で酒を勧めてましたね? 酔わせたのは最初からそのつもりだったんですか?  ……ずいぶん卑怯だな 」 「私に言われても…… 」沖田さんが頭の後ろで両手を組んで困った顔をして見せる。 「左之助さんも……? 」俺は襖を少し開け部屋の中を伺う。 ちょうどしつこい新八さんを左之助さんが足蹴にしたところで、そのままこちらへ向かってくる。 「総司、なんで平助もいるんだよ 」 「私たちともっと飲みたいそうですよ 」肩をすくめる沖田さん。 左之助さんがあきれたように「……ったく。 平助、おまえ……まあいい。 お前は新八とここで飲んでな 」 左之助さんは歩きだす。沖田さんも「さくっと用を済ませたらまた戻りますよ 」 「まだ、話は終わってない 」 俺は二人の後を追おうとした。 その瞬間、頬に小さいが鋭い痛みが走る。 左之助さんが構える刀の刃先が行く手を阻むように目の前に突き出されていた。 「左之助さん…… 」 「わりぃー 平助。 手元がくるっちまたぜ、やはり俺は槍じゃなきゃダメだな。 」 「あーあ、今牛若の平助さんの顔に傷つけちゃいましたね…… 」 「総司、無駄話してる時間はねえぞ。 行くぜ。じゃあな、平助 」  その場に残された俺は新人隊士たちを相手にして吞んでいる新八さんのところへ行く。 「新八さん…… 」 「? 顔どうした、平助。 血が出てるぞ 」 「沖田さんと左之助さんが…… 」 「ちっ、左之助のやつ……平助、少し出よう 」  新八に誘われるまま『松の間』を出、遊仙橋へ向かう。 雨はまだ激しく降っており屋根のある橋の上にいても袴の裾が濡れそうだ。 「どうせなら、きれいな芸妓とここで密会したかったぜ。 野郎同士でしゃれになんねえ。 」 そんな新八さんの軽口にも笑う気になれない。 新八さんも真顔になる。 「お前はこっちに残ってたんだな。  総司の後を追って出ていったからてっきり『あちら組』かと思ったぜ。 」 「…… どういうことです? 」 「つまり、居残り組は仲間から外されたってことさ 」 「でも、近藤先生はまだ座敷にいらっしゃいましたよ 」 「そりゃそうさ、土方さんは近藤さんに汚れ仕事をさせるつもりはないようだからな 」 すべて察してるかのような新八さんの口調に 「新八さんも今夜のことを知ってたんですか……? 」 「いや……気配は感じていたがな。 まさか今日みたいな日に決行するとはな。土方さんも容赦ないぜ 」 「新八さん、俺たちも八木家に戻りましょう 」 新八さんの返事はない。 「こんなやり方は卑怯です 」 「お前と俺は外された。 もうどうしようもない、八木家に戻ろうとなんて考えるな 」 新八さんは松の間に戻らずそのまま廊下を玄関のほうへ向かう。 「新八さん、どこへ? 」 「宴会に戻る気が失せた、女のとこでも行ってくるわ 」軽く手を振り行ってしまった。 俺はそのまま玄関へ向かう。 やはり行かなければ…… 卑怯なやり方は好きではない。  [5] 平助が八木家へ戻ると門の前に覆面を付けた全身黒づくめの男たちがいる。 「総司、左之、遅かったな 」土方が剣のある声を出す。 原田も覆面をつけながら 「いや、出がけに平助に見つかっちまってよ…… 」 「平助が? で、どうした? 」 「左之助さんがちょっとお灸をすえておきましたから大丈夫でしょう。 」 男たちに平助が近づく。 気づいた原田が慌てたように「平助、馬鹿。 お前、ここには来るなっつたろ! 」 土方が「おい、左之よぉ。 お灸のすえ方が甘かったんじゃないのか 」と平助に鋭い視線を向ける。 「皆さん、何をする気ですか…… こんなやり方卑怯では? 」 「だから、最初からお前を誘ってはいない。 行くぞ 」土方が声を潜め下知する。 「土方さん…… 」 平助は雨の中、膝をつく。 そのまま土方の前で土下座した。 「お願いします。 今夜は……引いてください。 」 雨の中、頭を下げ続ける。  「どうか、お願いします。 芹沢さんが酒を飲んでないときに私が斬ります。  ですから今日だけは見逃してください。 許してください 」 土方が平助のそばにしゃがむ。  「そうか…… で? 藤堂君、自信はあるのか 」 「……刺し違える覚悟です 」 「馬鹿か。お前に刺し違ってもらったんじゃ意味ないんだよ 」土方は沖田らのほうにすっと手を上げた。 それを合図に沖田や原田が八木家に押し入る。 土方は平助の肩に手を置き優しい声で 「平助、今日が新選組が生まれ変わる日だ。  今日だけは俺たちを見逃してくれ。 許せ…… 」 平助が言ったのと同じ言葉で土方は平助の願いを切り捨てた。 すぐに八木家から闇を切り裂くような悲鳴や激しい怒号、ドタバタと走りまわる音、八木家の子供たちの火のつくような泣き声などが響き渡り、平助の心を襲う。 耳をふさぎたくなるような悲鳴にいたたまれなくなり、ふらふらと島原のほうへ戻る。 「俺を斬るのは君に頼みたい 」そう言った芹沢。 斬ることも助けることもできなかった……  島原へ戻る途中適当な店で浴びるように酒を飲む。 身体は酔うが心は冷え切ったまま当てもなく歩くうちに 芹沢行きつけの花砂屋のあたりまで来ていた。 そこで酔った浪士たちにぶつかった、ぶつからないで絡まれ 平助は無抵抗のまま殴る蹴るの乱暴を受け続けた。 これはきっと芹沢さんを見捨てた罰なんだろう…… [6] 「ちょっと、誰か手ぇあいてるもんおらんかぁ? はよ来てえな! 」 丸櫛屋の玄関先で大声で叫ぶ男衆の声に何事かと名都は階段を急ぎ降りる。 今日は雨がひどく客も少なかったので暇していた。 「ああ、名月はん。 ちょうどよかった。 藤堂はんが大変や!  花砂屋はんの前で喧嘩や言うから見にいったら 藤堂はんが浪士らにぼこぼこにされて倒れてはったんや。 まあ、うっとこの店とは知らん仲でもないし。 それで運んできたんや 」 「藤堂はん !  大丈夫どすか 」 名都が慌てて駆け寄り平助の肩を支える。 目の上を腫らし、唇が切れて血を流す平助に驚き、泣きたい気持ちになるのをこらえる。 「たいしたことはない…… 」小さい声でぽつりとそれだけ答えるのもやっとという様子に胸が張り裂けそうになる。 「そんなに怪我して何言うてますのや! はよう横になって。 」  一階の空き部屋に男衆がすぐ布団を用意し平助はそこに寝かされた。 たらいのお湯を用意し名都は平助の顔や手足の泥を丁寧に拭う。  それが終わると口の周りの血をそっとふき取る。 酒臭いのに気づく。 お酒に酔って喧嘩するような人やあらへん……なにがあったん 傷に良いという薬を持ってくると平助が痛そうにするのでゆっくり時間をかけて塗りながら 「今日は角屋さんで新選組の貸し切りの宴会があるってみんな噂してたんどす。 ……なんかあったんどすか? 」 黙ったまま天井を見つめている平助に 「このお薬、兄さんのお薬を出してもらってるお医師様にいただいたんどす。ほんまよう効くんどす 」 平助は薬を塗る名都の手を払った。 平助は腕で目を隠すように覆う。 「こんな姿を見てほしくない…… 」 それなのに名都に逢いたかった……   腕の下で涙が溢れる。 「平助はん……なにも心配せんでええんよ。 今夜はうちがずっとこうしてるから 」 名都は横たわる平助の隣に体を寄せ、そっと抱きしめた。 雨の音を聞きながら二人は目を閉じる。 疲れたのか、平助が静かな寝息を立て始めるのを聞いて名都も平助を抱きしめながら眠りに落ちた。  部屋に差す日の光のまぶしさに平助はまどろみから覚める。 隣では名都が平助を抱きしめたまま眠っている。 名都を起こさないようにそっと起き上がるが頭痛と身体の痛みに思わず顔をしかめる。 身体の痛みが八木家の惨劇を思い出させる。 いつの間にか雨は上がっていたのだな…… 決めた……もっと強くなる。 昨夜のようなことがあった時、自分の意思を貫くためには剣も心ももっともっと強くあらねばならない。 必要であれば土方のような冷酷さも手に入れる。 今までの藤堂平助は新選組という組織にはいらないと思い切る。 平助は薄い掛布団を名都の肩までかけると 「……ありがとう 」ちいさくつぶやきそのまま部屋を出た。 壬生の屯所が見えてくる。 立ち止まり手を握り締めた。 ……俺は……変わったんだ
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